奥比叡の里より「棚田日詩」 | 里山について

2013/05/12

山や谷を削って創り出された棚田。このような写真を見ると、農業の基礎に土木技術があり、土木事業そのものだと思えてくる。想像してみてください。まだショベルカーやブルドーザー、ダンプカーなどのない時代に棚田を作り出した人達を。そこにどれほど多くの労苦と汗が流されたのかを。そこにどれほど切実な願いが込められていたのかを。私が初めて奥比叡の棚田と出会った時、何よりもそのことに心が震えたのだった。

里山について

 昨年、「棚田日詩」の立ち上げと同時に、自己紹介という意味合いで「農業」や「自然」というものに対する私の思いのようなものを書かせていただいた。その時に、「里山」や「写真」といったことについても書いておこうと思ったのだが、毎週日曜日の更新に追われて延び延びとなってしまった。2年目というキリのいいこともあって、それらのテーマについて私の思いを少し記しておこう思う。(少し長くなりそうです。関心のない方は文章を割愛して、写真だけを見てください)

 

 1992年から95年に掛けて、滋賀・京都・大阪の十数か所で写真展を開いたことがある。どの会場でも「美しい自然の写真ですね」という共通したお言葉をいただいた。その場では「ありがとうございます」とお答えしていたが、内心では「?????」という気持ちが渦巻いていた。この「?????」は、何だったのだろうか。

  第一に、私には自然を撮っているという意識が希薄だった。私の写真が対象としているのは、農業という第一次産業の空間であると思っていたからだ。

第二に、写真の中の稲や柿の木などは、人によって改良され育てられたものであるという思いが強くあったからである。山を削って造られた棚田は、自然そのものであるはずがない。山を見ても、杉や檜は植林されたものである。竹林や雑木林も人為のものである。野の草木も、人がそれを不必要だと思えば刈り取られてしまう。確かにタンポポやススキも、チョウやトンボも、ヘビやカエルも、その生そのものは自然のものである。しかしここには、人為の影響を受けていない自然はない。この自然を単に「自然」と呼んでいいのだろうか?

第三に、ネーチャーフォト(自然写真)というジャンルの写真家は、自然の不思議・秘密の奥深くに入り込み、それを映像化される人たちである。彼らは、ほとんど学者であり、人生そのものをそれに掛けている。と当時も思っていたし、今も思っている。私のような自然音痴のアマチュアカメラマンが撮る自然の写真など、「自然写真」と言われるだけでどこか申し訳なく、恥ずかしい思いがしていた。

  そんな思いが交錯して、先の「?????」となっていた。当時はまだ「里山」という言葉を知らなかった。農業経済と結びつき、農業生産と常にせめぎ合い、共存もしている生物学的自然、この社会の活動と相互の影響関係を持って存在する自然を何と呼ぶべきなのだろうか?  そこで思いついたのが「Social Nature(社会的自然)」「Human Nature(人間的自然)」という造語だった。「里山」という言葉を知るまでの半年か一年ほどの間、奥比叡の里の自然をそのように考えていたし、そのように見つめていた。

(注)  「里山」「奥山」という言葉は、既に江戸時代の文献にも見られるそうだ。近代的な意味での「里山」は、1950年半ば頃から生態学の中で発展してきた概念である。その「里山」という概念の中には、人の活動と相互関係を持つ生態系の実相、その歴史的変遷、社会的意義といった具体的な内容の詰まった、あるいはこれから更に詰まっていく概念である。他方、「Social Nature(社会的自然)」には、社会と生物学的自然との関係の具体的内容はなく、ある意味「空っぽ」の概念であり、思い付きを超えるものではない。ただ「里山」というものを理解するうえで下敷きにはなっていたと思っている。

 

美しい響きとともに、郷愁のような感情すら呼び覚ます「里山」という言葉。その言葉を初めて聞いたのは写真家の今森さんからだった。「あなたも里山を撮っているんや」と言われた時だった。確か1993年か94年の初め頃だったと思う。その時は、山里のことを「里山」という別の言い方もあるのか?と軽く疑問に思う程度だった。それから一週間も経たない頃だっただろうか。今森さんの写真集や著作を読み返していた時だった。突然「里山」という言葉が身体を貫いた。これは大げさな表現ではなく、実際にそのように感じたのだった。そこにある「里山」は、決して山里の別の言い方ではなかった。その時理解した「里山」とは、(できるだけ今森さんの言葉をなぞらえば)

