奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2012 | 6月

2012/06/24

分蘖

分蘖。都会の人でこの漢字をスラスラ読める人は少ないだろう。「ぶんげつ」と読む。と偉そうに書いているが、私も読めなかった。切り株などから出る新芽を「ひこばえ」というが、蘖(げつ)はその「ひこばえ」を意味する漢字だそうだ。分げつは、稲の成長の仕方を表す重要な言葉である。稲は、その根元の辺りの節から次々と茎を増やし、株別れしていくことによって成長する。その状態を分げつという。この辺りでは一本の苗から6~7本の茎を出させる。田植えの時、4本ほどの苗をまとめて植えるため、分げつすれば24~28本前後の茎で一塊ということになる。通常、一本の茎に一つの穂をつける。とすれば、更に分げつを繰り返させ、茎数を増やしてやれば収量も増えるということになる。ところがである。量だけを追い求めれば、質が下がるというのは世の常である。米づくりもご同様。欲張ってはいけない。何事にも頃合いというものがある。その頃合いが、先に示した茎数である。

 稲の成長は、大きく見て《栄養成長期》と《生殖成長期》の二つの時期に分かれる。更にこれを細かく見ると、《栄養成長期》は「育苗期」(発芽から田植えまで)と「分げつ期」(田植えから幼穂分化)まで、その後に続く《生殖成長期》は「幼穂発育期」(幼穂分化から開花まで)と「登熟期」(開花から収穫まで)に分けられる。ここ奥比叡の辺りの「分げつ期」は、5月初旬の田植えから7月に入るか入らないかといった時期にあたる。

この写真は、「分げつ期」の後半(最高分げつ期)の頃であり、これから茎の中で幼穂(お米の赤ちゃん)が分化していくという微妙な時期、すなわち、《栄養成長期》から《生殖成長期》へ移行しようとする時期の田んぼである。この後、稲は葉を茂らせ、どんどん背丈を伸ばし、やがて空を映している水面も覆い隠していく。夏雲と緑一面の棚田が現れるのも、もうすぐだ。


土手の草刈り「平尾  里山・棚田守り人の会」————————————————

「守り人の会」の西村さんの顔は、汗と泥と葉っぱの切れ端で汚れていた。その汚れた顔の中に笑顔があった。誇り高い百姓の顔である。今日は、30名ほどのボランティアの方々と土手の草刈りをしているとのこと。村の人だけでは、草刈りも難しくなってきているようだ。私の写真は、こうした汗を流し、棚田を守ろうとされる熱意と善意を持つ人々の支えがあって初めて成立するものである。皆様、ご苦労様。本当にご苦労様! そして感謝!!

平尾  里山・棚田守り人の会    http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html



連続講座 淡海の夢「仰木・棚田写生会」——————————————————

今日、田んぼに出ると成安造形大学:近江学研究所主催の写生会が催されていた。学生さんからおじいさん・おばあさんまで幅広い年齢の方がそれぞれの棚田を描いておられた。キャンバスの上には、ゆっくりだが素敵な時間が流れているように思った。 絵は、書きたくないものは省略できるが、写真は写ってほしくないものまで写ってしまう。少し絵がうらやましくもあった。この写生会のことは、主催者のHP上でも報告されるそうだ。成安造形大学のHPを覗かれると、こうしたイベントの情報が得られると思います。

成安造形大学 附属近江学研究所  http://www.seian.ac.jp/omi/

成安造形大学  http://www.seian.ac.jp/

2012/06/17

生命(いのち)のざわめき

稲の背丈も順調に伸びてきているようだ。稲の成長の早い田んぼでは、株と株の間にあった空間も、増えた茎と葉で埋めつくされ、徐々に田んぼの水面が覆い隠されるようになってきた。そうした田んぼを姿勢を低くして横から覗き込むと、うっそうとしたジャングルのように見えてくる。この写真は、昇ってくる朝日を背景にバッタの美しい姿態に魅せられてシャッターを切った。このすぐ隣の葉っぱの間には金色に輝く蜘蛛の巣が張り巡らされ、子供のような小さなクモが獲物の掛かるのをじっと待っていた。ここは20坪ほどもない小さな田んぼ。稲の葉先に溜められた朝露といくつもの蜘蛛の巣がキラキラと輝いていた。やがて空も白み、辺りが明るくなってくる。オタマジャクシが水面を波立たせ、薄緑のカエルが稲の茎にしがみついている。シジミチョウが飛び交い、名も知らない小さな蛾や虫たちがいっぱい目の中に入ってくる。水面の下をじっと見ていると、ミジンコのような何やら分からない微生物がうじゃうじゃとせわしなく動き回っている。この小さな田んぼに、いったいいくつの生命が生きているのだろう。ザワザワ、ザワザワ・・・・・ 一夏だけの生命のざわめきが聞こえてくる。

2012/06/10

祈り

この辺りでは、毎年今頃が気象庁による梅雨入りだ。梅雨といえば、ジメジメ・ベトベト、カビや食中毒を思い起こさせる不快な季節の代表格だ。しかし、米作りにとっては欠かせない季節でもある。雨の少ない「カラ梅雨」は、人にとっては過ごしやすいが、お米にとっては大敵である。今年の梅雨は、どうなるのだろうか? 

この写真は、伊香立の生津の里を見下ろすかたちで撮影したものである。花の手前にある十個ほどの花崗岩の塊はお地蔵さんである。元々ここにあったものではない。圃場整備が進むとこうしたお地蔵さんが、そこかしこで掘り出されるようだ。この辺りのどの村もそうなのだが、突然現れたお地蔵さんを決して粗末に扱うことはない。必ず一か所に集められ、再び祈りの対象として大切にされる。正直、私個人を振り返ってみれば、宗教的なものとは最も縁遠いところで生活してきたように思う。それでもお地蔵さんたちに込められた村人たちの願いや祈りは痛いほど分かるような気がする。このお地蔵さんたちは、村を見守るかのような場所に置かれている。そのことだけを見ても、村の人たちとお地蔵さんが心の奥底でいかに深く結び付いているのかが分かる。人間的。極めて素朴ではあるが人間的な風景だと思った。

 

2012/06/03

柿の木を見上げると

5月初旬の田植えから一月ほどが経つ。風に揺られて頼りなげだった稲も、しっかりと根を張り、強い雨にも風にも負けないくらいの逞しさを備えてきた。柿の木の葉っぱも柔らかな黄緑色から肉厚の濃い緑色に変わってきた。6月初旬の柿の木は、小指の先ほどの白い花もほとんどが散ってしまい、葉っぱの根元あたりに可愛い柿の実の赤ちゃんを育んでいる。自然音痴の私は、奥比叡の里と出会うまで柿の木に花が咲くことを知らなかった。しかも柿の木もいっぱい撮影していたにもかかわらず、3年近くもの間、柿の花に気付くことはなかった。ある日足元を見ると、小さな白い花がいくつか落ちていた。何の花だろう? と見上げてみると、何とそれが柿の花だった。初めて知る事実に心は驚き、高揚した。そのことを自慢したくて友人を柿の木の下に誘ったことがある。その時友人が一言。「ナンヤ、地味な花やなぁ!!」  それは違う。これは「謙虚な花」なのだと、私は今でも思っている。


地味な?柿の花。柿の種類によってか、花数は少ないがもう少し大きな花を咲かせる木もある。