奥比叡の里より「棚田日詩」 | ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ④

2015/03/08

3月に入った。この日は雨模様。冬に逆戻りしたような肌寒い日だった。ふと足元に目をやると、小さな春が咲いていた。

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ④

「里山とは何か?」といった問いに対する答えが、少し違った形で環境省のリポートの中に書かれている。そのリポート「日本の里地里山の調査・分析について(中間報告)」において「里地里山」を【都市域と原生的自然との中間に位置し、様々な人間の働きかけを通じて環境が形成されてきた地域であり、集落を取り巻く二次林と、それらと混在する農地、ため池、草原等で構成される地域概念である。】と定義している。厳密に言えばこの答えは、「里山とは何か?」という問いに対応したものではなく、「里山とはどこか?」ということに対する一つの答えではあるが・・・・・(その後の環境省による里山に関するパンフレットには、この定義が引き継がれている)

別の文書も見てみよう。IPSI事務局の『自然とともに』というパンフレットでは、更に突っ込んだ表現になっている。【農耕などを通じ、人間が自然環境に長年関わることによって形成・維持されている二次的自然環境(SATOYAMAイニシアティブでは「社会生態学的生産ランドスケープ※」と呼んでいます)は、世界中に存在します。】【※日本里山里海評価における議論をふまえ、として使用しています。】この文書で重要なのは、IPSIが「二次的自然環境」を「社会生態学的生産ランドスケープ」と呼んでいることである。とすれば、「里山(二次的自然環境)とは、社会生態学的生産ランドスケープである」ということになるのではないだろうか?  但しIPSIでは、「社会生態学的生産ランドスケープ」とは【SATOYAMA イニシアティブが対象とする地域の呼称】と言っている。決して(=里山)とは言っていないところが微妙ではあるが・・・・・

それでは、IPSIの活動を支える最も重要な概念「社会生態学的生産ランドスケープ」とは何か?  『「SATOYAMAイニシアティブ」に関するパリ宣言』の付属文書を見てみよう。

【「社会生態学的生産ランドスケープ」は、生物多様性を維持しながら、人間の福利に必要な物品・サービスを継続的に供給するための人間と自然の相互作用によって時間の経過とともに形成されてきた生息・生育地と土地利用の動的モザイクである。】

私の理解に間違いがなければ、「社会生態学的生産ランドスケープ」とは、農林畜産業等の第一次産業が営まれる地域における二次的自然のことである。但し、環境省のいう極めて日本的な「里地里山」と違ってその範囲は一挙に世界に広がっている。しかしわが国に限って言えば、先の里地里山とほぼイコール、近似値の概念である。

ここで注目しておかなければならないのは、「里山」という概念が、「里地里山」と言われる呼称にせよ、ある一定の特徴を持った地域を指す「地域概念」だということである。そして「社会生態学的生産ランドスケープ」もまた、視野が一挙に世界に広がったとはいえ、農林畜産業等の第一次産業地域に限定した「地域概念」の性質を持った概念だということである。しかし、現代の『里山』が本当にその理解でいいのだろうか?  (続く)


【      】内の文章は、引用文です。興味のない方も多くおられると思われますので、引用は最小限にとどめました。関心のある方はぜひ、ここに出てきた団体や組織が出しているパンフレット、また引用した元の文章をお読みください。インターネットで検索していただければ、簡単に見つかると思います。ぜひ、お読みください。