奥比叡の里より「棚田日詩」 | 倒伏

2013/09/01

   奥比叡の棚田と出会って2年目の年に撮ったものである。台風の過ぎ去った後、田んぼが気になって出掛けてみた。里芋の大きな葉っぱはボロボロにちぎられ、稲は無残に倒されていた。しかし目の前に倒れているのは単なる稲ではない。倒されたのは、無事の収穫を願って米づくりに励んできた村人たちの思いであった。この光景を目にした時には何とも言えない腹立たしさのような感情が込み上げていた。手作業での稲刈りになってしまうのか、すぐ隣でおじいちゃんとおばあちゃんの溜息も聞こえていた。そうした人間の感情にはおかまいなしにトンボが1匹、秋の陽射しに輝いていた。倒された稲、人の溜息、のどかそうに見えるトンボの飛翔。このアンバランスな風景を前に、何とも奇妙な気持ちでシャッターを切った。

倒伏

稲は、倒れやすい植物である。たわわに実った稲穂は重く、重心が高い。品種改良の過程で倒れやすくなったのかどうかは知らないが、稲は想像する以上に頭デッカチなのである。完全に倒れてしまうと機械での刈り取りが難しくなる。最も最近の農機は優秀で、少々の倒伏ぐらいなら刈り取ってしまう。それでも農作業の段取りは狂ってくる。気温の高い時期にそのまま放置しておくと穂から直接根が出てしまい、商品価値がなくなってしまう。倒れたら1週間くらいの間に刈り取ってしまわなければならないのだが、早くに倒れてしまった稲はそのタイミングが難しい。

倒れやすさは、種類によっても異なる。コシヒカリはこの辺りでは「コケヒカリ」と呼ばれるほど倒れやすい。お米としては最も美味しい部類に入るミルキークイーンも倒れやすい。それらに比べると、キヌヒカリやレークは倒れにくい。

稲が倒れる外的要因は、雨と風が主なものである。その両方が襲ってくる台風は最悪である。しかし、わずかな雨でも倒れることがある。雨の水滴によって自重が重くなり支えられなくなるからである。猪(シシ)が田んぼに乱入して倒してしまうということもある。

化学肥料で育てるのではなく、鶏糞などを使った有機栽培にこだわっても倒れやすくなる。鶏糞はお米の味を美味くするのだが、量が多すぎると倒れやすくなる。適量というのが難しい。

その田んぼの持つ適正収量を越えて作付けしても倒れやすくなる。しかし消費者と契約栽培をしている田んぼでは、価格の問題にも跳ね返ってくるので簡単に収量を減らすこともできない。

土用干しが中途半端でも倒れやすくなる。もっともこれには棚田特有の理由がある。6月下旬から7月中旬に掛けての土用干しの主な目的は、田んぼの水を抜き、土を乾燥させ、過剰な分げつ(成長)を抑えることにある。ところが棚田では、乾燥の度合いが難しい。乾燥が進んでいくと、今度は棚田の土手にひび割れが走り、そこに水が入り込み崩落の危険が増してくる。といって、この土用干しが中途半端になってしまうと、稲の背丈が伸びて倒れやすくなってしまう。

有機で育てた美味しいお米を作りたい、そして契約した収量を責任を持って確保したいと思えば、その年の気象条件なども加味した複雑な連立方程式を解いていかなければならない。毎年8月の中頃になると、稲の倒伏した田んぼがいくつか目の前に現われてくる。農家の終わりのない試行錯誤がそこにある。