①  人間の手の入らない無垢の自然を第一次的な自然だとすれば

②  里山は、人の暮らし、人の営みと互いに影響を及ぼし合って存在する生命ある自然。無垢の自然に対して里山は、二次的な自然だともいえる。

要するに、人の暮らしと共にある生物学的自然、その空間だと理解した。厳密な意味で、今森さんの言う「里山」がこの理解で正しいのかどうかは自信がないが、当時も今もこのように思っている。

「革命」だと思った。日本人の自然観の「革命」だと思った。ここでいう革命とは、それまでの日本人の自然観の延長線上にある概念とは異なり、質的に違う、新しいステージ、新しい段階を表す概念だという意味である。これまで私たちは、人の入ったことのないアマゾン奥地の生物学的自然も、田んぼの畔に立つ柿の木やその実を食べにくる鳥たちも共に「自然」だと理解し、それを分けて考えることはなかったのではないだろうか。

無垢の自然と社会的影響下にある自然を分離して(無関係という意味ではない)見る見方、「里山」という視点を持つことの社会的意義は重大である。
 「 自然との共生」。この言葉は、現代社会が自然との共生を忘れ、それをいかに破壊してきたのかという現実の反語である。わが国の国土の大部分の自然が里山化されている今日、人間活動(殊に経済活動)を考慮に入れない自然観、その下での「自然との共生」は、一つの空語に過ぎない。そしてそれはわが国のみならず、世界の自然が里山化されていく現代にあって、「里山」は世界史的意義を持つ概念であるはずである。

当時、私の身体を貫いた「里山」についての理解は、概ねこのようなものだった。

 

今森さんが「あなたも里山を撮っているんや」と言われた言葉は、少し正確ではない。今森さんは「里山」という思想・科学を目的意識的に映像化しようとしてシャッターを切ってこられた。私の写真に「里山」の思想や「里山」を映像化しようという目的意識性はない。むしろそうしたことをできるだけ意識せずに、心の向くまま、気の向くままに撮影しようと心掛けてきた。私にとっての「里山」は、撮影の目的や動機ではない。むしろ撮影の結果である。言葉を変えれば、「里山」を撮っているのではなく、「里山」が写っているといった方が正確だと思っている。

いつもファインダーを覗いていて、チョウや草花の写真だけでは何か情報量が足りないように感じてしまう。そこに人が作ったものや、人の気配のようなものがないと物足りなくなってしまう。こうした感覚は、田んぼ写真を始めた頃から今日まで変わっていない。そこがある意味、私の写真を里山的なものにしているのかも知れない。

  京都市という都会の中心街、自然とは遠く離れた所で育った一人の人間が、今森さんの言う「生命の小宇宙」と出会って何を感じ、何に心動かされたのか?  その軌跡のようなものが私の写真の中に写っているのも確かである。要するに、都会の人たちが「里山」(や棚田)という空間に出会って、そこでどんな心理的影響を受けるのかといった一例の写真であるとも思っている。

  このホームページのタイトルを「里山日誌」とせずに「棚田日詩」としたのには理由がある。振り返ってみれば私の個人的な関心が、生態学や自然の中にあったのではなく、もう少し人間の社会という角度からこの風景を感じ、見つめてきたからである。(単に見つめてきただけで、それを目的意識的に映像化しようとしてきたわけではない)  そして私の写真自体が、ドキュメンタリーのようなものではなく、心象的な色彩が強いと思っているので「日誌」ではなく「日詩」としてみた。

 

(「里山」については、もっと書かなければならないこともあるのですが、別の機会に譲りたいと思います)

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一番上のタイトル写真は、馬蹄形の棚田の右側の土手を撮ったものである。今日田んぼに出てみると、その馬蹄形の棚田の中心にある田んぼが田植えされていた。例年は、酒米の山田錦を植えているせいか、この辺りでは一番遅い5月末~6月初旬の田植えだった。今年は一般の食用の米を植えるため、早まったそうだ。棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山