奥比叡の里より「棚田日詩」 | タイムカプセル

2014/02/09

タイムカプセル

本棚の雑然と並べられたバインダーや本の間に、隠れるように小さな紙袋が挟まっていた。その紙袋を何気なく抜き出してみると、何とその中から20年以上も前のものと思われるフィルムが100枚ほど出てきた。今日の写真は、その中の一枚をスキャンしたものである。紙袋に入れたこと自体、既に記憶がない。昔は、気に入らないフィルムをどんどん捨てていた。恐らくこのフィルムたちも、捨てるつもりで紙袋にまとめられていたのではないかと思われる。

ポジフイルムをそっと光にかざしてみると、何とも「懐かしい」伊香立の棚田が浮かび上がっていた。朝霞と琵琶湖の向こうに近江八幡の半島と沖島も見える。ここで「懐かしい」と書いたのは、今はこの風景を見ることができなくなっているからである。この棚田はすでに圃場整備され、四角い田んぼに生まれ変わっている。

 

このフィルムをどうして捨てようと思ったのか?  今では分からない。撮ったことすら忘れてしまっている。ただ考えられるとすれば、この写真があまりにも地味だったからではないかと思われる。しかし1月・2月の奥比叡は、冬枯れの棚田が当り前で、寂しくもあり地味であり、むしろ肅条とした美しさこそがこの季節の特徴だと思っている。当時は、そうは思えなかったようだ。

記憶というものは頼りないもので、何百回となくこの風景の前を行き交い、見てきたにもかかわらず、すっかり忘れてしまっている。恐らく地元の人でさえ、田んぼの形状や配置を正確に思い出せる人はいないだろう。更に世代が代われば、この風景は人々の記憶から完全に消えていく。

私は、奥比叡の棚田を後世への「記録」として撮影してきたわけではない。それにもかかわらず、記憶から消え去ってしまった風景が、20年という時を経て甦る不思議。写真というものは一枚のタイムカプセルでもあるようだ。