奥比叡の里より「棚田日詩」 | ふるさと

2013/08/14

ふるさと

結婚して8年間、 私たち夫婦には子どもができなかった。様々な努力を試みたが、そろそろ子どもは諦めて何か老後のための趣味を持たなければ!と始めたのが写真だった。その時35才、生まれて初めて買う一眼レフカメラだった。不思議なもので、すっかり諦めていた子どもをその3年後に授かることとなった。息子であった。彼が1才になる時、「もう少し自然の多い所に」ということで引っ越してきたのが「仰木の里」という新しい住宅地だった。その新興住宅地を取り囲むように滋賀県最大の棚田が広がっていた。いくつかの偶然が重なったとはいえ、子どもが私にカメラを持たせ、私をここに連れてきてくれたのだと思っている。

写真をやり始めた当時は、典型的なサンデーカメラマンだった。日曜日になると、カミさんと愛機のカメラを連れ出して京都方面へのドライブに出掛けたものだった。実際、“謙遜”というものが入る余地がないほどヘタクソだった。だからNHKのカルチャー教室(浅野喜市先生)にも通った。その浅野先生が顧問をされていたNACという写真クラブにも所属した。それでも自分の才能の無さは、そうしたことで補うことはできなかった。

美しい風景を見る→感動する→シャッターを押す、といった具合に写真を撮るのだが、その写真に感動が写っていない。自分でも何を撮ろうとしていたのか分からない、どうして撮ったのかすら理解できない、そんな写真がゴミ箱の中に次から次へと捨てられていく。それでも500枚、1000枚という単位で見ると1枚くらいは「オッ」と思えるような写真が撮れていることがある。いくら才能が無くても、時折奇跡のような「オッ」が写っているので写真が止められない。そして新しいフィルム、新しいカメラ、新しいレンズを買いに走る日々が続く。写真という趣味は、まことに厄介なものである。

カメラの周りには360度風景が広がっている。その風景の中から、四角いフレームでどこを切り取るのか? その四角いフレームの中に存在する様々な要素を、どのように気持ちよく配置するのか?  要するに、画面の構成力というか、構図力というか、そこのところに才能がなく、ヘタクソなんだと当時は思っていたし、実際にそのことで四苦八苦していた。丁度その頃に、奥比叡の棚田と出会うこととなった。

構図のお勉強という意味では、下の写真の棚田には本当にお世話になった。春・夏・秋・冬、何十回この場所に立っただろうか?  そして何百枚の写真を捨ててきただろうか?  失敗と反省の繰り返しの中で、ようやくたどり着いた構図がこの写真である。今から20年程前、奥比叡の棚田と出会って3年目の頃だった。この棚田の他にも、柿の木や農家など、気に入る構図の写真ができるまで徹底的に撮らせてもらった風景が数か所あった。

そうした撮影(失敗と反省)を続けていると、いつからとは言えないが、ある頃から突然、カメラを構えたところが自分にとっての気持ちのいい構図になっていた。何度も転びながら練習を続けていると、ある日突然自転車に乗れるようになる。そんな感覚に近いのかもしれない。なるほど構図力というものは自転車と同じで、失敗の繰り返しの中で獲得する平衡感覚であり、パランス感覚なのだと思った。もっとも構図力などといっても、そのレベルはピンからキリまである。神の領域ではないかと思えるような構図力を持った人もいる。私の場合、ようやくキリの立場に辿り着いたといった感じだった。

振り返ればおよそ9年間ほどの長きにわたって、構図に自信が持てず、カメラを構える度にあれこれと悩んでいたことになる。よく写真を続けてこれたものだと思う。もし奥比叡の棚田との出会いがなかったのなら、ずっと前に写真を諦めていたかもしれない。

私には3つの「ふるさと」がある。

一つ目のふるさとは、私の生まれ故郷となった長野県上田市である。私の父親の実家は、長野県の篠ノ井という所にある。上田市は父親の職場のあった所であり、私はここで4才までお世話になっている。しかし残念なことに、ほとんど記憶が残っていない「ふるさと」である。

二つ目は、私の少年期・青年期(4才~22才)を過ごした京都市である。今の私の問題意識や価値観、世界観や人格といったもののすべての原点が、京都で過ごした少年期・青年期にあると思っている。私がどんなことに感動し、何に興味を惹かれてカメラを向けるのかは、その根底にこの少年期・青年期がある。

三つ目のふるさとが、40才の時に出会うこととなった「奥比叡の里」である。私はここで、我流ではあるが「写真」というものについて学ばせてもらった。これまで何十万回シャッターを押してきたのか分からないが、恐らく95%以上がこの地の農村風景であった。僅かではあるが、旅行先の写真、結婚式やお葬式の写真、音楽ライブやミュージカルの舞台写真なども撮らせてもらってきたが、それらは全て「田んぼ写真」の腕を上げるためであった。

 

(以前にも書かせてもらいましたが、文章を書き始めて3時間が経過すると、 一端その文章は中断させていただきます。これはこのホームページを始める時に決めた私の勝手なルールです。私はこのホームページとは全く無縁の別の仕事を本業としています。そうしたルールを設けておかないと、本業との境界がルーズなものになってしまう恐れがあるからです。勝手なルールで申し訳ないのですが、この文章は後日、時間のある時に完結させていただきます。お許しください)