奥比叡の里より「棚田日詩」 | 雲が語るもの(加筆中)

2012/07/15

雲が語るもの(加筆中)

今、私の目の前にあるもので「これは私が作った」といえるものは一つもない。パソコン・スマートフォン・カメラ・テレビ・照明器具・etc・etc・・・・  それを便利に利用させてもらっているが、私が作ったものではない。私には、これらのものを作る知識もなければ技術もない。毎日食べるご飯やおかずも、自分で作り採取したものではない。洋服や靴、住むための家、ガスや電気や水道、自動車や道路、新幹線や飛行機、インターネットやキャッシュカード、更には職場にあるすべてのものも私が作ったものではない。私はただそれらを利用(消費)させてもらっているだけだ。しかも、こうしたものを利用することなしに現代生活は成り立たない。これを少し角度を変えて見れば、他人の知識や技術、他人の流した汗に支えられて私の生活はあるということである。このことは、今日の社会が高度に発達した分業によって成り立っているということを表している。しかも今日の分業という鎖の輪は世界中に張り巡らされ、既に国際的だ。私たちは見知らぬ国の見知らぬ人の知識と技術、汗に支えられ、それに依存して生きている。もちろん私たち日本人の誰もが、国際的な分業の鎖の輪の中に入り、世界中の人々と互いに生活を支えあい、世界中の人々と繋がっている。私たち現代人は、狭い地域経済の自給自足とは対極にある国際的分業の時代、そしてその世界に生きている。

  自然の影響を直接受ける農業にとって、天気の予測は重大事である。農業においてこの天気の予測は、つい最近までそれぞれの村ごとに、そして人ごとに「伝承と経験と勘」に頼って行われていた。どの村のおじいちゃんに聞いても、「あの辺りに、こんな雲が出ると雨が降る」などということを教えてくれる。つまるところ私の少し前の世代の天気の予測は、村ごとの自給自足・地産地消であったということである。

今日では、天気の予測もまた国際的分業の鎖の輪の中にある。 国による天気予報が始まったのは1884年(明治17年)。当時は、日本全国を対象とするたった一つの予報であった。残念ながらこうした予報が、全国各地の現場の農作業に役立つはずもなかった。その後気象学は飛躍的な発展を遂げ、今日では陸・海・空の緻密な観測網の整備、更にはコンピューターを使ったデータ解析技術の進化、新聞やテレビ、ネットワークの発展によって瞬時に世界各地の天気予報を知ることができるようになってきた。ゲリラ豪雨や竜巻の予測といった狭い地域の予測はまだ難しいようだが、それでも70~80%の確率で天気予報が当たるようになってきたと言われている。今日の農業は、短期の天気予報のみならず、中・長期の予測も考慮に入れて営まれるようになってきている。

加筆中