奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2012 | 11月

2012/11/25

ひつじ田

上の写真は、9月2日にUPしたものとほぼ同じ場所から撮影したものである。9月2日の写真は、黄金の稲穂が垂れた実りの田んぼである。今日の写真は、「ひつじ田」が黄葉したものである。稲刈り後の切り株から出てきた新芽(ひこばえ)を「ひつじ」「ひつぢ」という。漢字では「穭」「稲孫」と書くそうだ。その「ひつじ」の茂った田んぼが「ひつじ田」である。稲刈り後の田んぼは、そのまま放置しておくとこの「ひつじ」によって新緑となり、11月の終わり頃から年末にかけて黄葉した田んぼに変化する。この辺りでは、稲穂を付けるまでに成長する「ひつじ」もある。しかしその穂を指先でつまんでみると、お米は実っていない。恐らく積算気温や日照の不足でそこまでは育たないのだろう。やがて年を越す頃になると、そのまま立ち枯れてしまう。

毎年この「ひつじ田」を見ると、稲という植物の生命力に感動させられる。彼らは、生きる条件が少しでもあれば葉を出し、実を付け、子孫を残そうとする。我々人間からすれば、実ることのない無駄な努力である。しかも毎年々々、この無駄な努力が繰り返され、日本全国の田んぼで繰り広げられている。いったいどれくらいのエネルギーがこの無駄に費やされているのだろう。しかし考えてみれば、結果を考えないこの努力こそが彼らの強さであり、稲という植物(自然)の持つ生命力なのかも知れない。

 

2012/11/21

奥比叡、山の秋

 この季節になると、毎年数回は奥比叡の山の中に入る。雑木の紅葉が美しいからだ。とはいえ、東北などに見られる全山紅葉といったスゴイものではない。奥比叡の山々(仰木)を遠くから眺めると、中腹辺りまでは雑木林が比較的多くある。中腹から山頂にかけては、ほとんどがスギやヒノキの黒い緑の針葉樹林となる。その針葉樹林の中に穴が空いたように、所々に雑木林が広がっている。雑木林の紅葉は、クヌギやコナラが多いせいか、遠くから見ると地味~な茶色一色のように見える。ところが山に入って間近に見てみると、写真のようになかなか味わい深く、美しい。虫などにかじられた葉っぱが多くあるのも、何だか嬉しくなってくる。

かつて雑木林は、柴刈り場でもあった。おとぎ話の桃太郎に出てくる「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」といった柴刈りである。決して、芝刈りではない?! この昔話に語られている“山”は、文字通りの山ではなく、関東あたりでは平野部の雑木林でも山と呼ばれていたらしい。それはともかく、雑木の枯れ枝は、ガスや電気が完備されるまでの貴重なエネルギー源であった。山裾に広がる雑木林だけでは村の需要が充たせなくなり、徐々に山の上の方の雑木林も柴刈り場となり、その集積場となっていった。その名残が今年もまた、私を美しく迎えてくれている。

 

 

 

本業はこれから、お歳暮商戦の真っ只中。恐らく文章を書く時間がないのではないかと思っています。写真だけのDiaryになるかもしれません。ご了承ください。

2012/11/18

大倉川上流にて

お詫び

 本業の仕事がタイトなため、今週は水曜日に更新させていただきます。

 

 

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祈り

2012/11/11

里の秋色

 

今週は、本業の年末に向けた仕事が忙しく、文章の方はお休みさせていただきます。奥比叡の里の秋色をお楽しみください。

6枚の写真のちょっとコメント。一番上の写真から

①  どんな強い力が加えられたのか? 太い幹が真っ二つに裂かれた柿の木のシルエット    ②  紅葉を映した溜め池に漂う落ち葉    ③  どこにでもある秋の棚田の雑草たち    ④  小さな小鳥(シジュウカラ?)と柿の木のイルミネーション    ⑤  ちょっと一服、スコップが主役。山裾の雑木林が秋色に染まっていた    ⑥  山の向こうに落ちる夕焼け雲(イノシシがあわてて山陰に逃げ込むように見えた)

2012/11/04

乾田・湿田

稲刈りが終わっても仰木の棚田は忙しい。田んぼの「乾燥」という一仕事が残っている。山の斜面に築かれたかつての棚田は、自然に地下水が浸み出し、一年中水の抜けない湿田がそこかしこにあった。「子供の頃は田んぼに厚い氷が張って、その上を滑って遊んだもんや」とおじいちゃんから聞かされたことがある。春先にはその氷が解け、膝のあたりまで沈み込んでしまう泥の田んぼであった。手作業で田植えをしていた頃は、その湿田のままでも良かった。しかし泥深い田んぼでは、機械を入れることが難しい。湿田での重い泥田を耕す農作業は、文字通り「骨の折れる」仕事であり、収量も低かった。土壌改良や水管理のしやすい乾田に比べてお米の質も悪かったと聞く。戦後のわが国では、この乾田化が大規模に行われた。この仰木でも、昭和30年代の後半頃から乾田化が進められた。

乾田となった今でも、放っておくと自然に水が浸み出してくる。田んぼの周囲に深い溝を掘り、田んぼの中心部にまで水が浸潤しないようにする。秋耕し、畝を立てる。棚田の土手の草刈りをこまめに行う。等々、乾燥のための農作業が今日も行われていた。

 

 

ありがとうございました ————————————————————————————————————-

 ホームページ開設から、半年を迎えることができました。毎週日曜日の更新は、正直、試行錯誤、四苦八苦といったところです。作業はできるだけ、仕事の休日である日曜日に決めています。リアルタイムな奥比叡をお伝えしたいと思い、1~3時間が写真撮り。1時間が写真の選択とレタッチ。更に2~3時間が文章といったルーチンになっています。文章が途中で終わっている日は、文章を書くのが3時間を超えてしまったからです。別の機会に続きを書かせていただこうと思っています。いずれにしても、写真も文章も、日曜日になってからの出たとこ勝負です。まず季節にあった写真を決め、その写真を30分ほど眺めて、文章を書き始めます。統一的なテーマに沿って、何かを書いているわけではありません。散漫なDiaryになっていると思います。しかしヘタクソな文章、散漫なテーマの中にも「奥比叡の里」への愛情はその底流にあったと思っています。

この半年間、お付き合いいただきありがとうございました。これからも時々覗いていただければ、それが一番の励みになります。宜しくお願い申し上げます。