奥比叡の里より「棚田日詩」 | 水面が映すもの

2013/05/05

  4時過ぎ、朝陽を待つ。辺りはまだ暗闇に包まれていた。春だというのにセーターを重ね着しなければならないような寒さだ。闇を切り裂くような鳴き声を残してケリ(チドリ科)が飛び去っていく。時折、牛ガエルの濁声が響き、田んぼに飛び込む水音がする。やがて東の空が茜色に輝き、辺りの景色を染めていく。

  40億年以上繰り返されてきた夜から朝へのドラマチックな交代劇である。田んぼに描かれた小さな波紋。この波紋が遥か宇宙の彼方にまで広がっていくような、そんな不思議な感覚の中でこの風景を見つめていた。

水面が映すもの

 田植えの季節、棚田は水の大地に生まれ変わる。鏡のような水面が空や雲、新緑の柿の木やハサ木、そこで働く人々、周りの風景、周りの生命を映し出してキラキラと輝いている。奥比叡の里では、最も美しい季節の到来である。棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

  「私が嫁に来た頃は、夜が明ける前から農作業の準備をし、昼ごはんやヤカンを持って牛と一緒に山の一番上の田んぼにまで行ってたもんや。ほんで、日が暮れるまで家には帰れんかった。」「帰りが遅うなったらなったで、『家の用事もせんと!』と言うて姑から怒られる」「最近の孫の嫁なんか、一緒に田んぼに出よう言うたら、すぐに『頭が痛い!』って言いよる(笑い)・・・・・」

この話をおばあちゃんから聞かされたのは、今から十数年前のことである。まだおばあちゃんの若かりし頃の70~80年前、農業は機械化されておらず、田んぼは多くの女性の労働力を必要としていた。今ではほとんど死語となっているが、「五月女」「早乙女」(さおとめ)という言葉がある。元々は田植えに際して田の神に奉仕する少女を指す言葉であったが、後に田植えをする女性全般に用いられるようになった敬称である。かつて田植えは、この早乙女たちによって支えられていた。この奥比叡の里でも、様々な年代の早乙女たちが田植えをし、谷間に若い女性たちの華やいだ声が響いていたはずだ。そして田んぼの水面には、彼女たちの田植え姿が映し出されていたはずだ。

私が田んぼの撮影を始めて24年、この間、若い女性の田植え作業を見掛ることは本当に少なかった。棚田の水面は、辺りの美しい風景を映し出すだけでなく、村に流れた時代の変化をも映し出してきた。