奥比叡の里より「棚田日詩」 | 灯明(とうみょう)

2015/01/11

灯明(とうみょう)

辺りが暗くなり始める頃、お地蔵様を祀った祠(ほこら)に明かりが灯される。この灯明は、単なる物理的な火ではない。仏様に供える灯火であり、この世の闇(迷いや煩悩)を照らす智慧(ちえ)の光だと信じられてきた。

私は「お地蔵さん」や地蔵信仰については全くの門外漢である。ただ奥比叡の農村風景を撮り始めてから、お地蔵さんの古くなった「よだれかけ」やお供えの花やお菓子を取り替えているおばあちゃんをよく見掛るようになった。その時おばあちゃんは、決まって手を合わせ、何かを祈ってそこを去っていく。どう見ても儀礼的な祈りではない。信仰心のない私にも、おばあちゃんの願いや祈りが深くて真摯なものであるのは分かる。かつて、そんなおばあちゃんの姿を見て、お地蔵さんや地蔵信仰に関心を持ったことがある。ここからの文章はその時に調べた事柄を記憶に従って書いていくことになるので、とんでもない誤解や誤りがあるかもしれない。(そのつもりで読んでください)

現代においても人々から親しまれている「お地蔵さん」は、仏教が教えるところの菩薩のお一人であり、正式には「地蔵菩薩」のことである。地が蔵していると書いて地蔵。その(大)地が蔵しているものは、すべての生命を育む力である。「地蔵菩薩」とは、そんな大地と同じ無限の慈悲によって苦しむ人たちを救ってくれる仏様という意味であるらしい。恐らくこの田園地帯にある地蔵様の多くは、豊年満作を大地に願う祈りの対象となってきたのではないだろうか。

地蔵信仰の歴史は古い。既に奈良時代には、仏教の経典によって中国から伝わっていたようだ。平安時代後期の末法思想が、衆生を救う菩薩として地蔵信仰を庶民の間に広めていった。その後の中世・近世と「お地蔵さん」に求められる人々の願いは多様化・細分化され、「子育て地蔵」「延命地蔵」「艶書(ラブレター)地蔵」、安産祈願の「腹帯地蔵」、眼の病気の回復を願う「片目地蔵」、いぼ・ほくろを取る「瘡(かさ)地蔵」、とげを抜く「とげぬき地蔵」、果ては自身の災難を救ってくれる「身代わり地蔵」まで現れた。今から見れば少しユーモラスでちょっぴり可哀そうな気もするお地蔵さん達だが、医療や科学などが未発達な時代にはこうした地蔵様たちに頼らざるを得なかったのではないだろうか。いずれにしても、京都で子供時代を過ごした私にとっては、夏休み最大のイベントである「地蔵盆」の体験と結びつき、子どもたちを守ってくれる仏様といったイメージが強い。

人が作り出す風景は、人の心が作り出す風景である。逆に言えば、人の作り出した風景には人の心が宿っている。世の中には深い信仰を持つ人、信仰とまでは言わなくても漠然と神や仏に祈る人、私のように信仰とは程遠い生活をしている者、というように様々な人々がおられる。それぞれの立場でこの写真の風景をどう見るかということはさて置いて、千数百年という途方もない時を経てきた日本人の心が写っていることは確かである。夕暮れ時、今日も灯明が灯される。