奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2013 | 4月

2013/04/28

そこは天空に浮かぶ棚田だった。田植え前のこの時期、全ての田んぼで畦の補修が行われる。土手のヒビ割れやザリガニ・モグラなどが作った穴を塞ぎ、水漏れを防ぐためだ。都会育ちで農業未体験の私も手伝わせてもらったことがあるが、これが中々の重労働。体力・根性ともに不足している私など「農業は絶対ムリ!」と直ちに納得した。彼らの祖先は、千三百年もの昔からこの大地を耕してきた。そして地を耕すことを通じて天(社会)を支え、天(社会=政治や文化など)をも耕してきた。

天耕の棚田

 

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昨年の5月6日に始めさせていただいた「棚田日詩」もようやく一年目を終えるところまで来ました。振り返れば、この一年の長かったこと! そして更新日を迎える一週間の短かったこと!  「ああ、シンドかった」というのが正直な気持ちです。それでも、美味しい「棚田米」が育つ環境の一端でもお伝えすることができたのなら嬉しく思います。

このホームページを見ていただいた皆様に、心からの感謝と御礼を申し上げます。

    私にとってこのホームページは、インターネットの世界で何かをする初めての経験でした。その中で、インターネットというものの不思議さを体験する一年でもありました。

数人の方から「もっと宣伝したら」というアドバイスをいただきました。当初、ホームページの開設をお知らせするポストカードを100枚プリントしました。現在、まだ30~40枚ほど残っています。宣伝することよりも、「棚田日詩」を続けていくことができのるかどうか?  見ていただくのに相応しい質になっているのかどうか? といった私の能力に対する心配の方が常に先行していました。今も宣伝することよりも、「まずは、自分のレベル(写真・文を含めた内容)をもっと高めていかなければ!」という思いが強くあります。少しづつですが、このホームページを通じて学び、そのことによってレベルを上げていければいいなぁと思っています。

少し自信の欠如した、自分勝手なホームページにも5000を超える閲覧があったということは、私にとっては嬉しくもあり申し訳なくもある予想外の出来事でした。きっとこの予想外も、インターネットの世界だからこそ起こる不思議だと思っています。

もっと予想外で不思議なこともあります。多くの外国の方が来訪されていることです。訪問者数を国別で見ると、アメリカ500、ウクライナ90、中国60、ドイツ40、ロシア・リトアニア各10、他13か国といった具合です。閲覧数で見ると、ルーマニア・ポーランド・イスラエル・ニュージーランド・ブラジルなどの国々の方に多く見ていただいているようです。中国の友人は多くいます。アメリカにも少しいます。しかし他の国の方は、誰一人知りません。しかも極めてローカルな「棚田日詩」をYahooやGoogleの検索エンジンで探すのは不可能に近い至難の業だと思われます。加えて「棚田日詩」は、全文日本語です。このカウントの根拠がまったく分かりません。ひょっとして、現地に在留している日本の方々に見ていただいているのでしょうか? それとも、各国の検索エンジンのようなものが見にきているだけなのでしょうか?  いずれにしてもアナログ人間の私にとっては、不思議な不思議な世界です。もし外国の方に見ていただいているとすれば、日本の農村の持つ輝き、美しさ、そのポテンシャルのようなものがお伝えできればと思っています。そして、少しでも日本に対する関心を持っていただけるならと願っています。

当初の予定通り、あと一年「棚田日詩」を続けていこうと思っています。お付き合いいただければ、こんなに嬉しいことはありません。棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

2013/04/21

下(しも)の方から、水の入った田んぼが徐々に多くなってきた。代掻きや水漏れを防ぐ畦の補修など、田植えに向けた準備が着々と進められている。ただ溜め池を見ると、水が少なく、干からびた土手が剥き出しになっている。この溜め池は、大倉川からポンプで水を吸い上げているのだが、今年はその川そのものの水量が少ないらしい。連休前後から本格的な田植え。水を一番必要とする時期に、この水の量で大丈夫なのだろうか?

