奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2014 | 2月

2014/02/23

準備

休日に仕事の入ることが多く、久しぶりに田んぼに出てみた。今日は、そのリアルタイムな仰木の写真である。枯れたひつじ田、寒さに耐える雑木の梢、2月の冷たい風が谷を吹き抜けていく。まだ辺りは冬景色である。目の前に、野焼きされた棚田の土手が何段か積み重なっていた。茶褐色の枯野に、真っ黒に焼かれた土手はいやがうえにもよく目立つ。田植えまでには、まだしばらくの時間がある。それでも棚田では、少しづつ少しづつ、今年の米作りに向けた準備が進められていた。

2014/02/16

気が付けば・・・ありがとう!

得意先からの依頼があり、昨年の11月から本業の仕事の方で新商品の開発が始まりました。加えて12月は、お歳暮商戦の只中にあり、慌ただしい年末を過ごしてきました。1月に入っても得意先への新年の挨拶回りや商品開発に手を取られ、中々忙しい年始となってしまいました。そんな訳で、HPの方は毎週更新するのが精いっぱいで、来訪者のカウントを見る余裕がありませんでした。商品開発も一段落し、先日久々にカウントデータを見てみると、何と閲覧数が15,000回を越えていました。HPを始めた当初からほとんど宣伝してこなかったことを考えると、この閲覧数はインターネットというものの不思議としか言いようがありません。

このHPは、矛盾した気持ちで始めました。片方では、一人でも多くの人々に、奥比叡の農業環境や里山の現状を知っていただきたい。できれば、美味しい奥比叡の棚田米を食べていただきたいと思っていました。反面、自分自身の写真と文章のお勉強のようなHPですので、余り多くの人々に見ていただくのは申し訳なくもあり、できるだけ「ひっそり」としていたかったという気持ちでいました。こうした矛盾した気持ちの中で、閲覧数の変化を眺めてきました。もちろんHPの世界では、1日に10万回や100万回の閲覧のあるコンテンツがあるとも聞いています。しかし私の写真と文章のレベルからして、この15,000回の閲覧は多すぎるようでもあり、嬉しくもあります。

私のHPへの延べ訪問者数は、現在10,000人を超えています。その2/3が外国の方々だということにも驚かされます。国別にみると20か国以上の人々に見ていただきました。日本と中国の方が3500人強でほぼ同数。アメリカが1,200人、ウクライナが500人、台湾350人、インド250人、ロシア200人、カナダ150人、ドイツ100人、他にルーマニア、パキスタン、インドネシア、韓国、香港、ベネズエラ、フランス、ブラジル、リトアニアなどの国の数十名の方々に見ていただいているようです。

10名ほどの中国の親しい友人には、HPの開設をお知らせしました。それ以外の外国の方とのお付き合いは、ほとんどありません。にもかかわらず、この広がりをどう考えたらいいのか?  不思議でなりません。ただ最近は、これこそがインターネットなのではないかと思い始めています。

ここに「棚田日詩」に訪問していただいた全ての皆様に、心からの御礼を申し上げます。本当に!本当に!ありがとうございました!

2014/02/09

タイムカプセル

本棚の雑然と並べられたバインダーや本の間に、隠れるように小さな紙袋が挟まっていた。その紙袋を何気なく抜き出してみると、何とその中から20年以上も前のものと思われるフィルムが100枚ほど出てきた。今日の写真は、その中の一枚をスキャンしたものである。紙袋に入れたこと自体、既に記憶がない。昔は、気に入らないフィルムをどんどん捨てていた。恐らくこのフィルムたちも、捨てるつもりで紙袋にまとめられていたのではないかと思われる。

ポジフイルムをそっと光にかざしてみると、何とも「懐かしい」伊香立の棚田が浮かび上がっていた。朝霞と琵琶湖の向こうに近江八幡の半島と沖島も見える。ここで「懐かしい」と書いたのは、今はこの風景を見ることができなくなっているからである。この棚田はすでに圃場整備され、四角い田んぼに生まれ変わっている。

 

このフィルムをどうして捨てようと思ったのか?  今では分からない。撮ったことすら忘れてしまっている。ただ考えられるとすれば、この写真があまりにも地味だったからではないかと思われる。しかし1月・2月の奥比叡は、冬枯れの棚田が当り前で、寂しくもあり地味であり、むしろ肅条とした美しさこそがこの季節の特徴だと思っている。当時は、そうは思えなかったようだ。

記憶というものは頼りないもので、何百回となくこの風景の前を行き交い、見てきたにもかかわらず、すっかり忘れてしまっている。恐らく地元の人でさえ、田んぼの形状や配置を正確に思い出せる人はいないだろう。更に世代が代われば、この風景は人々の記憶から完全に消えていく。

私は、奥比叡の棚田を後世への「記録」として撮影してきたわけではない。それにもかかわらず、記憶から消え去ってしまった風景が、20年という時を経て甦る不思議。写真というものは一枚のタイムカプセルでもあるようだ。

2014/02/02

竹林

気が付けば奥比叡の撮影を始めて25年目を迎えている。この間、柿の木やクヌギのハサ木などは、年々その数を減らしてきた。そうした中にあっても竹林や笹の類だけはその勢力を伸ばし続けてきたように見える。この写真の竹林は行き届いた手入れがされているが、ほとんどの竹林が足を踏み入れるのに躊躇するくらい荒れ放題となっている。竹林の整理にまで手が回らなくなってしまっている。それにしても、今年は雪が少ない。これは1月19日の未明に降り積もった時のものである。