奥比叡の里より「棚田日詩」 | 蜂の死

2014/04/13

蜂の死

足元で何かが動く気配がした。見てみるとクマ蜂だろうか?  桜の花びらを抱いて苦しげに悶えていた。どのような原因でそこに倒れていたのか分からないが、あと数時間の中に彼の命が絶えるであろうことはすぐに分かった。死の間際にあってもなお彼は、レンズの向こうから射抜くような視線で私を威嚇していた。それは、死を恐れる視線ではない。種としての任務を最期まで全うする視線であった。数秒だろうか、レンズを介して互いを凝視する中で、私にはそう見えたのだった。私は、彼のDNAに刻まれた生命の凛々しさのようなものを感じながら、ゆっくりとシャッターを落とした。

この後、彼が鳥や昆虫たちに食べられてしまうのか、微生物などによって分解され土に戻っていくのかは別にして、他の命の糧になることは間違いない。先祖から受け継がれてきた田んぼ。その田んぼの土には、彼らと同じ無数の昆虫やミミズ、微生物やバクテリア、カエルやモグラなどの小動物、そして無数の植物の生命が、その生と死が積み重なっている。その土の中で稲が育ち、やがて私たちの生命をも繋いでいく。無数の死者が生者を育む。私たち人間も、大自然の生命の循環の中で生きている。生かされている。