奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2017 | 4月

2017/04/16

昔ながらの棚田が語るもの

今日の写真は、今から25~26年ほど前、私の田んぼ写真の中では最も初期のものである。当時はこうした昔ながらの棚田が、奥比叡の山々の麓に10㎞ほど連なっていた。

軽トラック一台がようやく通れるような曲がりくねった農道。小さな農機しか入れられなかったいびつな田んぼ。入り組んだ地形のため日陰となる棚田も多かった。労力も平地の田んぼの何倍も掛かった。これでは、若い後継者に田んぼを任せていくのは難しかった。この写真には、当時の村人たちのこんな思いが写っているのかもしれない。

この20年ほどの間に、奥比叡の棚田の姿は大きく変わってきた。丘は削られ、谷間は埋め立てられた。川はまっすぐな流れに変えられ、用水路も合理的に配置されるようになった。そこに日陰の少ない大きくて四角い田んぼが造り出されてきた。新しい農道は、拡幅され直線的なものになり、幹線は二車線の快適なものになった。この写真の棚田もまた、圃場整備によって長方形の大きな田んぼに生まれ変わり、大きなトラクターで耕作されるようになった。

確かに生産性も高まり、当時の農家の抱えていた問題はずいぶん改善されたように思える。しかし、農業労働力の高齢化、後継者の不足といった問題は今も耳にする。獣害も、この10年ほどの間にひどくなった。圃場整備され大きな田んぼになったからといって、農地が更に集約化され法人化される平地の大規模農業に比べて、生産性等における相対的格差は更に広がっていくのではないだろうか?   中山間地農業の抱える問題は、圃場整備だけでは解決できないもう少し別の奥深い所にあるようだ。

 


 

 圃場整備をされる前であろうと後であろうと、この時期にしなけれなならない農作業は同じである。草刈り、春耕、水入れ、畔の補修、代掻き等といったものである。この写真に見られる作業が、今日も奥比叡の棚田で黙々と続けられている。


 

今日の写真も、古いフィルムを安物のスキャナーで取り込んだものです。レタッチの腕が未熟なため、いい色が出せません。皆さんの目の方で補正していただければ? 助かります。

2017/04/09

山桜

木々は芽吹き始め、生命の輝きが枯れた山肌を彩っていく。遠くに一塊の山桜。ヒバリは空高く歌い、鶯の声が谷間に響いている。今日の写真は、林道の木立の隙間から覗いたものである。確かに山の中の風景ではあるが、それほど奥深くに入り込んだものではない。このすぐ下には棚田が広がり、田植えの準備が進んでいる。

少し田舎の方に行けば、どこででも、誰でもが見ることのできる新緑と山桜の春景である。名の知れた千本桜や枝垂桜も美しいが、私は、こんな「春」が大好きだ。

しみじみと、しみじみと、心が春に満たされていく。


 

昨日の4月8日、あいにくの小雨の中「棚田の一本桜」が開花した。開花の仕方は年によっても違うようだ。数輪の花からポツリポツリと花数を増やしていくこともあれば、今年のように多くの蕾が一斉に花開くこともある。今年は3分咲き、4分咲きといった過程を飛び越して、開花の翌日(今日)には、いきなり6~7分咲きといったところになっている。恐らくこの数日、5月にも似た暖かな日が続いたからではないだろうか。今年の満開は、今週の中頃に訪れそうだ。