奥比叡の里より「棚田日詩」 | 根性のない写真

2012/08/05

根性のない写真

 奥比叡の里と出会って23年。この間、棚田の写真ばかりを撮ってきたわけではない。こうした村の風景も数多く撮影してきた。何人かの友人から「白川郷(合掌造り)のような農村風景は撮らないのか?」と尋ねられることもあるが、白川郷を撮りたいと思ったことは一度もない。私に限って言えば、この写真のような農村風景に何故か心が惹かれてしまう。恐らくその風景が象徴する時代性のようなものが違うからだと思われる。私にとって白川郷は、一昔前の日本の農村を象徴しているように思われる。確かにそこには日本人の心のふるさとや郷愁といったものを感じさせてくれるものがある。しかし私の心に強く響くのは、そうした郷愁ではなく、もう少し現代的な農村風景である。

  この写真を撮って、もう20年近くになるだろうか。それでも、この時のことはよく覚えている。ファインダーを覗いてみると、どこか物足りない感じがした。「そうだ、この風景の中に人がいないからだ!」 ということで、人が通ってくれるのを待つことにした。できれば、麦藁帽子・半ズボン・白いランニングシャツを着た少年がジュースを買いに来てくれるのが一番いい。いやいや、手押し車を押すおばあちゃんが通ってくれる方が現代の農村風景らしくていい、などと勝手なことを思い描きながら三脚を据えて待った。しかし誰も来てくれない。暑すぎたのか人の気配すら感じない。

ここに来るまで、一時間ほど村の中を歩き回って来た。既に上半身はシャツの色が変わるほど汗でビッショリ濡れている。それにしても暑すぎる! 私は夏が大嫌いだ!  ここで20分ほども待っただろうか、そこが体力の限界、待てる精神力の限界だった。「もう、アカン!」  私はたまらず、車のクーラーに逃げ込んでしまった。そんなことで、この写真には少年もおばあちゃんも写っていない。その代り、夏に弱く、20分も待てないカメラマンの根性のなさが写ってしまっている。

  当時は、この辺りにコンビニはなかった。お茶やジュースが欲しい時にはこうした自動販売機か村の雑貨屋さん、駄菓子屋さんなどで買っていた。10年ほど前から村の近くに数軒のコンビニが出店され始めた。当時、この自動販売機は3台並んで置かれていたのだが、今では1台だけになっている。こんな小さな変化にも、村をめぐる十数年の時の流れを感じさせられる。