奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2013 | 11月

2013/11/24

伊香立秋色

 

今週は、年末の仕事が忙しく、写真と簡単な文章のみとさせていただきます。今日の写真は、仰木の隣にある伊香立のリアルタイムな秋色です。ようやく里にも秋が降りてきました。

伊香立は、光源氏のモデルとなった源融公(みなもとのとおる=嵯峨天皇第八王子)の荘園のあった里だと言われています。そしてここには、公を祀る融神社(とおるじんじゃ)が今もその記憶を伝えています。遥か古(いにしえ)の彼は、どんな秋色を見ていたのだろうか。

2013/11/17

里の秋、山の秋

この辺りでは「天気雨」のことを「キツネの嫁入り」と言う。こうした日は、家にいても落ちつかない。虹の出る可能性が高いからだ。季節や時間帯によって、どの辺りに虹が出るのか大体分かるので、家を出て一目散でこの小屋の所に来た。案の定、小屋と木立のすぐ後ろに青緑に光る虹の帯があった。山から空に架けてもっと高い所に出てくれるのかと思っていたら、予想外の低さだった。イメージしていた写真とは少し違うが、こうした虹も珍しく、面白い。よく見れば蓬莱山辺りの山肌に、昨日(11/12)の雪が薄く残っている。全国的に異常気象だと言われているが、私が奥比叡の里と出会った24年間の中で最も早い降雪ではないだろうか。

今日は、先週の水曜日(11/13)に撮った里の秋と山の秋をご覧ください。標高が300~500mほど違うと、秋の深まりがこんなにも変わってくる。上の里の写真は、うっすらと紅葉が始まりかけたばかりだ。下の山の秋は、今が盛りといったところ。気が付けば、シャッターを押す指が寒さでかじかんでいた。

 

 

 


 

この日は腰痛を押して出掛けたため、神経に触らないようにそろ~り・そろ~りの撮影となった。今年は秋が短いと言われている。どうしてもその旬を見ておきたかった。

今週はヘボと呼ばれるクロスズメバチのリポートの予定だったが、長時間パソコンの前に座っていられないため、後日にさせていただきます。

2013/11/10

腰痛のため

今週は、ヘボと呼ばれる黒スズメバチについて書こうと思っていたのですが、腰痛のためしばし延期させていただきます。今週中には何とかUPさせたいと思っています。先週の「減反政策」も時節柄、最も重要なテーマだと思いますので、引き続き書いていくつもりです。宜しくお願い致します。

2013/11/03

深まりゆく秋の陽射しに照らされた大豆畑が美しかった。まだ葉っぱやサヤが緑の若かりし頃の大豆を「枝豆」という。まるでハマチからブリへと名前を変える出世魚のようだ。

減反政策

どんな商品も、供給(生産)が需要(消費)を上回るとその商品の価格は下がり、反対に需要(消費)が供給(生産)を上回ると価格は上がる。これは魚や肉、大根やみかん、車などの工業製品、果ては給料などもこの需給関係の中で大きく変動していく。こうしたことは誰もが経験的に知っていることである。

 

豊作貧乏という言葉がある。実に現代社会の奇妙さを射抜いた言葉だと思っている。素直に考えれば、豊作は誰もが喜ぶべき出来事であり、人々の生活を豊かにするはずのものである。しかし社会の需要を超えた豊作は、それが豊作であればあるほどその農産物の価格を下落させ、生産者自身の首を絞める結果をもたらしてしまう。これは農業だけに限らず、工業や商業の世界も同様である。

現代社会は、多くの分野で社会の需要を超える供給、すなわち生産力を持っている。しかし私たちは、その豊かさをもたらす生産力が必ずしも多くの人々の幸福につながらず、その豊かな生産力ゆえに貧乏が生み出されるというちょっと不思議な世界に生きている。

もっとも、過剰な供給(生産)というのは絶対的なものではない。私たちの財布の中身(需要)がうるおい消費が進むと、過剰は減少し、供給側の不足を招くこともある。1990年代初頭のバブル経済の崩壊以後から今日まで、需給ギャップは概ね供給過多・需要不足を示してきた。昨年の内閣府の試算では、マイナス10兆円のギャップがあるという。このギャップが様々な物の値段や給料を押し下げていくデフレ経済の大きな原因であり結果となっている。今年に入って、政府が経済界に賃上げをお願いしているのはこうした事情があるからなのだろう。しかし日本と比べれば相対的に安価な労働力市場が、中国や東南アジアに、しかも巨大な労働力市場がある中で、今後5年、10年と私たち庶民の給料を上げていくことができるのだろうか? また仮に給料が上がったとしても、老後の不安が抜本的に解消されない中で、そのお金が本当に消費(需要)に回っていくのだろうか? 少し余談が過ぎた。本題に戻そう。