松本さんの野菜畑

今日の写真は、松本さんの野菜畑とその周辺の棚田風景である。

奥比叡の里は、基本的には水田の里である。畑は、規模も小さく数も少ない。ほとんどが、家族で食べられる分かご近所に配られる分しか作っておられない。ただ最近は、奥比叡の里でも労働力の高齢化といった問題があり、レンタルの野菜畑が増えてきた。その多くが圃場整備の終わった四角い田んぼの中に作られている。

松本さんも農地を借りて野菜作りに励んでおられるお一人である。松本さんの野菜作りは、既に10年以上のキャリアがある。この辺りでは、農地を借りて野菜作りを始められた草分け的存在である。そのせいか松本さんの野菜畑は、圃場整備された新しい田んぼの中ではなく、昔ながらの美しい曲線を描く棚田の中にある。面積は250坪ほど。素人が手を出すには、持て余してしまうほどの広さである。そこに毎年10種類前後の野菜と果物を育てておられる。棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

 

10年ほど前から松本さんの姿をよくお見かけするようになってきた。当時、じっとしていても辛い真夏の太陽の下、ポリタンクに入れた水を両手にぶら下げて、棚田の坂道を何度も何度も往復されていた。その姿には、感心を超えて感動すら覚えたものだった。今も水には気を使われている。基本的には溜められた雨水と自宅から運んできた水を使っておられる。できるだけ農薬などの混ざらない水で野菜を育てたいと考えておられるからだ。

 

写真には、ネギ・ソラマメ・白菜・万願寺唐辛子・エダマメ・イチゴ・下仁田ネギが写っている。しかしその写真の中には、野菜だけでなく、素人から始められた松本さんの汗と努力も写っている。

2013/04/14

溜め池

米作りという観点から見ると、奥比叡の里は決して水の豊富な所ではない。比較的温暖で雨量も少ない。山々から流れ出る川、といってもどれもが小川のような川ばかりだが、水量も乏しく、急な勾配を下ってすぐに琵琶湖に流れ込んでしまう。その川も、田んぼよりずっと低い所を流れている。そうした事情もあって、この辺りでは田んぼより少し高い所に溜め池がいくつか作られている。平地の溜池と違って、規模も小さく、多くは土手や林に遮られて、一見しただけではどこにあるのか分からない。ひっそりと隠されたような池たちである。

上の写真は、そんな溜め池の一つである。周りは杉や檜の林に囲まれ、普段は訪れる人の少ない静かな、そして地味な溜め池である。ところがこの桜の季節、にわかに水面が華やぎ始める。この小さな写真では分かりづらいが、青空と満開の桜を映しているだけでなく、はかなげな桜の花びらがさざ波に揺られながら水面を漂って美しい。

 

こんな静かな溜め池にも、問題は起きてくる。数年前から、琵琶湖で釣れた外来魚などを放流する人たちがいる。釣り堀代わりにされているようだ。村の人たちに聞くと、その魚たちが田んぼにまで現れ、田植えされたばかりの稲の根を傷つけてしまうそうだ。この辺りの生態系が壊れていくといった問題もあるのかもしれない。いずれにしてもこの山里の小さな溜め池に、いつまでも静かな時が流れていってくれることを願ってやまない。

 

上の写真は、棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

① 「一本桜」の下を軽トラックが一台。ようやく冬を越した春の暖かさ、春の華やかさがそこにあった。

②   桜の蕾が、命の愛らしさ伝えてくれていた

③   ソメイヨシノはクローンだが、命を紡ごうとするエネルギーはいかほどのものか?  満開の桜がその精一杯の力強さを教えてくれているように思えた。盛んに行き交う軽トラック。今年の農作業も、いよいよ戦闘開始だ。

④  「一本桜」の花の中に、大地を耕す人がいた。今年の農作業が、稔り多かれと願った。

2013/04/07

すでに日の出の時刻は過ぎていた。空は厚い雲に蔽われ、朝でもなく夜でもない不思議な光の中にあった。枝打ちされたばかりのクヌギの向こうに、満開の桜と農道が少し妖艶な色彩を帯びて浮かび上がっていた。山道のような曲りくねった農道は、生産性の低い棚田農業の象徴である。条件の厳しい棚田では、平地の3倍・4倍の労力をかけて、収量は1/3・1/4というところもあるようだ。だからといって棚田のお米が高く売れるわけではない。という不条理が美しく目の前にある。

一本桜

上の写真は、今森さんの写真集や著作の中でたびたび紹介され、有名になった棚田の「一本桜」である。ソメイヨシノの寿命は平均60年ほどだといわれている。この老木はすでに樹齢80年を超し、歳を経たものだけが持つ風格と存在感を備えている。この時期「一本桜」を目指して多くの人々がやって来る。棚田はその人々でにわかに賑わいを見せる。この桜の下で、北は東京や横浜、南は広島や福岡の人ともお会いしたことがある。棚田を前景に桜を撮る人、桜の下で記念撮影をされていく人、誰もが棚田独特ののびやかな雰囲気を身体全体に味わって帰っていかれるようだ。

 

 棚田 滋賀県 仰木 棚田米 里山

今週と来週は、この「一本桜」を中心に奥比叡の桜を紹介していきたいと思います。