奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2013 | 6月

2013/06/30

一難去って

先々週辺りからようやく梅雨らしくなり、田んぼも恵みの雨をしっかりと蓄えている。稲は盛んに分げつ(株分け)を繰り返し、すでに40~60㎝ほどに育ってきた。もうしばらくすると、田んぼでは「中干し」という作業が始まる。田んぼの水を一旦抜いて土を乾燥させる作業である。土に酸素を供給し根腐れを防ぎたいのと、過剰な分げつを抑える等々のためである。そして、やがて顔を出す稲の穂の赤ちゃんを待つ。

この雨によって、当面の水の心配は遠のいた。反面この2週間は、雨の日が続き、日照時間も短く、気温もそれほど上がらなかった。こうした条件が続くようだと、今度はイモチ病の心配が増えてくる。毎年々々、稲の育つ環境は一様ではない。農業は、自然との格闘である。

日の出とともに緑の棚田は柔らかな光に包まれていく。今日の3枚の写真は、いずれも朝陽の中の田んぼである。一番上のタイトル写真は、ドラマチックな雲間に昇る朝陽。土手の上に顔を出す枝豆の葉っぱが愛らしかった。運良く?昨年の稲架掛けの杭が残され、風情を添えてくれた。この年、この田んぼは減反政策によって休耕田となっていた。

その下の2枚の写真は、恐らく全国の田んぼで誰でもが見ることのできる風景である。稲の葉っぱの茂った田んぼを、姿勢を低くして横から覗き込んでください。きっと小さな生き物たちが、精一杯の生命の輝き見せてくれるはずです。

2013/06/23

巡回

空梅雨から一転、先週は雨の日が続いた。水不足で稲の生育の遅れが目立った田んぼがある中での雨。心待ちにしていた恵みの雨であった。棚田に出てみると、乾燥して土がひび割れてしまった田んぼにも、十分な量の水が溜まっていた(一番最後の写真)。他人様の田んぼながら、何故かホッとしてしまう気持ちが可笑しい。しかしテレビなどを見ていると、土砂崩れなどの被害が出ている地方も多く、心が痛む。毎年思うことながら、雨は、必要な時期に、必要な所に、必要な量だけ降ってくれるということがない。自然は、人間の都合などおかまいなしに無慈悲でもある。

稲が成長し、田んぼの水面を覆い隠すようになってきた。昔ながらの小さな田んぼが寄り集まった棚田は、美しい緑のパッチワーク模様を描き出している。この時期の主な農作業は、巡回と草刈りである。上のタイトル写真の軽トラックも、稲の生育具合や水の量、雑草の伸び具合などを確認に来られたものだ。毎日数十台の軽トラックが棚田の細道を行きつ戻りつ巡っている。 

  下の写真は、丁度今頃の奥比叡の里の点景を拾い集めてみた。

 

 


 

先週のヒビ割れてしまった田んぼにも、恵みの雨がもたらされた。

 

2013/06/16

雨乞い

梅雨入りの宣言がされているにもかかわらず、日本の近辺に梅雨前線が見当たらない。今のところ猛暑日の続く空梅雨である。水が完全に干上がり、土がひび割れてしまった田んぼもいくつか見受けられるようになってきた。雨が欲しい! そんな雨乞いの願いを込めて、今週は雨の日の写真を並べてみることにした。

 

お気づきかも知れないが、上の5枚の写真は田植え後から5月中旬あたりまでに降った雨である。ということは、梅雨入り前の雨ということになる。今回、雨の写真を探していたら、意外にもこの時期のものが多かったのに驚いた。今年は、この5月中の雨にも恵まれなかった。

最初と最後の写真は、田んぼに落ちてきた雨を高速シャッターで写し止めたもの。肉眼では分かりづらいが、一端水面に落ちた雨がその衝撃で水柱を立て、その先端から水玉が飛び出してきているところである。強い雨は、じっと見ていると激しい爆撃のようである。

2枚目の写真は、霧雨の中の竹林が墨絵のように静かに佇んでいた。

3枚目の写真は、春の優しい雨の中でカラスが不安げに鳴いていた。この時期のカラスは、今春巣立ったばかりの若鳥が多い。仲間からはぐれてしまったのかもしれない。

4枚目の写真は、一見虹の出た穏やかな風景である。ところが、農具小屋の屋根が吹き飛んで舞い上がるほどの強風と雨の中で撮ったものである。春の嵐である。身体まで吹き飛ばされそうになりながら、カメラと三脚にしがみついてシャッターを切った。

今日の午後、田んぼでは、少なくなった水をどのように分けるのか?  真剣に話し合われていた。参考までに、今現在のひび割れてきた田んぼも見ていただきます。この写真を見る限り、稲の成長も少し遅れているように思われる。

 

