奥比叡の里より「棚田日詩」 | ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑤

2015/03/22

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑤

私が初めて「里山」という言葉を知ったのは1993年か94年の頃である。当時の私は、「里山」をどのように理解したのだろうか?   2013年5月12日のDiary「里山について」を見てみよう。

【その時理解した「里山」とは、(できるだけ今森さんの言葉をなぞらえば)①  人間の手の入らない無垢の自然を第一次的な自然だとすれば   ②  里山は、人の暮らし、人の営みと互いに影響を及ぼし合って存在する生命ある自然。無垢の自然に対して里山は、二次的な自然だともいえる。要するに、人の暮らしと共にある生物学的自然、その空間だと理解した。厳密な意味で、今森さんの言う「里山」がこの理解で正しいのかどうかは自信がないが、当時も今もこのように思っている。】と書いている。

ここから、私の理解した「里山」と環境省が規定する「里地里山」の概念の違いをみていこうと思うのだが、その前に今一度環境省のいう「里地里山」の概念を確認しておきたいと思う。

「里地里山」は、【都市域と原生的自然との中間に位置し、様々な人間の働きかけを通じて環境が形成されてきた地域であり、集落を取り巻く二次林と、それらと混在する農地、ため池、草原等で構成される地域概念である。】と定義している。

この二つの「里山」についての概念の違いは明らかである。環境省の「里地里山」の定義では、《集落を取り巻く二次林・農地・ため池・草原等》とその地域にある地理的特徴によって規定されている。他方、私の理解した「里山」には、そうした具体的な地理的特徴は既になく、人間の営みと相互関係を持って存在する生きものたちの二次的自然が「里山」だと言うだけである。

世界の里山の地理的特徴は多種多様である。仮に農林水産業や畜産業といった第一次産業の営まれる地域に限ってみても、熱帯雨林における農業もあれば、大草原における牧畜もある。一年の大部分が雪と氷に覆われた地域にも、水に恵まれない乾燥地域にも、大都市に隣接した地域にも、多種多様な食物等を生産する第一次産業は存在し、同時に里山も存在している。その産業(里山)を支える地理的特徴は、《集落を取り巻く二次林・農地・ため池・草原等》の規定では捉えきれない多様性を持っているはずである。そして、その多様な地理的特徴こそが、生物多様性を生み出しているのではないのだろうか。

残念ながら、環境省の狭い地域概念を里山とするのなら、日本の農業環境から生み出される里山は説明できても、世界に広がる里山を捉えることはできない。というよりも、【集落を取り巻く二次林と、それらと混在する農地、ため池、草原等で構成され】ない所は、里山ではないということになってしまう。ついでに言えば、環境省の「里地里山」の概念を外延的に広げていったIPSIの「社会生態学的生産ランドスケープ」という概念もまた、例えば都市部における貴重な里山環境を捉えることができなくなってしまう。

他方、私の理解した「里山」は、個別具体的な里山の地理的特徴を一般化し、普遍的な概念にまで昇華されたものである。日本の農業地域にせよ、アメリカの畜産地域にせよ、熱帯雨林における農業地域にせよ、いかなる地域にせよ、そこにある里山の普遍的に存在する共通項は、人の営みと相互関係を持つ自然(生態系)だということである。

普遍的な概念にまで昇華された「里山」の意義は大きい。