奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2013 | 10月

2013/10/30

自然農法

わずか2週間の間に3つの台風が日本列島を襲い、かすめていった。10月27日の日曜日は、その影響もあってか一日中曇り日であった。時折、雲の切れ間から差し込む陽射しは、人々を秋の光で包み込み、長い影法師をつくりだすようになっていた。

 

ここは平尾の棚田。奥比叡の山に向かって曲りくねった農道を登っていくと、丁度その中腹あたりに古代米の田んぼがある。この古代米は、福岡正信氏が始められた不耕起(耕さない)、無肥料、無農薬、無除草といった特徴を持つ自然農法によって育てられている。近年の機械による田植えでは、4株ほどひとまとめにして植えられていくのだが、ここでは一株づつ機械植えよりも少し巾広い間隔で手植えされていく。もちろん土は耕されていない。雑草や降り積もった枯葉、稲の切り株や死んだ昆虫たちが微生物などによって分解され、それが栄養となる。山から流れくる水も森の栄養を運んでくる。鶏糞などの動物性有機肥料は使わず、唯一米ぬかだけを肥やしとして使っているそうだ。それを雪の降り積もる前に播いていく。除草剤などの農薬は不用である。かといって、ヒエなどの大型の雑草が繁茂しているようにも見えない。稲の根元を見ると、背丈の低い雑草があるがままに育ち朽ちている。

今日は稲刈りである。仰木では最も遅い稲刈りである。そのことを代表世話人の森谷さんに聞いてみると、「昔の米づくりは、どこでもこんなものだった」とのこと。6月の田植え、10月の収穫というサイクルで、既に9年目を迎えておられる。現在は4家族で農地を借りて米づくりをされているそうだ。あくまで自家用である。この団体の名称をお聞きしたところ、しばし思案されて「自然農塾」とでもしておいてくださいとのことだった。

今日一日を掛けて稲刈りとハサ掛け作業に汗を流されていた。ちょっとした力仕事ではあるが、都会では味わえない素敵な秋の一日があった。

 


 
  タイトル写真を含めて、上から3枚目の写真は古代米(黒米)の稲穂である。古代米といっても、遺跡などから出土されるお米と同じものだということではないらしい。古代の稲が持っていた特色を色濃く残した品種の総称であるらしい。代表的なものに、黒米・赤米・香り米などがある。普段食べているお米と比べて栄養価が異なるため、健康食として見直されている。数年前に黒米をいただいたことがある。それを少しだけ白米に加えて炊いてみると、何と不思議なことに赤飯のようになった。

5枚目の写真は、赤米の穂である。麦のような野毛(ヒゲ)が美しい。この赤米はもち米の一種だそうだ。黒米や赤米をプレゼントに使うと、とても喜んでもらえると言っておられた。

6枚目の写真は、男の子の長靴に注視。泥に足を捕られて抜け出せないところ。私も、膝下まで泥に沈み込み一苦労の末、脱出することができた。台風の雨の影響もあるのだろうが、耕起されないということもあって、冬場でも泥田のままの所が残されているのではないだろうか。

10枚目の写真は、油の浮いた田んぼ。機械類を一切使っておられないので、この油がどこから来たのか聞いてみた。昆虫などの小さな生き物が死ぬと、分解される過程でその生き物の持っていた脂肪分が溶け出してくるとのことだった。

一番最後の女の子の写真。この可愛いLadyにはちょっと失礼だが、よく見ると鼻水が垂れている。おかっぱ頭に鼻水。彼女をファインダー越しに見ていると、一瞬、57~8年前に時が遡ってしまった。当時はこんな女の子や男の子がいっぱいいた。私もまた、ハナタレ小僧だった。母親には何度も何度も怒られていたのだが、いつも袖口には鼻水と砂粒がこびりついていた。そんな懐かしい記憶に包まれてシャッターを切った。


 

皆様、快く撮影に応じていただきありがとうございました。心より御礼申し上げます。

2013/10/27

お詫び

今週は、急な仕事が入ってきたため水曜日に更新させていただきます。水曜日は、自然農法で古代米を栽培されているグループのリポートです。

2013/10/20

10月15日から16日に掛けて、今年最大の台風26号が日本列島を襲った。死者・行方不明者は54人にも及んだ。殊に伊豆大島の土石流による被害は目を覆いたくなる惨状であった。至る所で削り取られた山肌、大量の土砂に押しつぶされた家屋、海岸まで押し流された夥しい数の流木、その恐ろしさと痛ましさに言葉が出てこない。

 

台風の過ぎ去った16日の午後から田んぼに出てみた。もち米プロジェクトの稲架が倒れていた以外、目立った被害は見当たらなかった。秋耕された畝、黄葉する枝豆の畑、何事もなかったかのように穏やかな秋の深まりがそこにあった。

それにしても、美し過ぎる虹。脳裏に浮かぶ被災地の惨状。今更ながらに自然の無情さ、残酷さを思い知らされる。

2013/10/13

セイタカアワダチソウ

セイタカアワダチソウ(背高泡立草)。この雑草を初めて意識したのは、私が高校生の頃だった。というと、今から47年ほど前、西暦1966年(昭和41年)にまで遡る。学校は京都の中心街からバスで45分ほど離れた南の端の方にあった。まだ辺りには田んぼも残り、京都の市立高校としては少し牧歌的な所にあった。それでも都市化の波はこの辺りにも押し寄せていた。田んぼは徐々に埋め立てられ、住宅や企業、工場用地などに変わっていきつつあった。

