奥比叡の里より「棚田日詩」 | 収穫の歓び

2012/09/09

収穫の歓び

上の左の写真は9月5日、右は9月8日の撮影。8月の終わりから始まった稲刈りは、棚田の風景をドラマチックに変化させていく。これから二週間もすれば、ほとんどの田んぼで稲刈りが終わっているはずだ。8日の土曜日には、「平尾 里山・棚田守り人の会」主催の稲刈りと稲架掛け(ハサがけ)の作業が行われた。棚田オーナーになっておられるご家族やお友達、なぜか近畿大学文学部?の先生と学生さんなど、スタッフを含め総勢80名ほどの方々が参加されていた。既に棚田は、コオロギや秋の虫たちの大合唱の中にあった。

 

午前中は曇り空の中に、まだ青空が覗いていた。湿度は高く、雨の降りそうな気配の中で稲刈りが始まった。昼前になって、にわかに激しい雨が降り出してきた。刈り取られた稲束をそのまま放置しておくことはできない。早く稲架(ハサ)に掛けてしまわなければならなかった。私も写真など撮っている場合ではなかった。カメラを置いて手伝わさせてもらうことにした。畔に積み重ねられた稲束を両腕いっぱいに抱きかかえ、何十回と稲架の所に運んでいく。その稲束の一つ一つを真ん中あたりで二つに分けて稲架に掛けていく。作業は至って単純なのだが、普段力仕事をしていない身体には結構厳しいものがある。加えて蒸し暑い。幸いにも雨は1時間ほどで止んでくれた。2時半頃には全ての田んぼで作業が終え、立派な稲架掛け(ハサかけ)が出来上がっていた。最後に「守り人の会」の西村さんの所に行くと、田んぼのあちこちに落ちている稲穂を一本一本丁寧に拾い集め、それを束にして稲架に掛けておられた。「私は昔の人間やさかい、こんなもんでももったいなくて・・・」という言葉が、疲れた体の中で響いていた。


万葉の昔から千数百年も続けられてきたこの地の棚田農業も、その継続、存続という点では、今が最も厳しい状況にあるのかもしれない。水路や森の管理、田植えや土手の草刈り、雑草取りや稲刈りなどなど、働き手の絶対数が足りない。老齢化も進んでいる。本当に小さな田んぼは、既に耕作放棄されている。私が見てきた23年を振り返ってみても、少しずつ田んぼが荒れてきたように思われる。「守り人の会」の活動や棚田オーナー制度は、正に時代が求める方策の一つなのだろうと思う。また、それに携われる方々には頭の下がる思いがする。ただその中心に、村の若者たちがいてくれることを願ってやまない。

作業を終えた頃には、上半身はもとより、ズボンまで汗で濡れていた。家に帰ると一目散で風呂に入った。稲束を抱えた両腕が赤く腫れ、ヒリヒリと痛い。まさか作業をするとは思っていなかったので、半袖シャツのままだった。やはり農作業は、長袖でするものだ。夜、両腕を見ると、ミミズ腫れのようになっている。しかしこのミミズ腫れは、なぜか今日一日だけの勲章のように思われた。

 

今日、稲架に干された稲は、9月23日(日)棚田の中で脱穀されます

詳しくは、「平尾 里山・棚田守り人の会」のHPをご覧ください

http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html

 

上の写真は全て、作業をされた田んぼとその周辺で撮影したもので構成させてもらいました。快く撮影させていただき、本当にありがとうございました。

「守り人の会」のHPでも、当日の活動日誌と写真が掲載されています。

http://oginosato.jp/moribitonokai/ownernissi/2012/09/201298.html


里山めぐりツアー「湖西の川端を訪ねて」—————————————

9月3日~7日に掛けて、日興トラベルさんの「湖西の川端(かばた)を訪ねて」というツアーが、仰木の棚田に立ち寄られた。これは、写真家の今森光彦さんが紹介された仰木や高島の里山をめぐるツアーとなっている。仰木を案内されるのは堀井さん。戦国時代からの仰木の歴史を紐解いた解説は、なかなかの名調子だった。同時に、今年採れたての新米と仰木の地酒も販売された。新米の方は、すぐに完売となった。