2013/06/09

強欲代官

油に汚れ、所々穴の開いた軍手。それが田んぼの中に沈んでいた。どんな仕事をすればこんな穴が開いてしまうのか?  そんな疑問がこの写真を撮らせた。時期的に見て、恐らく棚田の土手や畦の草刈りではないのか? などと考えながらカメラを構えていると、小さな生き物が軍手に近づいてくるのが見えた。急遽、その小さな生き物にピントを合わせてシャッターを切った。

この写真は15年以上も前のものである。当時この水生昆虫の名前が分からず、自宅に帰って図鑑で調べてみた。ゲンゴロウであった。もう少し厳密にいうと、シマゲンゴロウという種だそうだ。「なんだ、ゲンゴロウの仲間だったのか」と少し拍子抜けした。というのは、私の子供の頃には都会の工事現場の水溜りにでもいたようなポピュラーな水生昆虫だったからである。そのポピュラーだった昆虫が、今、準絶滅危惧種に指定されている。

漢字で書けば「源五郎」、どう見ても人の名前である。落語に出てくるどこかユーモラスな人物をイメージした。それが不思議でネットで調べてみることにした。やはりネットにはあるものである。「杜の日記」というブログに面白いことが書かれていた。全文引用させていただくことにした。

『ゲンゴロウの語源については二説がある。一つは民話。むかし、貧しいが親孝行な少年がいた。自分は木の実を食べながら病気の母を看病していた。ある日、木の精霊が少年を憐れみ打ち出の木槌をくれる。それは人を助けるために振ればいくらでも金を産むが、欲のために振れば体がだんだん小さくなるという不思議な木槌だった。少年はそれで小判を振り出し、高価な薬を買って親の病気を治した。この噂が評判になると強欲な代官の源五郎が木槌を取り上げてしまった。ある日、代官の姿が見えなくなった。怪しんだ村人が代官屋敷に行ってみると小判の山の下から一匹の虫が這い出してきた。我欲のために木槌を使った代官は体がだんだん小さくなり、遂に虫になってしまったのだ。それ以来、村人はこの虫を源五郎と呼ぶようになったとさ。

もう一つ、この虫が琵琶湖に棲む源五郎鮒の幼魚を好んで食べるからだという説もある。では源五郎鮒の語源は? ・・・これも民話が謂れとなっている。源五郎という男が天狗に貰った豆を蒔くと、天まで届く大木になる。男はそれを登って天に行き、雷と出合って雨を降らせる手伝いなどをする。ところが雨を降らせ過ぎてできた琵琶湖に落ちて鮒に変身してしまう。これが源五郎鮒というわけ 』

源五郎さんは人のいいおじいちゃんかと思っていたら、なんと強欲代官だったとは思いもしなかった。ひょっとすると、彼らの体型が小判を想像させたのかもしれない。いずれにしてもこの地球上で、強欲な生き物は人間だけだと思っていた。人間のような財産や所有というもののない昆虫たちの世界に強欲はない。彼らは、生き、そして子孫を残すために必要なものだけを求めている。実に慎ましやかな存在である。だからどうしてこの虫が強欲代官と結びついたのか?  少し申し訳なくもあり、可哀そうでもある。

土曜日の夕方、稲の分げつ(茎の増殖)の進み具合を見に行くと、「守り人の会」主催の自然観察会が行われていた。虫取り網で田んぼの水と泥をすくう度に、棚田のあちこちで子どもたちの歓声が響いていた。わずかな時間の間に多くの水生昆虫が小さな水槽の中で泳ぎ始めた。ホウネンエビやザリガニ、トンボのヤゴやオタマジャクシ、ドジョウやこのシマゲンゴロウも元気に泳いでいた。あっという間に20種類ほどの生き物たちが見つかった。改めて田んぼは生命のゆりかごだと実感させられた。夜はホタルの観賞会。気温は17℃、少し寒かったのか、あるいは時期的にずれていたのか、数は多くなかった。それでも、ホタルの小さな灯が川面にも映り、点滅する光跡をいつまでも追いかけていた。

 

上の写真は、オタマジャクシが気持ちよさそう?かどうかは分からないが、日射しを浴びた水田の中を泳いでいるところ。下の写真はパニック写真である。田んぼの水が抜けていくと、所々のくぼみに水が残される。この写真は、ザリガニやオタマジャクシ、巻貝のようなものも、わずかに残された水を求めて必死になって集まってきているところである。普段のザリガニとオタマジャクシの間に「食べる・食べられる」の関係があるのか知らないが、この時ばかりはそんなことも言っておられない様子で、一つの水溜りに仲良く?緊急避難となっている。1時間ほどこの様子を眺めていたが、ザリガニはオタマジャクシを食べようとするそぶりを一度も見せなかった。今この写真のように、水が抜けて土が顔を出している田んぼが増えてきている。水田の中の小さな生き物にとっては、しばらく受難の時が続きそうである。棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

