奥比叡の里より「棚田日詩」 | 梅

2014/03/16

先々週あたりから、梅の花がほころび始めた。別名「春告草」とも呼ばれている。確かに、寒風の吹き抜ける冬枯れの棚田にあって、一番乗りで華やかさを添えてくれるのが梅の花である。正に春の来訪を告げているように見える。朝夕の黄色味を帯びた空の下で見る梅の花は、どこか天平の時代に連れ戻してくれるような風情がある。

春を代表する花といえば、今日では桜である。しかし平安時代以前は、当時の憧れの中心であった中国文化の影響を受けて、梅の花がその代表格であった。「桜見の宴」ならぬ「梅見の宴」が催されていたのだろう。

棚田に点在する梅の木は、偶然そこにあるわけではない。すべては果実を採るために、そこに植えられ育てられている。目的は、梅干しや梅酒などである。観賞も兼ねて、農家の庭木となっているものも多い。

古代の梅干しは、保存食というよりも、黒焼きされて虫下しや熱冷ましの漢方薬として使われていたようだ。今日の梅干しは半年ほどの賞味期間だが、昔ながらの製法(塩分濃度30~50%)で作られた梅干しは100年は優に持つそうだ。梅干しの並外れた保存特性にも驚かされるが、この他にも傷の消毒や伝染病の予防、防錆処理などにも広く使われてきたという。梅干しをご飯の真ん中に置いただけの「日の丸弁当」は、素朴だが最強の弁当なのかもしれない。

古来より、日本人の生活の最も近くに寄り添ってきた果樹が梅の木だったのではないだろうか。しかも本州以南の全国津々浦々、何処ででも育てられてきた果樹だったのではないだろうか。そうした意味では梅の木は、柿の木(棚田の柿の木)と共に日本人にとって最も里山的な果樹だったのではないだろうか。