奥比叡の里より「棚田日詩」 | いい写真・・・那和さんの写したもの

2021/12/31

いい写真・・・那和さんの写したもの

田植えを待つばかりの田んぼ。みんな素足になって膝下まで田んぼの泥に埋もれている。その足元には、稲を等間隔に手植えしていくための回転式田植え枠が置かれている。そして色鮮やかでオシャレな野良着?  若い男女の踊っているかのように見える楽し気なポーズ。その手には、これから植えられていく稲の赤ちゃんが一塊り。笑顔がとても素敵です。

一見現代的な農業写真のようにも見えるが、違和感もある。一つは、ここ奥比叡のような中山間地の棚田にあっても、今日の田植えはコンバインで行われている。にもかかわらず、この写真では手植えである。もう一つは、足元の田植え枠である。これは、稲を真っ直ぐ・等間隔に植えるため(正条植え)の見当を付けていく道具である。明治20年(1887年)頃から使われ始め、田植えが機械化される1965年辺りまでの約80年間ほど現役で働いていたそうだ。これによって、肥料やりや雑草採りが随分合理的になったと言われている。歴史の中に消えてしまった道具が、何故かいま持ち出されている。

この一枚の写真の中には、現代と半世紀以上も前の過去が混在している。ここで現代と過去の遺物を結び付けているのは、棚田オーナー制ある。棚田オーナー制というものがなければ、この田んぼもトラクターで田植えされていただろうし、田植え枠もここに存在することがなかった。このお二人もここに居られることはなかっただろうし、この写真そのものも成立していない。そのオーナー制の田植え作業を撮影させていただいたのが、この写真である。2013年5月、撮影者は那和順一さん

ではなぜ「棚田オーナー制」というものが全国の中山間地で展開されるようになって来たのか?    おじいちゃんとおばあちゃんだけの農業。手間と労苦の割に収益性の低い農業。跡継ぎのいない農業等々。棚田オーナー制を生み出す前提としてこうした現代の中山間地農業の危機があるのではないのだろうか。よく見ればこの写真は、そんなことも語っているように思えてならない。

この写真は、「農業写真」ではない。田植えという農作業を写したものだから、農業写真と言えなくもないが、私は少しチガウと考えている。経済学的な意味での農業は、米(農作物)を売る(交換)ことを目的に作物を育成する業である。この写真は、決してその姿を写したものではない。棚田オーナー制は、都会の人たちに農業や里山環境の一部を体験し、学習していただくことを目的の一つとして開催されている。ある意味、都会の人たちを対象としたリクレーションの開催だともいえる。そうした意味でこの写真は、第三次産業である商業/サービス業の一瞬を写したものであると思っている。(だから私は、2013年5月23日のタイトルを「田植え」ではなくLa・ La・ La ♪ Ta・u・eとした)

恐らく日本の長い農業の歴史の中で、農業がサービス業となることはなかったと思っている。この写真は、正に農業がサービス業に転化しているところを写したものである。現代の中山間地農業の複雑な現況が、美しく、楽しく、象徴的に写し出されている。私がこれまで「いい写真」と考えてきた基準の一つに「時代と社会が象徴的に映し出されている」というのがある。まぎれもなくこの写真は、その類の写真だと考えている。

カメラマン那和さんに、そして那和さんの傑作に、終わらない拍手を送ります!!

那和さんは、大きな病院の料理長をされるかたわら、写真を何よりも愛するアマチュアカメラマンでした。私とは仕事の関係もあって、商品開発などもお願いしていました。当然、長い写友であり、私に琵琶湖の写真を撮るように導いてくれたのも那和さんでした。

その那和さんが、まだ暑い盛りの8月23日、心臓の病で突然亡くなられました。享年68才。丁度その頃、今森光彦さんの写真展に一緒に見に行く約束をしていました。どんなに楽しみにされていたか! 電話越しにも分かりました。でもその写真展に那和さんが来ることはありませんでした。来年3月の退職後には、一緒に写真を撮りに行こうとも言っていました。早すぎます!  残念です!!

今日は、那和さんの傑作を今一度見ていただきたいとの思いで、この文章を書いています。そして那和さんの写真が、一人でも多くの人々の記憶の中に残っていってくれることを願って止みません。

那和さん、もしあの世とやらがあるのなら、また一緒に写真を撮りましょう!!

    *  この地の棚田オーナー制は、平尾 里山・棚田守り人の会の主催によるものです

 *  モデルとなっていただいたお二人には、那和さんに代わって心からの御礼を申し上げます

 *  同じ写真をFacebookでも使わせてもらっています

追記)  この小さな写真では分かりづらいが、背景にある木立の前の辺りをじっくり見ていただくと金網のようなものが見える。シカやイノシシから田んぼを守るための獣害対策用の金網である。こんな所にも人と自然との関係、その時代と社会が写っている。見ようによっては、金網の中での楽し気な農作業というシチュエーションが、この絵のスゴ味を一層増しているのかも知れない。