奥比叡の里より「棚田日詩」 | ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑨

2015/07/29

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑨

何年ほど前になるのだろうか?  テレビの予告編か何かで「里海」という言葉が耳に入ってきた。  ?????「里海」?    生まれて初めて聞く言葉ではあったが、この言葉に大きな違和感を感じた。というよりも、間違っていると思った。その後、「里川」などという言葉も耳にするようになった。恐らくいずれの言葉も「人の暮らしとともにある海や川」といった意味で使われているのであろう。

今一度「里山」についての最も有名な命題(概念規定)に戻ろう。「里山は、人の営みとともにある(相互関係を持った)生きものたちの自然である。人の手の入らない無垢の自然を第一次的な自然だとすれば、里山は二次的な自然である」  正確な言葉は覚えていないが、主旨はこのようなものであったと記憶している。

先入観を交えずこの命題に従えば、「人の営みと相互関係を持つ生きものたちの自然(生態系)」が成立している所は、そこが海の中であろうと川であろうと「里山」なのである。どうして「里海」「里川」などといった追加的な概念が必要になるのだろうか?  これが「間違っている」と思った理由である。

「里海」「里川」という言葉が生み出される前提には、環境省のいう狭い地域概念としての「里山」がある。環境省のいう「里山」は、概ね日本の農村地域を指している概念であり、そこにおける「人の営みと相互関係を持つ生きものたちの自然」を「里山」と呼んでいる。それでは、農村地域以外の「人の営みと相互関係を持つ生きものたちの自然」を何と呼べばいいのだろうか?  環境省のいうようにわが国の農村地域の二次的自然だけを「里山」とする限り、それ以外の地域の「二次的自然」を追加的に「里海」「里川」「里〇〇」「里××」として表現せざるを得ないのである。

ついでに言えば「里山」の命題(概念規定)の中には、日本人が持つ故郷への郷愁や癒しなどの情緒的なものは含まれていない。例えば諫早湾の干拓事業。水門が閉じられていく映像は、まだ記憶に新しい。閉門後、諫早湾を中心にした生態系は大きく変わってしまった。その結果、漁業という産業に深刻な打撃を与えていると伝えられている。これも「人の営みと相互関係を持つ生きものたちの自然」の現実である。とすれば、これは極めて里山的現象ではないのだろうか?  私はそう思ってきた。

 


 

中元商戦が一段落ついて、久しぶりに田んぼに出てみると、稲穂が顔を出し、既に受粉も終えているようである。今年は台風11・12号が太平洋の湿気を運んできたのか、ここしばらくは蒸し暑い猛暑日が続いている。田んぼで熱中症になったおばあちゃんが亡くなられたという悲しいニュースもあった。まだ厳しい暑さが続きそうである。皆様、くれぐれもお身体ご自愛ください!