奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2012 | 9月

2012/09/30

台風17号

不幸にも、天気予報が当たってしまった。台風17号が徐々に関西にも迫り、仰木も午後から暴風雨圏に入った。昨日、風速60mを超える暴風雨が沖縄を襲った。テレビの画面には、根こそぎ倒された樹木やひっくり返った倉庫などが何度も映し出されていた。仰木の村の中を車で走っていると、人影も少なく、どことなく緊張感が漂う。棚田に出てみると、田んぼが心配なのか、何台かの軽トラックと出会った。運転席にのぞく顔は、誰もが心配と緊張の面持ちだった、午前中は、まだ雨が弱く降る程度だったが、時折ヒュ~と突風が吹き、農家の庭先にある草木が激しく揺さぶられていた。

 

さすがに午後からは、台風の雨と風だった。雨は地面を這い、横からたたきつけてくる。棚田を吹き抜ける風は、低いうなり声を響かせ襲ってきた。強い風と風の間に、更に強い突風が突然身体を吹き飛ばそうとする。木々が幹の部分から揺さぶられている。聞こえるのは、耳元を通り過ぎる風切り音と雑木林を揺さぶる音だけである。普通には立っていられない。三脚にしがみついて突風が過ぎるのを待つ。引きちぎられた枝やトタンの切れ端らしきものも遠くで舞っている。全身雨で濡れてしまったせいか、寒くて指先が震えてくる。結局、危険と体力の限界を感じて、2時間ほどで撮影を切り上げた。

  過去の台風では、稲が倒されたり、杉の木が折られて道を塞いだり、農具小屋の屋根が吹き飛ばされたり、棚田の土手が崩落していたりと、何がしかの被害があった。山の上の田んぼで出会った軽トラックのおじいちゃんは、大丈夫だったのだろうか?

 

 

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仰木自然文化庭園構想 八王寺組/稲刈り・稲架掛け・脱穀・縄ぬい

10月6日(土)・10月21日(日)、上仰木の八王寺地区の棚田で稲刈りや脱穀などが行われます。この八王寺の棚田は、琵琶湖が一望できる素晴らしいロケーションの中にあります。下の写真は上仰木の棚田です。

 

詳しくは、「仰木自然文化庭園構想 八王寺組」のHPをご覧ください

http://kamiogi.jp/?cat=32

http://blog.goo.ne.jp/kamiogi

 

 

里山みらいじゅく 2012 —————————————————

人の営みとともにある生命(いのち)ある自然、里山。その「里山」という言葉が今日のように一般的に使われるようになったのは、写真家今森光彦さんの活動と結びついています。彼はその「里山」を映像化するにあたって、仰木や伊香立、高島やマキノといった湖西の農村地帯を舞台としてきました。今森さんとともに仰木の里山を歩き、里山の秘密や不思議をお聞きください。今回は、上仰木の田んぼを歩かれるそうです。午後からは絵本作家の「はたこうしろう」さんの講演とお二人のトークショーがあります。里山や棚田に、少しでも関心のある方は、ぜひ、ぜひ、ぜひ、参加してみてください。自然に対する見方が変わるかもしれません。

 

と   き:10月14日(日)   9:30~

と こ ろ:大津市仰木   /   太鼓会館
 

詳しくは、今森光彦さんのホームページでご確認ください

http://www.imamori-world.jp/ima-event/satoyama/satoyama_2012.html

2012/09/23

籾焼き(燻炭作り)

稲刈りの終わった田んぼのそこかしこで白い煙が立ちのぼる。初秋の風物詩、籾焼きの煙だ。風にたなびく煙は薄く広がり、レースのカーテンのようになって棚田を漂っていく。午後の射光線に透かされた煙のカーテンは、なかなかフォトジェニックである。

煙突を立てた籾焼き(燻炭作り)は、手間とヒマが掛かってしまうので、最近ではほとんど見かけなくなっている。それに代わって、籾を田んぼに直まきし、その上に火をつけるという作業が多くなっている。しかし土壌の酸化を防ぐための燻炭は、やはり手間とヒマを掛けなければいいものができない。焼き加減が難しい。真っ黒に炭化してしまってもいけないし、まして灰になってしまっては意味がない。こまめに見回り、焼けていない籾殻を絶えず上にかぶせていかなければならない。わずかな量の籾殻でも、この作業を繰り返し繰り返し、一昼夜は掛かってしまう。こうした作業を見ていると、燻炭の字のごとく、焼くというよりも「燻す」と言った方がピッタリくる。燻炭作り、もう来年の米作りの準備が始まっている。