教室の窓からは、埋め立てられた田んぼの空き地がいくつか見えていた。丁度今頃の季節になると、その空き地は目が痛いほどの黄色の花で埋め尽くされていた。それが私の記憶に焼き付いた一番最初のセイタカアワダチソウであった。埋め尽くされていたというのは、正に文字通りで、他の草花の生存を許さないほど、びっしりと空き地全体を覆っていた。私はそれまで、ビルの谷間のようなところで育ってきたためか、こうした光景を見ることもなかったし、この草を意識することもなかった。

この雑草に対する当時の印象は、かなり異様なものだった。私の背丈を優に超し、2~3mはあっただろうか。威圧感を感じるほどだった。日本の草花を駆逐するかのように思えるほどの増殖力は、どこか恐ろしくもあり無気味であった。同じ黄色でも、菜の花畑のような優しさが感じられない。さすがに海の向こうの巨大大陸アメリカの雑草だと、妙に納得するところもあった。当時は花粉症の元凶のようにも言われていたが、どうやらこれは濡れ衣だったようだ。いずれにしても、北アメリカ大陸原産のこの雑草は、箱庭のような日本の細やかな風景や四季に全くそぐわないものだと感じていた。

もちろん奥比叡の棚田にも、この雑草は進出していた。しかし、どこででも同じ密度でこの雑草を見掛るわけではない。比較的多く群生しているのは、新しく圃場整備された棚田の土手や耕作放棄地などである。現在工事中である棚田街道http://tanada-diary.com/6588参照)の土手などは、外から持ち込まれた土の中に種が含まれているのか、大量のセイタカアワダチソウが群生している。

総じて、ご先祖から代々受け継がれてきた昔ながらの棚田の周辺ではあまり見かけない。こうした所では、外から持ち込まれる土の量が少ないのと、こまめな草刈りなどによって、この草自身が増殖しにくいのかもしれない。

先に、この雑草の背丈が2~3mほどあったと書いた。しかし最近見掛るセイタカアワダチソウは、1mにも満たないものが多くなってきたように思われる。随分低くなった。背泡立草になりつつあるようだ。半世紀ほど前には日本の草花を駆逐するかのように思えていたが、どうやら最近はススキや他の雑草たちとも共生するようになってきたようだ。どうしてそうなってきたのかは分からないが、日本の環境に適応し、日本化して来ているように見える。

上のセイタカアワダチソウの写真。日本の古来からの田園風景とは違い、どこかに異国情緒を感じてしまうのは私だけなのだろうか。

 


 

2013/10/06

もち米プロジェクト

近年、「棚田(中山間地農業)」や「里山環境」を守っていこうとする取り組みが全国各地で行われています。ここ仰木でも、地元の農家と都市住民による「平尾  里山・棚田守り人の会」や「仰木自然文化庭園構想 八王寺組」 といった団体が、棚田オーナー制による田植えや稲刈り、自然観察会や炭焼きなどの多様な活動を行ってこられました。そしてそうした活動には、都市住民の多くの方々がボランティアとして参加され、活発に交流が行われてきました。こうした団体の他に、都市住民の間で作られた団体もあります。「もち米プロジェクト」や 「棚田むすびの会」は、毎年田植えや稲刈りといった援農活動をされています。

先週の9月29日、「もち米プロジェクト」による稲刈りが行われました。残念ながら9月16日の台風によって、稲(滋賀羽二重)はすべて倒されていました。この日は鎌と小さなバインダー2台による稲刈りから始まって、コンバインによる脱穀、そして籾摺り(玄米)まで行われたようです。稲架に掛けられた稲わらは、正月の注連縄(しめなわ)用として残され、最後はどんど焼きで田んぼの土に戻っていきます。もちろん年末には、新興住宅地の仰木の里で餅ツキ大会が催されます。

 

仰木の棚田の土は粘土質の所が多く、ミルキークィーンやコシヒカリなどの一般的なお米も他所と比べれば粘りが強く出ます。そのせいもあって、仰木のもち米は滋賀県最高の品質だと言われてきました。しかし、日本人の食生活の変化や「餅」の工業製品化などによって、近年、もち米を育てる農家はほとんどなくなってきています。

『絶品』と言われる仰木のもち米とホカホカのお餅を食べてみたいと思われる方は、「もち米プロジェクト」の会員になってみられてはいかがでしょうか?  お気軽に下記のURLを訪問してみてください。

 

 http://oginosato.jp/circle/motikome.html

http://satomati.jugem.jp/?cid=6

 


 



La・ La・ La♪ Ta・u・e  ~そして脱穀

 

去る9月14日、「平尾  里山・棚田守り人の会」と「リビング滋賀」の主催による棚田オーナーの方たちの稲刈りが行われた。刈り取られた稲は、その後2週間にわたって稲架に掛けられ、天日干しされてきた。その稲が先々週の28日、いよいよ脱穀され籾摺りされて玄米となった。

 

青い空、白い綿雲、赤トンボやコオロギ、皆で流す気持ちのいい汗、そして木陰で食べるお弁当。そこに、幸せの秋があった。

「平尾  里山・棚田守り人の会」

http://oginosato.jp/moribitonokai/ownernissi/index.html

「平尾  里山・棚田守り人の会」 facebook

https://www.facebook.com/pages/%E5%B9%B3%E5%B0%BE-%E9%87%8C%E5%B1%B1%E6%A3%9A%E7%94%B0%E5%AE%88%E3%82%8A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BC%9A/413397602055631

 

 



「もち米プロジェクト」「守り人の会」の皆様、快く撮影させていただきありがとうございました。できるなら参加された全員の方の記念となるような写真を撮らせていただきたかったのですが、年末に向けた私の本業が多忙なため、今回のような中途半端なリポートになってしまいました。お許しください。次の機会の撮影時もまた、宜しくお願い申し上げます。