奥比叡の里より「棚田日詩」 | 棚田の柿の木

2012/10/28

棚田の柿の木

「昔は、この谷が 朱色(あかく)染まるほど柿の木がいっぱいあったんや」とおじいちゃんから聞かされたことがある。想像するだけでワクワクする風景である。しかし今は、棚田の土手に点々と残されるだけとなっている。棚田にある柿の木は、すべてと言ってもいいほど渋柿である。実が朱色に色づき始めた頃は、まだ鳥たちも食べない。相当、渋いのだろう。しかしそれが熟してくると、カラスたちによってあっという間に丸裸にされてしまう。それでも正月を過ぎてなお渋いのか、雪景色の中に朱色の実をつけた柿の木が毎年何本か残されている。それもやがては、実が熟して崩れるほどになってくると、最後にメジロたちの格好の栄養となる。

上の写真を撮って20年ほどになる。棚田の柿の木は、毎年多くの実をつけるわけではない。数年に一度たわわに実をつけるという周期がある。この写真は、一番出来の良い年に巡り合ったようだ。

 

かつて渋柿は、村にとってなくてはならないものだった。渋柿は干し柿という保存食になるだけではない。その実から搾汁され醗酵させられた柿渋(かきしぶ)が、生活の隅々で役立てられた。タンニンを多く含む柿渋は、防虫・防水・防腐・抗菌という機能を持つ。家の柱や板壁などに防虫・防腐剤として塗る。和紙に染み込ませ、現代のラップ的な用途に使う。それが団扇や和傘の張り紙にもなる。布を染める染料としても使われた。漢方薬にもなる。かつて柿渋は、各農家ごとに作られていたようだ。また、琵琶湖に面した近隣の堅田という漁村にとっても、この地の柿渋は必需品だった。一昔前の木綿や麻で編まれた漁網の防腐剤として役立った。棚田を彩る柿の木。それは、この地域の生活の必要から生み出され、長くその生活を支えてきた風景でもあった。その名残が今、棚田のあちこちで宝石のように輝いている。