燻炭は、活性炭や炭と同じような効能を持つ。田んぼはもとより、キュウリやイチゴといった野菜や果物の土壌の改良剤にもなる。金魚などの水槽に入れておくと水を浄化してくれる。家の床下に撒いておくと除湿剤にもなる。生ごみや牛舎などの臭いも取ってくれる。融雪剤にもなる。花瓶などに入れておくと、殺菌効果もあり、お花が生き生きとするそうだ。etc、etc。

稲は本当にエライ!!  お米を育ててくれるだけでなく、籾殻まで人様の役に立ってくれる立派な植物である。

  昨日の天気予報では、 50%の確率で午前中は雨のはずだった。しかし雨は時折弱く降るだけで、曇りと言った方がよい天気だった。予定されていた「守り人の会」の脱穀が行われているのかどうか分からなかったので、一応田んぼに行ってみることにした。家の玄関を一歩出てみると思いのほか肌寒く、長袖のシャツに着替えることにした。昨日までの残暑は何だったのだろうか。田んぼに着くと、やはり脱穀は順延され、27日の木曜日、籾摺りが29日の土曜日になっていた。少し時間があったので、家への帰り道、「小さな秋」を拾って帰ることにした。

 

里山みらいじゅく 2012 ————————————————————–
   人の営みとともにある生命(いのち)ある自然、里山。その「里山」という言葉が今日のように一般的に使われるようになったのは、写真家今森光彦さんの活動と結びついています。彼はその「里山」を映像化するにあたって、仰木や伊香立、高島やマキノといった湖西の農村地帯を舞台としてきました。今森さんとともに仰木の里山を歩き、里山の秘密や不思議をお聞きください。今回は、上仰木の田んぼを歩かれるそうです。午後からは絵本作家の「はたこうしろう」さんの講演とお二人のトークショーがあります。里山や棚田に、少しでも関心のある方は、ぜひ、ぜひ、ぜひ、参加してみてください。自然に対する見方が変わるかもしれません。

 

と    き:10月14日(日)   9:30~

と こ ろ:大津市仰木   /   太鼓会館

詳しくは、今森光彦さんのホームページでご確認ください

http://www.imamori-world.jp/ima-event/satoyama/satoyama_2012.html

2012/09/16

稲架(ハサ)のある風景

今日、先週の9日に掛けられた稲架を見に行ってきた。太陽が雲に遮られ、平尾の棚田全体が日陰になっていることが多かった。奥比叡の山々からは爽やかな風が吹き抜け、撮影していても気持ちがいい。まさに陰干し日和といった天気であった。上の写真は、時折、雲間から太陽が顔を出す瞬間にシャッターを押した。1時間ほどの撮影だったが、なぜかここに来ると、心がゆるやかにほぐれていく。

いよいよ来週の23日(日)は、この田んぼで脱穀が行われる。今でこそ脱穀は、機械によって1日もあれば充分できてしまうが、昭和30年の中頃までの手作業の時代はそうはいかなかった。もっとも当時の収穫(稲刈り)は、今よりも一月遅い10月に入ってからだった。そこから稲架に掛け天日干しした後、脱穀に入る。その脱穀が年末までの一苦労となっていた。どの家も「正月までには、なんとしても仕上げてしまえ」と大変だったらしい。

詳しくは、「平尾 里山・棚田守り人の会」のHPをご覧ください

http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html

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仰木自然文化庭園構想 八王寺組/稲刈り・稲架掛け・脱穀・縄ぬい

9月30日(日)・10月6日(土)・10月21日(日)、上仰木の八王寺地区の棚田で稲刈りや脱穀などが行われます。この八王寺の棚田は、琵琶湖が一望できる素晴らしいロケーションの中にあります。下の写真は上仰木の棚田です。

 

詳しくは、「仰木自然文化庭園構想 八王寺組」のHPをご覧ください

http://kamiogi.jp/?cat=32

http://blog.goo.ne.jp/kamiogi

2012/09/09

収穫の歓び

上の左の写真は9月5日、右は9月8日の撮影。8月の終わりから始まった稲刈りは、棚田の風景をドラマチックに変化させていく。これから二週間もすれば、ほとんどの田んぼで稲刈りが終わっているはずだ。8日の土曜日には、「平尾 里山・棚田守り人の会」主催の稲刈りと稲架掛け(ハサがけ)の作業が行われた。棚田オーナーになっておられるご家族やお友達、なぜか近畿大学文学部?の先生と学生さんなど、スタッフを含め総勢80名ほどの方々が参加されていた。既に棚田は、コオロギや秋の虫たちの大合唱の中にあった。

 

