奥比叡の里より「棚田日詩」 | 明けましておめでとうございます

2023/01/01

明けましておめでとうございます

1990年代初頭のソ連邦の崩壊は、ある意味米ソの対立したブロック経済の崩壊でもあった。それまで世界経済の20%ほどを占めていたソ連圏の経済ブロックが崩壊し、グローバル化という合言葉の下にアメリカを中心とした単一の経済ルールの中に引き込まれることとなった。旧ソ連圏の農業もまた、世界的な分業の網の目の中に組み込まれ、グローバル化の波の一翼を担うようになってきた。

ところが昨年のロシアによるウクライナ侵攻後、事態は大きく変わりつつあるようだ。グローバル化の中では、北朝鮮やイラン等といった局所的な問題(失礼はお詫びします)はさておいて、概ね国家間の政治的対立が、国家間の経済的関係を根本から損なうということはなかったように思われる。ある意味、大多数の国々と安心して貿易ができると思われてきた。

そこに昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻である。もとよりエネルギーや食糧は、人間が生存していく上での基本的な資源である。その資源が、戦争を有利に進めるための武器として利用されるようになった。何億人という人々が飢餓の淵に立たされている現実を前にして、どうして食料を政治の道具になどできるのだろうか、許されないことである。

しかし視点を少し変えてみよう。ロシアによるエネルギーや食糧を使った世界的な脅しや禁輸処置も、ロシアに対するアメリカの経済制裁も見ようによってはあまり変わらない事柄であるともいえる。ここで問題となるのは、政治が世界経済を、政治が国際的分業を分断し始めたという事実である。しかもその経済的分断の規模が、全世界に影響を及ぼすほどになっているということである。折しも米中の対立が、半導体等に見られるある種の経済分野の分断とも相まって、世界経済のある種の分野は大国の政治的対立によって再びブロック化していくようにも見える。

こうした中で盛んに言われ始めたのが「食料安全保障」である。政治的理由によって思い通りの食料が輸入できなくなるとすれば、その需要の多くを輸入に頼ってきたわが国にとっては厳しい状況が待っていると言わざるを得ない。当然こうした状況下では、わが国の国内で充足する自給自足的な農業をできるだけ推進していこうという声が聞こえてくる。

 

ところで私にとっての最大の関心事は、「食料安全保障」「自給自足的な農業」といったキーワードが、この地の棚田農業をどのように変えていくのかという点にある。休耕田はどうなるのか?   獣害対策をどうするのか?   生産性をどうやって高めていくのか?   若い後継者は農業を継いでいってくれるようになるのだろうか?   里山環境はどのように変化していくのだろうか? 等々である。

 

今年の新年は、時代の大きな曲がり角となるのではないかと感じている。ロシアによるウクライナ侵攻を契機に、わが国の軍備の大幅な増強が現実のものとなっている。また「食料安全保障」という視点からわが国の農業の在り方が問い直されている。容易に世間の風潮に流されず、しっかりと自分の考えを持つことが求められているように思う。

全ての人々に、先ずは平和を、そしてご多幸をお祈り申し上げます。