奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2013 | 3月

2013/03/31

 私は決して「大塚製薬」の社員ではありません・・・・・?!  農村風景と工業製品との組み合わせが何とも面白く、昔からこうした風景を多く撮ってきた。本来捨てられるペットボトルに水を入れ、ビニールシートの重しに使うという人の心も面白い。そして何よりもポカリスエットのロゴがオシャレである。これが日本茶のペットボトルなら撮っていなかったかもしれない。背後にある菜の花の黄色が、今の季節を表していた。

菜の花

 今日、仰木と伊香立を回ってきた。伊香立では桜の花が咲き始め、春霞の山々もコブシの白い花で点々と彩られるようになってきた。本格的な春の到来である。棚田では、野焼きの煙がそこかしこで昇り、色とりどりの野の草花に覆われるようになってきた。そうした中でもひときわ目を引くのが菜の花である。

 

菜の花と言えば、一般的にはナタネやアブラナの黄色い花を連想するが、白菜、キャベツ、ブロッコリー、小松菜などの白や薄紫の花もすべて菜の花と呼ばれている。菜の花とは個別の種に用いられる名称ではなく、食用の「菜っ葉(なっぱ)」に咲く花の総称のことである。

日本人と菜の花の付き合いは古く、日本書紀の中で7世紀末にはその栽培が奨励されていると記されている。更に室町時代の後半には、ナタネ油が灯火や食用、油かすは有機肥料として用いられるようになってきた。昭和30年頃までは二毛作(裏作)の代表的な作物であり、国からもその栽培が奨励されていた。今日では、電気やガスの完備、安価な輸入品の増大、稲の早植化などによってその作付面積は激減し、国の統計資料からも外されてしまっている。

 

奥比叡の里でも、20年程前にはまだ田んぼ一枚全部が菜の花畑という所もいくつか見られたが、最近は家族で食べるだけなのか、ほんの一塊の菜の花が田んぼの一隅に植えられるだけとなっている。それでも毎年3月に入ると、菜の花畑を探す棚田巡りが楽しみの一つとなっている。菜の花と出会う度に、なぜか心まで暖かく軽やかな気分になってくるからだ。さぁ、口笛でも吹いて棚田を歩こう!棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

 

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今年の桜の開花は、例年より1週間から10日ほど早いように思われる。3月10日の棚田日詩で「春の雪」を紹介したが、今年は春の到来が早く、2月末に降った淡雪がそれだったのかも知れない。今年の米作りは、どうなるのだろうか?

2013/03/24

春起こし

棚田に春が広がっていく。先週紹介したカエルの卵は孵化を始め、5㎜ほどの可愛いオタマジャクシになっていた。土手の枯草から顔を出し始めたショウジョウバカマと青紫のスミレ、ミスジチョウやキチョウの仲間が蜜を求めて飛び交い、耳を澄ませばヒバリやキジの鳴き声が棚田の谷間に響いていた。棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

普段の日曜日は農作業をする人影も少ない。しかし今日は違う。田植え前の春起こし(田起こし)が多くの田んぼで行われていた。赤や青のトラクターが土を掘り返し、畝を作っていく。収穫後の秋から春の田植えまでの間に田起こしは1~3回ほど行われる。どのタイミングで何回行われるのかは、それぞれの田んぼの環境、農家の考え方の違いなどによって異なってくる。この時期の田起こしは、田んぼに芽生え始めた雑草を鋤き込み(除草)、代掻きをし易くするのが主な目的となっている。棚田は先週あたりから、小さな生命の目覚めだけでなく、多くの軽トラックが行き交う本格的な春の賑わいを見せ始めてきた。

 

2013/03/17

それぞれの浅春

三月も半ばを過ぎ、五月初旬を思わせるような暖かな日が多くなっている。既に京都市内では、八重の桜が何本か咲き始め、行き交う人々の目を楽しませていた。しかし奥比叡の桜の蕾はまだ固いようだ。滋賀県 仰木  棚田  棚田米  里山

 

一番上のタイトル写真は、春霞みの山を背景に梅とマンサクの花?が午後の射光線に輝いていた。山里の何とものどかな浅春がそこにあった。

二枚目と六枚目・七枚目の写真は、野焼きの一コマである。この日はご夫婦で作業をされていた。土手の枯草は、かつては牛の飼料などにも利用されていたが、今はほとんどが燃やされてしまう。