午前中は曇り空の中に、まだ青空が覗いていた。湿度は高く、雨の降りそうな気配の中で稲刈りが始まった。昼前になって、にわかに激しい雨が降り出してきた。刈り取られた稲束をそのまま放置しておくことはできない。早く稲架(ハサ)に掛けてしまわなければならなかった。私も写真など撮っている場合ではなかった。カメラを置いて手伝わさせてもらうことにした。畔に積み重ねられた稲束を両腕いっぱいに抱きかかえ、何十回と稲架の所に運んでいく。その稲束の一つ一つを真ん中あたりで二つに分けて稲架に掛けていく。作業は至って単純なのだが、普段力仕事をしていない身体には結構厳しいものがある。加えて蒸し暑い。幸いにも雨は1時間ほどで止んでくれた。2時半頃には全ての田んぼで作業が終え、立派な稲架掛け(ハサかけ)が出来上がっていた。最後に「守り人の会」の西村さんの所に行くと、田んぼのあちこちに落ちている稲穂を一本一本丁寧に拾い集め、それを束にして稲架に掛けておられた。「私は昔の人間やさかい、こんなもんでももったいなくて・・・」という言葉が、疲れた体の中で響いていた。


万葉の昔から千数百年も続けられてきたこの地の棚田農業も、その継続、存続という点では、今が最も厳しい状況にあるのかもしれない。水路や森の管理、田植えや土手の草刈り、雑草取りや稲刈りなどなど、働き手の絶対数が足りない。老齢化も進んでいる。本当に小さな田んぼは、既に耕作放棄されている。私が見てきた23年を振り返ってみても、少しずつ田んぼが荒れてきたように思われる。「守り人の会」の活動や棚田オーナー制度は、正に時代が求める方策の一つなのだろうと思う。また、それに携われる方々には頭の下がる思いがする。ただその中心に、村の若者たちがいてくれることを願ってやまない。

作業を終えた頃には、上半身はもとより、ズボンまで汗で濡れていた。家に帰ると一目散で風呂に入った。稲束を抱えた両腕が赤く腫れ、ヒリヒリと痛い。まさか作業をするとは思っていなかったので、半袖シャツのままだった。やはり農作業は、長袖でするものだ。夜、両腕を見ると、ミミズ腫れのようになっている。しかしこのミミズ腫れは、なぜか今日一日だけの勲章のように思われた。

 

今日、稲架に干された稲は、9月23日(日)棚田の中で脱穀されます

詳しくは、「平尾 里山・棚田守り人の会」のHPをご覧ください

http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html

 

上の写真は全て、作業をされた田んぼとその周辺で撮影したもので構成させてもらいました。快く撮影させていただき、本当にありがとうございました。

「守り人の会」のHPでも、当日の活動日誌と写真が掲載されています。

http://oginosato.jp/moribitonokai/ownernissi/2012/09/201298.html


里山めぐりツアー「湖西の川端を訪ねて」—————————————

9月3日~7日に掛けて、日興トラベルさんの「湖西の川端(かばた)を訪ねて」というツアーが、仰木の棚田に立ち寄られた。これは、写真家の今森光彦さんが紹介された仰木や高島の里山をめぐるツアーとなっている。仰木を案内されるのは堀井さん。戦国時代からの仰木の歴史を紐解いた解説は、なかなかの名調子だった。同時に、今年採れたての新米と仰木の地酒も販売された。新米の方は、すぐに完売となった。

2012/09/02

ジパング(黄金の国)

4月ごろから始まった米作りも、いよいよ収穫の時を迎えた。今年は台風の影響もなく、倒伏した稲をあまり見かけることがなかった。毎年、無事に育った稲穂を見ると、部外者ながらなぜかホッとした気持ちにさせられる。反対に、ここ2~3年のようにイノシシの被害を目の当たりにしてしまうと、悔しさや腹立たしさが込み上げてくる。私が作ったお米でもないのに不思議なものである。

13世紀、マルコポーロはその「東方見聞録」において、日本をジパング=黄金の国としてヨーロッパに紹介した。私にとってのジパングはゴールドの国ではない。この列島に黄金の実りをもたらす大地とそこで額に汗する人々のいる国こそジパングだと思っている。

*  今回の写真はすべて9月2日(日)に撮影した、ホカホカの棚田風景です  *

9月8日(土)稲刈り・ハサ掛けの風景 ———————————————

「平尾 里山・棚田守り人の会」主催の稲刈りが行われます。ここ仰木の棚田でも、広く棚田オーナー制度が活用されています。そのオーナーたちによる稲刈りです。刈り取られた稲は、そのままハサに掛けられ天日干しされます。時間は、朝の10時から。場所は、馬蹄形の棚田の辺りです。詳しくは、「平尾 里山・棚田守り人の会」のHPをご覧ください。http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html