奥比叡の里より「棚田日詩」 | 代掻き/カクリマンガン

2018/04/14

代掻き/カクリマンガン

代掻き(しろかき)とは、田起こしされた田んぼに水を入れ、土を細かく粉砕し、掻き混ぜて、田んぼの土を平面にしていく作業のこと。目的は土を泥状に均質化し、どの稲も均等に生育させることと、苗を植えやすくすることである。また、雑草の発生を抑える効果もあるといわれている。

昔の代掻きは、荒代 (あらじろ) 、中代 (なかじろ) 、植代 (うえじろ) の3回行うのが普通だったようだ。今も機械化されているとはいえ、見ていると日数を置いて何回か行われているようだ。

上の写真は、田起しでできた畝の土を粉砕し、掻き混ぜている所である。正に荒代 (あらじろ) 作業の最中である。

かつて、土を細かく粉砕するのに「万鍬(マンガ/マグワ)」という農具が使われていた。万鍬は鍬の一種なのだろが、先端の形状が異なる。柄からT字型に組まれた木の棒に、何本もの鋭い串が突き出された形をしている。

下の写真に写っているV字型のものは、万鍬と同じ機能を持つ「カクリマンガン」と呼ばれる農具である。使われなくなった農具の整理なのか、ここに2年ほど捨て置かれ朽ちていったものである。

恐らくマンガンは、「万鍬」という農具のこの地方独特の呼び方である。カクリとは、田起しでできる人の頭ほどの大きさの土の塊を細かく粉砕するという方言のようだ。但しこちらのマンガンは、土壌が粘土質の田んぼで威力を発揮してきたようだ。

カクリマンガンは、Vの字の底を支点にして180度開く構造になっている。その上に人が乗って牛に曳かせていたという。田んぼに水を入れる少し前、3~4回ほど掛けて畝を壊し、土を細かくしていった。丁度今頃、大活躍していた農具であった。

 

万鍬は、1700年ほど前から始まる古墳時代に大陸から伝わってきたという。日本の農業と日本人の食を支えてきた重要な農具であった。この千数百年という歴史を持つ万鍬は、最初は木製の小さなものであったらしい。それが牛馬の利用とともに大型化し、串の部分も鉄製のものに変わっていったという。

ほんの40~50年ほど前のことである。この万鍬にとって代わる道具が現れた。耕運機やトラクターの出現である。耕運機は土を細かく砕くことを目的とした機械だが、1967年には全国で300万台以上の普及を見せていたという。恐らくこの時期、奥比叡の棚田でも牛の鳴き声に代わってエンジン音が響き始めたのではないだろうか。

今日の写真は、代掻きに使われた新旧の道具が主役となっている。ほんの数十年ほど前、日本の農業がどんなに大きな変化の中にあったのかを静かに語ってくれている。耕運機やトラクターは、農作業の省力化や生産性の向上に大きく貢献してきた農具である。と同時に、農家の兼業化を促進してきた農具でもあった。そして農村から、牛や馬も消えていった。