奥比叡の里より「棚田日詩」 | 小さな声で「謹賀新年」

2017/01/01

小さな声で「謹賀新年」

私事で恐縮ですが、昨年私の母親が老衰により亡くなりました。94歳でした。「人様に迷惑をかけてはいけない」という母親の強い気持ちによって、お葬式は親戚も呼ばずに、本当に家族だけで執り行いました。宗教色もなくし、親戚が集ったカラオケ大会のビデオを流しながら楽しく母親を偲びました。そのビデオには、すでに亡くなっている父親の得意げな歌声とそれを嬉し恥ずかしそうに見守る母親の姿が映し出されていました。私自身も初めての体験でしたが、お葬式がこんなにも心温まるものだとは思いもしませんでした。しかし、それもこれも母親が天寿を全うしたという納得と、姉たちの長年にわたる献身的な介護をしたという満足感、そんな気持ちが家族の中にあったからこそのお葬式だったと思っています。

日本人の宗教観や伝統からすると、家族の死から一年間は喪に服すということになっているようです。喪に服すとは、結婚式やお目出たいお祝いの席への参列、神社への参拝、年賀の挨拶、新年の飾りなどを控えるという意味だそうです。やはり私個人については、お正月を祝わないほうが良いようです。しかし多くの人々にとってのお正月は、新たな希望や目標に向かう一年の始まりであり、昨年の様々な出来事を乗り越えたという感謝と喜びの日々でもあります。私の個人的な気持ちとしては、多くの人々とともにお正月を祝いたいと思っています。母親もまた、私の気持ちを理解してくれるだろうと思っています。

ということで、今年は小さな小さな声で「謹賀新年」とご挨拶を申し上げます。

今年一年もまた、皆様の希望や目標が叶いますように、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 


 

二年で止めようと思っていた「棚田日詩 」も新しい年を迎えました。とりあえず、次の一年も続けてみようと思っています。というところが、私の小さな新年の抱負でもあります。たまに立ち寄っていただければ嬉しく思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。



 

私は、写真撮影もそうですが、その写真を修整・加工するレタッチ(Retouch)作業も、更には文章を書くということも全て我流です。いつも心のどこかで、基礎や基本が欠けているのではないか、どこかで思い違いをしているのではないか、何か間違っているのではないかといった不安を抱えています。今年は、少しでもそれらの基礎や基本を身に付けて、不安を解消していければと思っています。先ずは、AMS主催の「フォトレタッチ教室」に通うことにしました。AMSとは、綾羽工業やアヤハディオなどの関連企業が母体となっている写真館です。スマホも、電話とメールと写真しか使えない私です。正直言って、覚えられるかどうか不安もあります。でも今年の5月までは、このことでワクワクできそうです。