奥比叡の里より「棚田日詩」 | 「一度見よ、しからずんば・・・・」

2014/01/12

写っているのは棚田の土手である。この写真は、今から23年程前、田んぼ写真を始めて2年目くらいのものだと思う。当時のコダックでデジタル化してもらったものをそのまま使っている。その頃の風景写真の世界といえば、前田真三さんが一世を風靡しておられた時代である。当然私にとっても憧れの写真家のお一人であった。彼の美しくも端正な風景の中に、こんな電柱やコンクリート擁壁をモチーフにした写真はなかったように思う。この写真を撮るまでは、私の写真にも、電柱やコンクリート擁壁は写っていない。美しい風景写真を撮りたいと願うアマチュアカメラマンの一人とすれば、こうしたものを撮るのには少なからず勇気がいった。田んぼ写真を始める時、常識や固定観念などに囚われず「心に響いたものを撮ろう」と決めていた。それがこの一枚となった。アマチュアにとって写真を撮り続けていくということは、そうした固定観念などの殻を一枚づつ脱ぎ捨てていく過程であり、自分自身の美意識や写真が少しずつ信じられるようになっていく過程なのかもしれない。ただ、なぜこの風景に心惹かれたのかは、今もよく分からない。

「一度見よ、しからずんば・・・・」

私の写真友達から、「よう同じ地域の田んぼばっかり25年も撮り続けていられるなぁ。飽きへんのか?」と言われてきた。「飽きへんのか?」と問われれば、飽きることもある。しかしこの「飽きる」ということは、私自身の対象に対する見方に進歩がないということだと思っている。

25年という歳月が長いのか短いのかは別にして、一つの事柄を50年、60年と続けておられる方はいっぱいおられる。そうした方たちから見れば、私の田んぼ写真などはハナタレ小僧のようなものである。

奥比叡の棚田と初めて出会った1990年、出会ったその日にライフワークとしてこの地を撮り続けていこうと決めていた。この決意の背後には、私の心に突き刺さっていた一つの言葉があった。

私が一眼レフカメラを初めて手にしたのは1985年、35才の時である。その一年ほど前から、写真雑誌はよく見ていた。単純に写真を見るのが好きだったのと、結婚後子供ができなかったので何か老後の趣味をと思っていたからである。カメラを手にしてからは、ヘタクソな写真から少しでも早く卒業したいという思いで更に多くの写真雑誌を購読していた。ここでいうヘタクソとは、撮った時の感動が少しも他の人に伝わらない写真のことである。私の場合、撮った本人にもその感動が伝わってこないヒドイものであった。当時の愛読書は、カメラ毎日・アサヒカメラ・日本カメラ・フォトコンなどであった。その中に小さな評論文のようなものがあった。前後の内容は完全に忘れてしまったが、その評論の中の一文が強く心に突き刺さってきた。『一度見よ、しからずんば千度見よ』という言葉であった。

奥比叡の棚田との感動的な出会いと同時に、これこそ「千度」見るのに相応しい風景ではないのか?と私は思った。それから今日まで、私の写真の傍らにはいつもこの言葉があった。

 

恐らくこの言葉は、写真の世界の格言のようなものなのだろう。『一度見よ』とは、初めての出会いの瑞々しい感動を大切に写真を撮れということのように思われる。『しからずんば千度見よ』とは、そうでなければ、対象の奥深くに入り込んだ写真を撮れということではないのだろうか。もちろんこの「見よ」は一つの比喩であって、そこには様々な意味が含まれているのだろう。見る・観る・診る・視るはもとより、学べということや問題意識を持って考えろということも入っているのかもしれない。あるいはもっと広義に取れば、経験しろということも含まれるのかも知れない。当時の私は、この言葉に妙に納得した。そして対象に迫るシンプルな方法として、今も納得している。

あれから25年、「千度」を遥かに超えて見てきたはずだ。にもかかわらず対象の奥深くに入り込んだ写真を撮れているとは思えない。それが私の心象的な写真の中に反映されているとは思えない。心に、撮り切ったという満足感もない。だから今は、この格言を次のように訂正している。

『一度見よ、しからずんば万度見よ』