奥比叡の里より「棚田日詩」 | 春の予感

2013/03/03

春の予感

3月になった。暦では春である。しかし今年は雪の舞う日も多く、棚田はまだ茶褐色のモノトーンの世界にある。畦や土手は枯草に覆われ、柿の木や雑木の枯れ枝が北風に耐えている。棚田は全体として冬の景色である。

 

昨晩も雪が舞い、仰木の村も棚田も薄い雪化粧の中にあった。春の雪景色の命は短い。今日午後から田んぼに出てみると、雪はすっかり消え、奥比叡の山々の斜面に白いものがポツポツと残る程度であった。カメラを持たずに、一時間ほど田んぼの中を歩いた。肌寒い風が身体を引き締める。時折雲間からのぞく太陽が、頬を優しく温めてくれる。寒さの中の暖かさ。本当に気持ちがいい。私はいつも、この暖かさの中に春の到来を予感してきたのかもしれない。この心地よい世界を身体の隅々に感じたくて、ゆっくりゆっくりと、一歩一歩を踏みしめながら歩いた。気が付けば小さな羽虫が黒い集団となって頭の上をうるさくついてくる。羽虫は時折口などに入って気持ちのいいものではないが、この虫が出てこなければ、この虫を食べるトンボなどの少し大きな昆虫も現れてこない。私にとっての羽虫は、本格的な春の生命のめざめを誘う先導者なのである。もうそこに春が来ている。

 

足元を見れば、ホトケノザやオオイヌノフグリ、タンポポなどの花が枯草の中に遠慮がちに咲いていた。棚田の土手を味わうように見ていかなければ見逃してしまうほど、まだまだ枯草に隠れた彼や彼女たちである。それでも、あと一月もすれば、彼らが畦や棚田の土手の主役になっていく。

冬の間に崩れた水路や土手を補修する槌音が、夕暮れ近くまで平尾の谷間に響いていた。