ポニー
奥比叡の里にも、今まで見ることのなかった新しい風景が少しづつ増えてきた。このポニーの写真もその一つである。
30数年前から仰木村に隣接する形でニュータウンが造成されてきた。そこに京都や大阪などの都会の人たちが移り住むようになった。2000年辺りを境に、この都会からやってきた人たちと仰木の地元の人たちとの交流がポツポツと目立つようになってきた。この棚田日詩でも何度か紹介してきたが、都会の人達と一緒になった米作りや炭焼き、棚田の環境整備などもその一例である。芸大主催の写生会や村の社会学的調査、里山の自然観察会なども行われてきた。
そうしたことに止まらず、ニュータウンには多様な要求を持つ人たちが集まっている。このポニーは、ニュータウンの人が棚田の中に土地を借りて育てているものである。現在4~5頭飼われているようである。時折、人を乗せて棚田巡りをされている姿を見掛ることもある。他にも、桜公園の近くにある棚田の中では、美しい名古屋コーチンを飼っておられる方もいる。この10年、私の写真にもそうした光景が写るようになってきた。
こうした光景の背景には、写真家の今森光彦さんの活動やNHKの放映などによって、この地が「里山」として注目を集め、広く知られるようになったことも大きい。また中山間地農業と都会の人たちを結び付けようとする行政的支援もある。私は、農村と都市の人々の交流がもっともっと活発に行われるべきだと思っている。しかしこうした交流を必要とする農村側の事情、労働力の不足と高齢化、後継者の不在等々といった問題、要するに農業環境を維持することが難しくなってきたという事態を考える時、このポニーに対する視線にもちょっと複雑な気持が入ってくる。
先々週の木曜日、突如パソコンが立ち上がらなくなってしまいました。マザーボードの交換や電源系統の修理で、ようやく昨日私の手元に送り返されてきました。一週間、更新が抜けてしまいました。この間、閲覧していただいた皆様に心からお詫び申し上げます。
写っているのは棚田の土手である。この写真は、今から23年程前、田んぼ写真を始めて2年目くらいのものだと思う。当時のコダックでデジタル化してもらったものをそのまま使っている。その頃の風景写真の世界といえば、前田真三さんが一世を風靡しておられた時代である。当然私にとっても憧れの写真家のお一人であった。彼の美しくも端正な風景の中に、こんな電柱やコンクリート擁壁をモチーフにした写真はなかったように思う。この写真を撮るまでは、私の写真にも、電柱やコンクリート擁壁は写っていない。美しい風景写真を撮りたいと願うアマチュアカメラマンの一人とすれば、こうしたものを撮るのには少なからず勇気がいった。田んぼ写真を始める時、常識や固定観念などに囚われず「心に響いたものを撮ろう」と決めていた。それがこの一枚となった。アマチュアにとって写真を撮り続けていくということは、そうした固定観念などの殻を一枚づつ脱ぎ捨てていく過程であり、自分自身の美意識や写真が少しずつ信じられるようになっていく過程なのかもしれない。ただ、なぜこの風景に心惹かれたのかは、今もよく分からない。