三枚目の写真は、満開のオオイヌノフグリの中にタンポポが一輪咲いていた。今オオイヌノフグリは、棚田の隅々で青い宝石のように輝いている。

四枚目の写真は、田んぼの畝の間に産み付けられたカエルの卵。可愛いオタマジャクシが孵化してくるのも、もう少しである。

五枚目の写真は、捨てられたタイヤを挟んで、秋の枯草と春の花の対比、季節のバトンタッチが面白かった。

六枚目と最後の写真は、野焼きの畦の一隅である。冬が燃やされ、春の目覚めを誘う風景である。黒く焼けた枯草、焼け残った雑草の新芽、風に飛ばされてきたクヌギ?の枯葉。この小さな一隅に、冬から春への季節が入り混じっていた。

 

今、奥比叡の棚田では、それぞれの生命(いのち)の上に、それぞれの浅春の時が流れている。

2013/03/10

3月の雪

季節は、三寒四温の中にある。数日前は5月初旬の陽気かと思っていたら、今日はシャッターを押す指先が凍えてしまうような寒さだった。3月の棚田は、冬景色の中に春が芽生えていく季節であり、冬と春が同時に混在している時期でもある。これから暖かい日と寒い日を何度か繰り返しながら、田んぼはやがて春の草花に覆われていく。

 

この辺りでは毎年、3月の中頃にこの冬最後の淡雪が舞う。上の写真がそれである。12月から2月に掛けての雪景色とは、どこか違っている。3月特有の雪景色である。雪の量もさることながら、よく見ていただくと、田んぼの地色が 少し緑色がかっているのがお分かりいただけるだろうか。小さな雑草が芽吹き始めているからだ。この雪が3月下旬あたりに降ると、田んぼの地色はもっと鮮やかな緑になっている。まだ茶褐色の枯草に覆われた棚田にあって、緑や赤や黄色の小さな草花との出会いは、いつも心をときめかせてくれる。それが3月という季節の楽しみであり、喜びである。

 

今日は北風が強く、先週のオオイヌノフグリなども花弁を閉じ、蕾の状態で寒さに耐えていた。それでも今年最初に見る梅の花が、点々と棚田を彩っていた。恐らく先週の暖かな日に一斉に開花したのだろう。白く小さな花を咲かせるタネツケバナ(アブラナ科)、暖かな陽射しを待つ蕾のままのアザミ、動きの鈍いイトトンボ、田んぼの 水溜りに産み付けられたカエルのタマゴ。今日の散歩で出会った小さな春たちである。

帰り際にもう一度棚田を見渡すと、田んぼに溜まった水を抜き、土を乾燥させるための溝掘りが一人の農夫によって黙々と続けられていた。滋賀県  仰木  棚田  棚田米  里山

 

2013/03/03

春の予感

3月になった。暦では春である。しかし今年は雪の舞う日も多く、棚田はまだ茶褐色のモノトーンの世界にある。畦や土手は枯草に覆われ、柿の木や雑木の枯れ枝が北風に耐えている。棚田は全体として冬の景色である。

 

昨晩も雪が舞い、仰木の村も棚田も薄い雪化粧の中にあった。春の雪景色の命は短い。今日午後から田んぼに出てみると、雪はすっかり消え、奥比叡の山々の斜面に白いものがポツポツと残る程度であった。カメラを持たずに、一時間ほど田んぼの中を歩いた。肌寒い風が身体を引き締める。時折雲間からのぞく太陽が、頬を優しく温めてくれる。寒さの中の暖かさ。本当に気持ちがいい。私はいつも、この暖かさの中に春の到来を予感してきたのかもしれない。この心地よい世界を身体の隅々に感じたくて、ゆっくりゆっくりと、一歩一歩を踏みしめながら歩いた。気が付けば小さな羽虫が黒い集団となって頭の上をうるさくついてくる。羽虫は時折口などに入って気持ちのいいものではないが、この虫が出てこなければ、この虫を食べるトンボなどの少し大きな昆虫も現れてこない。私にとっての羽虫は、本格的な春の生命のめざめを誘う先導者なのである。もうそこに春が来ている。

 

足元を見れば、ホトケノザやオオイヌノフグリ、タンポポなどの花が枯草の中に遠慮がちに咲いていた。棚田の土手を味わうように見ていかなければ見逃してしまうほど、まだまだ枯草に隠れた彼や彼女たちである。それでも、あと一月もすれば、彼らが畦や棚田の土手の主役になっていく。

冬の間に崩れた水路や土手を補修する槌音が、夕暮れ近くまで平尾の谷間に響いていた。