 

米もまた商品となれば、需給関係の中でその価格は変動する。米は日本人の主食である。その価格の急激な乱高下は、農村を疲弊させるだけでなく、都市の家計を直撃し、かつての社会不安(米騒動等)の大きな要因ともなっている。需要と供給を調整し、価格を安定させなければならない。殊に1970年以降は、過剰な生産を抑えることを目的に減反政策が国策として進められてきた。意図的に休耕田が作り出され、米から他の農産物への転作も奨励されてきた。その奨励作物として上の写真の大豆や小麦がある。もちろん減反政策を推進し、維持していくための補助金も用意されてきた。

最近の新聞やテレビを見ると、この減反政策の廃止が5年後をメドに検討されているようだ。背景にはTPPによって変化する国際市場、その中での国際的競争力を高めるというのが目的であるらしい。当然、減反政策に伴う様々な補助金制度も廃止の方向で検討されている。必然的に小さな農家は農地を手放さざるを得ず、農地の集約化・大規模化を国を挙げて進めていくという。

しかし変わるのは農地の大きさだけではない。農業の経営形態そのものも変わっていく。封建的色彩を持つ戦前の地主制は、1947~50年の農地改革によって崩壊し、農業の主役が自作農に移っていくこととなった。自作農の農業とは、農村共同体的関係を残した中での小規模な家族経営である。それを今度は、アメリカ型の企業経営に変えていこうということらしい。田んぼや畑を所有あるいは借地するのは企業となり、その大地を耕すのは農民(百姓)ではなく、賃金(給料)で働く農業労働者ということになる。いずれにしても国際的競争力を持つと言う限り、相当大規模な農業経営が想定されているようだ。となれば、資本力で有利な大企業による農業への進出というだけでなく、外国資本による農業経営ということもあるのかもしれない。

その是非はともかく、戦後の農地改革に匹敵する変化の足音が、今、全国の農村に迫っている。

奥比叡の棚田は、山の裾野に広がる起伏の大きな丘陵地帯や山の斜面に築かれている。平地とは明らかに違うこうした地形的環境での農業を、法的・行政的に言えば中山間地域の農業ということになる。総じて経営規模は小さい。農林水産省によると、耕地面積の40%、総農家数の44%、農業産出額の35%、農業集落数の52%がこの中山間地域の農業地帯にあるという。しかもこの地域の役割は、単に農産物を産出するというだけではない。私たち都市住民の生活にも直結する水源の涵養や自然環境の保全、水害を防止する国土の保全機能など多様な役割を担っている。(農業の多面的機能

どう考えてみても、中山間地域で国際的競争力を持つ大規模農業という構想には無理がある。何よりも、それに適した農地がほとんど確保できないのではないだろうか? 恐らく国も、中山間地域にそんなことを期待していないのだろう。それでは、中山間地域の農業はどのようになっていくのだろうか?  そこのところが新聞報道などではあまり見えてこない。減反政策の廃止、補助金の打ち切り、企業化された大規模農業の育成という報道を見れば、棚田農業は価格面だけを考えてみても今まで以上に一層不利な状況に置かれることは間違いない。付加価値が高く、国際的な競争力のある果樹などへの転作も考えてみてはどうかという意見もあるかもしれない。しかし、米作りより遥かに手間の掛かる果樹栽培は、過疎化による若年労働力の不足、労働力の高齢化と兼業農家化してしまった現状ではそれも難しいように思われる。JAのいう生産から加工販売まで一貫して携わる農業の第6次産業化という構想も、想定されている規模を別にすれば、他の地域ではすでに成功例もある。しかしこれはこれで、今までの農業経営とは異なる工業的あるいは商業的視点とセンスが要求される。どこの中山間地の農村にもそうした能力、構想力が直ちに備わっていくかといえば、そこにも難しい問題が山積しているように思われる。それでも生産者の方々は、これまでとは違った新しい考え方で、来るべき新しい経営環境に適応していかざるを得ないのは間違いない。正に正念場である。

奥比叡の里の棚田農業はこの先どのようになっていくのだろうか? この素晴らしい里山環境と歴史的・文化的遺産ともいえる棚田の景観は、どうなっていくのだろうか?