奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2014 | 4月

2014/04/27

一応の最終回・・・ありがとうございました!

「二年で一区切り」と考えて始めた棚田日詩です。ようやく二年目の最終週になりました。毎週一回の更新は私の能力を超えており、よくここまで来れたものだと思っています。殊に「六十の手習い」だと気楽に始めた文章は、四苦八苦・青息吐息・七転八倒・七転び八起き??といったところで、本当に「シンドカッタ」というのが偽らざる気持ちです。もっと春風のような文章を書きたかったのですが、そうした文学的才能は皆無であるということも分かりました。今は、この「苦役?」からほんの少し解放されるという安堵感が胸に広がっています。

この二年間で18,000回を超える閲覧は、私の予想を遥かに超えるものであり、嬉しくもありました。途中で何度か止めようかと思ったこともあったのですが、皆様の閲覧に励まされてここまで来れました。本当に!本当に!ありがとうございました。

これからは毎月1~2回の更新(不定期)で、ゆっくりとしたペースで進めていきたいと思っています。3時間ルール(*)という自分勝手な決め事で、文章が途中で止まっているものもあります。それも完成させてい行こうと思います。これからも奥比叡の四季折々の姿をお伝えしていくつもりです。時折覗いていただければ嬉しく思います。

 

(*) 私はアマチュアカメラマンです。本業は他にあります。写真の世界と本業や他の生活の部分と少し区切りを付けておきたいと思っています。その区切りの意味で、文章は3時間以内で書き上げようと思ってきました。時に3時間で書けなかった文章もありました。それらは中途半端ですが、その時点で書き進めるのを止めています。
2014/04/20

田植え前

まだ「三寒四温」の中にあるが、暖かな日の日中は25℃を越え、少し汗ばむような日もある。桜の花はあっという間に散ってしまい、葉桜の中にわずかな花を残すだけとなっている。それと入れ替わるように柿の木の新芽が一斉に芽吹き始め、棚田のそこかしこで宝石のように輝いている。棚田を取り囲む雑木林も新緑の時を迎え、ついこの間までの枯れ枝に可愛い若葉を繁らせ始めた。田んぼの畔や土手には野の草花が咲き誇り、目に染みるようなタンポポの黄色が一層春の深まりを感じさせてくれている。棚田の空を白鷺が舞い、多くのカモが溜め池に集まってきている。

この辺りの田植えは、4月末から5月末までの一月ほどを掛けて徐々に行われていく。その最盛期は、ゴールデンウィークの後半から5月中旬に掛けてである。それぞれの田んぼで田植えの時期が異なるため、その準備の農作業(春耕、水路の清掃、土手の野焼き、草刈り、水入れ、畦の補修、苗代づくり、代掻きなど)も田んぼ毎にマチマチである。それでも水を張られた田んぼが少しづつ増え、棚田の細道を多くの軽トラックが行き交うようになってきた。馬蹄形の棚田の隣にある駐車場から田んぼを見下すと、数台のトラクターが小さな田んぼの中をせわしなく行きつ戻りつしている。今年もいよいよ戦闘開始である。

2014/04/13

蜂の死

足元で何かが動く気配がした。見てみるとクマ蜂だろうか?  桜の花びらを抱いて苦しげに悶えていた。どのような原因でそこに倒れていたのか分からないが、あと数時間の中に彼の命が絶えるであろうことはすぐに分かった。死の間際にあってもなお彼は、レンズの向こうから射抜くような視線で私を威嚇していた。それは、死を恐れる視線ではない。種としての任務を最期まで全うする視線であった。数秒だろうか、レンズを介して互いを凝視する中で、私にはそう見えたのだった。私は、彼のDNAに刻まれた生命の凛々しさのようなものを感じながら、ゆっくりとシャッターを落とした。

この後、彼が鳥や昆虫たちに食べられてしまうのか、微生物などによって分解され土に戻っていくのかは別にして、他の命の糧になることは間違いない。先祖から受け継がれてきた田んぼ。その田んぼの土には、彼らと同じ無数の昆虫やミミズ、微生物やバクテリア、カエルやモグラなどの小動物、そして無数の植物の生命が、その生と死が積み重なっている。その土の中で稲が育ち、やがて私たちの生命をも繋いでいく。無数の死者が生者を育む。私たち人間も、大自然の生命の循環の中で生きている。生かされている。

2014/04/06

サクラのささやき

馬蹄形の棚田の横に、村の人たちが棚田来訪者のための駐車場を作ってくれている。今日の写真は、その駐車場にある桜の一本である。まだ若木のため、この桜を写す人はほとんどいない。私自身もこのカットを撮るまでは、一度もカメラを向けたことがない。

撮影も終え、三脚と機材を車に仕舞い込み、帰り支度をしていた。丁度その時だった。背後から「私を撮って!撮って!」という可愛い声が聞こえたような気がした。振り返ってみても誰もいない。何とも愛らしい桜が一本、佇んでいるだけだった。きっとこの桜に呼び止められたのだ。私は再びバッグからカメラを取り出していた。

棚田街道(*)を行き交う軽トラックを背景に、いよいよ田植えの準備が始まる季節、畦の草花が咲き誇る季節、蛙や虫たちの生命が目覚める季節、そんな春の歓びを表現してみたいと思った。

私は超常的な現象をほとんど信じていないが、撮影をしていると、時折不思議な感覚の中でシャッターを押すことがある。この不思議な感覚をどのように表現したらいいのか分からないが、何かに導かれるように撮影している自分がいる。この写真の時もそうだった。自分の意志ではなく、被写体の方から呼び止められているようなのである。この写真では、可愛い女の子の声がしたように思ったのだが、時にはヒドイ呼びかけに出会うことがある。「オイ、ヘタクソ!! 俺を撮ってみろ!」というオッサンの声が響くこともある。


 

季節は「三寒四温」の中にある。この2~3日は、冬に逆戻りしたような「寒」の日が続いている。車の温度計も4度まで下がり、棚田の向こうに見える比良山も再び白く雪化粧されていた。信州や東北などの北国は別にして、この辺りでこんなに桜と雪が絡む風景と出会えるのも珍しい。

有名な「棚田の一本桜」(*)は、五分咲きといったところだろうか。桜の下でお弁当を食べる人、子ども連れで記念撮影をしていく人、デートで来られている人、アマチュアカメラマンの人たち、今年も多くの人たちと出会った。それでもこの2~3年、棚田を訪れる人の数が随分少なくなったように感じられる。様々な要因があるのだろうが、殊に獣害対策用の金網が張られてからは、その傾向が顕著になったようだ。(もちろん農家の人々からすれば、却って静かになっていいと考えておられる方が少なからずおられることも充分理解できることである)

猪や鹿による獣害(*)は、奥比叡の農村地帯に限ったことではない。ここ数年、日本全国の広い範囲で確認されているようだ。恐らくこの数十年の日本社会の急激な変化が、こうした問題としても現れているのだろう。だとすればこれは、一人農村の問題ではなく、社会全体で考えていかなければならない問題ではないだろうか? 歴史的にも掛け替えのない棚田の景観やそこにある素晴らしい里山環境と調和する対策を、電気柵や金網ではない対策を、真剣に考えていく必要があるのではないだろうか?

*  棚田街道  (どうしよう

*  棚田の一本桜  (一本桜

*  猪・シカの獣害  (年の瀬の後片付け