奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2014 | 8月

2014/08/31

いきなり秋

 今年の夏は曇り日が多く、奥比叡の辺りは少し日照の少ない冷夏だったのではないかと思う。例年残暑の厳しい盆明けからも雨の日が多く、夏に戻らないまま秋になってしまったようだ。異常気象だと言われている。昨年も確か「猛暑」での異常気象だと言われていたのではないだろうか。

今日の写真は、22~23年ほど前の丁度今頃の風景である。もし1993年の写真だとすれば、その2年前のフィリピンピナツボ火山の大噴火の影響もあってか、冷夏と台風に苦しめられた年であった。確か、外米を緊急に輸入していた記憶がある。しかし当時は、今ほど異常・異常と言われていなかったように思う。もう少し気候も安定していたのではないだろうか。あれから20年という時を経た。温暖化といわれる気候変動の進行は、思っている以上に速いのかもしれない。

 

他のテーマで書こうと思っていたのですが、今週は仕事が忙しく、あまり長文になる文章は書けませんでした。

 


 

田んぼはすっかり黄色に染まっている。ここに来て曇り日や雨の日が多く、収穫のタイミングが難しい。それでも、例年より少し遅れ気味の稲刈りが始まった。

 

2014/08/27

もうすぐ、新米!

今年もようやく、新米が採れようとしています。今年は、曇り日も多く、

どんなお米に育っているのか? 心配でもあり、楽しみでもあります。

 昔ながらの棚田で採れたお米はいかがですか?

仰木棚田米を一度食べてみようと思われる方は、

下記のURLを覗いて見てください。

http://tanada-diary.com/7393

http://tanada-diary.com/tanada-products/fp_01

 


 

ここはお米の生産現場であり、農業という経済活動が営まれている空間です。「昔ながらの棚田」の景観や「里山環境」がどんなに素晴らしくても、先ずはお米が再生産できる価格で売れなければ、あるいは買っていただくことができなければ、この環境を守り、維持していくことはできません。

私は都会で生活する一人でも多くの人々に、この地の美味しい棚田米を知っていただきたいと思っています。ぜひ一度、食べていただきたいと思っています。但しここでの「仰木棚田米」の応援は、私の勝手な行為であり、お米の売買には一切タッチしていません。

「昔ながらの棚田」で育てられるお米の量は少なく、限られたものです。もし申し込まれたとしても、在庫がなくなり、農家からお断りされるかもしれません。何卒、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

2014/08/17

残暑御見舞

写真に写る積乱雲(入道雲)は、俳句で言えば夏を代表する季語のようなものである。それが写っているだけで「夏」だと感じてしまう。しかし夏だからといって、いつも積乱雲が湧いているわけではない。黒い雲に覆われた雨の日もあれば、少し陽射しの和らぐ曇り日もある。今日の写真は、積乱雲の湧く厳しい夏ではなく、穏やかな夏の一時を写したものである。花は、小オニユリだろうか?

まだまだ暑さの厳しい日が続いていくものと思われます。皆様くれぐれもお身体、ご自愛ください。

2014/08/13

台風11号

10日の未明から雨と風が強くなった。雑木林や竹林を激しく揺さぶる強風が、断続的に棚田を吹き抜けていく。穂を付けて2週間ばかりの稲は、風の中で右に左に大きく揺さぶられ、中には倒されてしまうものもある。雨は風に乗って横殴りに降ってくる。少し大きな雨粒が頬に当たると、ピシッと砂粒が当たったように痛い。雨水をため込んだ田んぼからは、溢れ出した水が勢いよく水路や農道に流れ出し、やがて川に合流していく。いつもは川底を覗かせている天神川は、見る見るうちに水量を増し、恐怖を抱かせる濁流となって一気に流れ下っていく。

それでももし、田んぼに貯水機能が無く、降った雨が直接川に流れ込むとしたら、恐らく下流に住む人々はいつも洪水の危険を心配しなければならなかっただろう。

まだ稲穂が米として充分育っていない。収穫まで、早く見積もっても2週間以上はある。こんな時期の台風11号は、農家にとっては辛いものがある。(倒伏をご参照ください)もし稲が根元から完全に倒されてしまうと、予定収量の4割ほどが減ってしまうと予想する人もいる。収穫の作業も何倍もの手間暇が掛かってしまう。農業としては大打撃である。そんな心配の中での台風であった。全国の被害を受けられた農家の方には申し訳ないが、ここは暴風雨圏内にあったとはいえ、台風の中心からは遠く離れていた。そのせいか、倒伏した稲は部分的で少なかった。また、稲穂が成熟前で軽かったのが幸いしたのか、倒れ方も完全に寝てしまうというほどひどいものではなかった。まずは、一安心である。


 

下の写真。この牛は農耕用ではなく、食用となる黒毛和牛である。ちょうど台風の来る一週間ほど前、土手の枯草を食べようとして川底まで滑り落ちたものである。自力で上がることはできないようだった。川は天神川。当時は水量も乏しく、1/3~2/3ほどの川底が露呈していた。牛はこの川底で枯草を食み、水を飲んで、快適に過ごしているように見えた。ところがである。台風によって濁流が押し寄せ、牛の立っている所だけがかろうじて陸地として残される状態となった。実は、川底に落ちた牛は二頭いたのだが、その内の一頭はすでに救出されていた。この後1時間ほど掛かって、この牛も無事に引っ張り上げられることとなった。この写真では分かりにくいが、牛の首は長いロープに繋がれ、土手の上で固定されていた。救出後しばらくすると、下の写真のような濁流が、牛の立っていた所をあっという間に呑み込んでいった。

 

2014/08/03

稲の花

私が稲の開花を確認したのは7月23日の水曜日であった。といっても、まだ一部の田んぼだけで、ほとんどの田んぼで開花は始まっていなかった。ところがその4日後の7月27日(日)になると、反対にほとんどの田んぼで稲穂が姿を現し、その稲穂に薄黄色の小さな花を咲かせていた。この間、気温35℃前後の猛暑日。晴れた日が続いたこともあって、順調に開花が進んだようだ。

開花は、気温30℃を超す晴れた日の空気が乾燥してくる状況の中で行われる。その日の気象条件にもよるが、午前10時から12時頃に多く見られる。先ず、エイと呼ばれる稲穂の殻(モミ殻)が上の方から二つに割れる。その中から6本の雄しべが顔を出す。反対に雌しべはエイの底の方にあり、よほど覗きこまないと見えない。雄しべの花粉を包んでいる葯(ヤク)が乾燥してくると、花粉が落下し、雌しべに付着する。受粉である。受粉をしてしまうと、エイと呼ばれる殻を再び閉じ、役割を果たした雄しべはそのまま外に残され、やがて枯れていく。今日の写真は、受粉後、閉じられたエイ(殻)の外に雄しべ(葯と花糸)が取り残されたところである。一般的には、この雄しべの部分が「稲の花」と呼ばれている。

この後エイの殻の中では、光合成によって得られたブドウ糖をデンプンに変え、雌しべの根元にある子房というところに蓄積していく。稲からすると、これが次の世代の種子となる。私たち人間からすれば、それがお米となる。

稲穂の出現によって、田んぼは心なしか黄色くなってきた。収穫まで、あと一月ほどである。