「平尾  里山・棚田守り人の会」主催の自然やホタルの観察会の詳細については、下記をご参照ください。

http://oginosato.jp/moribitonokai/ownernissi/2013/06/201368-1.html

https://www.facebook.com/pages/%E5%B9%B3%E5%B0%BE-%E9%87%8C%E5%B1%B1%E6%A3%9A%E7%94%B0%E5%AE%88%E3%82%8A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BC%9A/413397602055631

2013/06/02

  かつての米づくりは、雑草との絶え間のない闘いであった。多くの労力と時間が、雑草取りのために費やされてきた。今日では除草剤というものがあり、全国の多くの農家で使われるようになっている。ここ奥比叡の田んぼでも例外ではない。除草剤の登場によって、米づくりの省力化が大きく進められたのは事実である。この写真は、背中に背負った動力によって除草剤を散布しているところである。

  消費者の立場からは、除草剤や農薬などをできるだけ使わないでほしいという要望がある。ここ奥比叡の生産者の多くも、その願いは知っておられるし、安心・安全な米づくりをしたいと思っておられる。それにもかかわらず今、除草剤の使用を直ちに止められないのは、それを止めてしまえば恐らく米づくりそのものを止めざるを得ないからである。ここには、除草剤に代って雑草を取る人手が見当たらない。

五穀米

今年は、冬から春にかけての雪や雨の量が少なかったせいか、溜め池も干上がっているような状態の時がある。そのため、ヒエなどの雑草の多い田んぼが心なしか目立つように思われる。”そのため”と書いたが、これには少し説明がいる。除草剤の効きが悪いのだ。除草剤は田植え前後に使われるが、除草効果を高めるためには水深が3~5㎝ほどの水で田んぼが満たされていなければならない。今年はその水が少なく、田面が露出してしまったりして除草効果が弱くなってしまったそうだ。

「今年のお前とこの田は、雑草(ヒエ)だらけになってるで!」

「そやろ、今年は五穀米を作ってるんや!!」

さすがにここは関西の田んぼ。こんな不幸も笑いに変えてしまう。

* 五穀米は古代から食されており、古事記や日本書紀にも記されている。米・麦・栗・ヒエ・豆などをブレンドしたものである。

 

今日の写真は、「雑草」というもので繋いでみた。上の写真から

①  かつて仰木と伊香立を繋いでいた旧道。現在は谷を埋め立てるダンプの往来が激しく、舗装されているせいもあって道の真ん中には雑草が伸びてこない。夏には、このガードレールが見えなくなるほど雑草が生い茂る。

②  圃場整備された田んぼには、必ず軽トラックが止められるスペースが作られている。ここは昔ながらの田んぼ。そのスペースがない。仕方がないので、田んぼの片隅に板を敷いて急ごしらえの駐車場を作った。雨の降った後には、この板がなければぬかるんだ泥の中に車を止めることとなる。板の細い隙間からも雑草が顔を出す。

③  畔に咲く野の草花(雑草)が愛らしい。棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

④  田植えに際して稲は、きれいに等間隔で植えられていく。通常除草が成功していれば、稲と稲の間に雑草が生えてくることはない。この写真は、稲と稲の間にびっしりとヒエ(雑草)が生い茂ってきたところである。

⑤  雑草たちに占拠されてしまった農具小屋。人間がいなくなった地球を想像してみると、恐らく東京やニューヨークといった大都会もすぐさまこのようになってしまのだろう。植物(雑草)の生命力は凄まじい。右下の影は、カメラを構える自画像である。

⑥  可愛いネギ坊主の後ろにも雑草が。

⑦  棚田の畔の草(雑草)刈り

 

 

 連続講座 淡海(おうみ)の夢2013 ----------------------

 仰木・棚田写生会

 5月25日(土)成安造形大学附属近江学研究所主催の写生会が仰木の棚田で行われました。この写生会は毎年行われており、老若男女の一般の方々も参加されています。今日の写真は、翌26日のもので、先生と学生さんが昨日の続きを描いておられたようです。

不思議なもので人間は、ある種の風景と出会うと、心の中でその人のすべての人格とその風景とが化学反応を起こしていきます。その反応はやがてイメージという化合物に結晶します。そのイメージが、それぞれの技量を通じてキャンバスの中の絵や写真となって現れてくるのだと思っています。恐らくこの点に関しては、絵画でも写真でも基本的には変わらないのではないでしょうか。

それぞれの化学反応、それぞれのイメージ、それぞれの絵画、だからこそ人間は面白い。そして素晴らしい。そんなことを感じさせてもらった一日でした。快く撮影させていただいた先生方、学生の皆様に心より御礼申し上げます。

こうした取り組みを通じて、田んぼや棚田、里山のファンが一人づつでも増えていきますことを願っております。ありがとうございました。

*大切な作品を、勝手にトリミングしてしまったようになって申し訳ありません。お許しください。

 

 

 成安造形大学附属近江学研究所  (http://omigaku.org/)は、ユニークな近江についての研究活動・教育活動・地域活動を展開されています。ぜひ一度ホームページを覗いてみてください。