奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2013 | 2月

2013/02/24

伊吹山遠望

仰木の棚田から望む伊吹山である。伊吹山は、滋賀県と岐阜県の県境に位置し、滋賀県最高峰(1377m)の山である。仰木からは北東の方角にあり、琵琶湖を飛び越して、直線距離で60㎞ほどになる。琵琶湖の南を回り込んで東海道に沿って北上して行くと100㎞近くの道程となる。冬の空気の澄んだ日には、この伊吹山地だけでなく、三重県との県境にある鈴鹿山系などもくっきりと姿を現してくれる。まだ人々が身分に縛られていた時代、自由な移動が制限されていた時代、徒歩が主な交通手段であった時代、その時代の仰木の村人たちは、遥か琵琶湖の彼方に現れる山々をどのような思いで眺めていたのだろうか?滋賀県  仰木  棚田  棚田米  里山

2013/02/20

林道点景

奥比叡の山々は、中腹より上はほとんどが檜や杉などの針葉樹林となっている。かつての自給自足的な経済の下では、村の人々の家の建築には無くてはならないものだった。一軒の農家を建てるのに、檜や杉の木が80~120本ほどいるそうだ。500世帯もあれば、それなりの木材を必要とした。1965年辺りまでは、電信柱としても盛んに使われていた。最近の農家の新築を見れば、プレハブのモダンな家が目立つ。電信柱もほとんどがコンクリート製に替った。需要の側の劇的な変化は、この辺りの産業としての林業の危機を深めた。加えて農業の危機、労働力の高齢化は、村の林業の高齢化でもあった。山の維持と再生が国の支援なしには難しくなっている。

最近、仰木の桜公園の上にある針葉樹林の中に新しい林道が作られている。伐採と搬出用の道である。多くの木が伐り出されている。単に間引かれているだけかもしれないが、もし何らかの需要が生み出されているとしたら、やはり嬉しい変化だといわなければならない。

 

ここは、仰木より少し北にある村。この林道を訪れるのは、丁度一年ぶりくらいになるだろうか。まだ数日前に降った根雪が残り、時折激しい風と共に雪が舞っていた。棚田のある村から真っ直ぐの道を山の方へ登っていくと、しばらくはクヌギを中心とした雑木林が続く。更に登り続けると、今度は一面の杉林となる。麓から棚田・雑木林・杉の針葉樹林とはっきりと区切られていて、その風景の違いが一目瞭然に分かりやすい所である。

今日の写真は、山の中腹に広がる針葉樹の林から、麓に近い雑木林まで徐々に降りてきた撮り下しの風景である。滋賀県  仰木  棚田  棚田米  里山

2013/02/10

お散歩日記

私の撮影スタイルはお気軽なものです。「傑作を撮ってやる!」といった「一球入魂」的な力の入ったものではありません。そうした写真もなくはないのですが、どちらかというと「お散歩写真」的なものです。あるいはその日、その時に感じた思いを写真で綴る「写真日記」とでもいうべきものです。田んぼを歩いていて、なぜか分からなくても心に響いたものを片っ端から撮っていきます。ほとんどの写真が出会いがしらのインスピレーションといったところです。2~3時間ほど歩くと300~600枚ほど撮ってしまいます。このホームページの写真は、99.9%がこのようなスタイルで撮られたものです。今日の写真などその典型的なものですが、何かの役に立つ写真というよりは、散歩の中で自分にとっての「愛おしいもの」を撮っているといった感じです。愛おしく感じるものが、ほかの人と比べてちょっと変かも知れませんが・・・・・ こうした写真を見ると、私の写真はやはり「お散歩・日記」なのだと改めて思えてきます。

 

———————————————————————————————————————————

最近では、農機具に付いた田んぼの泥などが村の中に持ち込まれるのを嫌がる人が増えている。そのため農具小屋は、棚田の中に直接建てられるようになってきた。農具小屋が棚田の中にあれば、農機具が村の中を通ることもなく、泥が落ちることもない。当然機械類を入れなければならないので、メーカー製の大きな農具小屋が必要となる。一番上の写真は、棚田の中に建てられた新しい農具小屋の周りに、使い古しの道具が村から引っ越してきたところである。どれも実際に使われてきた道具だけが持つ風貌がある。特に雪の綿帽子を被った七輪が可愛く、みんなとおしゃべりしているように思えた。

二枚目の写真は、一番乗りだと思っていた私より先に、すでにお百姓さんが来られていた、という証の一枚。

三枚目は、逆光で真っ黒になっているが、これはカラスではなく山鳩である。冬の少ないエサを求めてやって来ているのかもしれない。

四枚目は、雪の棚田の中に置き去られた防火用バケツ。ここに存在する理由がどこにあるのだろうか? ちょっとミステリアスで愛らしかった。

五枚目は、ドラム缶と融けかけた雪の風情が面白かった。このドラム缶は、シシ(猪)やシカを脅すために使われている。このドラム缶を木の棒などに吊るして、中に入れた薪を一晩中燃やし続けるといった脅しである。大きな効果がないのか、手間が大変なのか、それともここ数年のシシの被害が大きすぎてこんな方法では間に合わなくなっているのか、いずれにしても最近はあまり見かけなくなっている。滋賀県  仰木  棚田  棚田米  里山

最後の写真は、葉っぱの周りから溶け出す雪が面白かった。比熱が違うからと言ってしまえばそれまでだが、命あるものの暖かさのようなものを感じさせられた。

2013/02/03

ふきのとう

みぞれ交じりの雪が降る寒い日だった。棚田の片隅に「ふきのとう」を見つけた。毎年この花と出会う度に、「もうすぐ春だよ」といった声が聞こえて来るような気がする。

「ふき」は、どちらかというと水分の多い所を好むようだ。田んぼの横を流れる小さな小川のほとりや、同じ棚田の土手でも多少水気を多く含んだような所に自生している。なるほどこの写真も、棚田の土手からじわじわと水が浸み出すような所であった。この「ふき」を撮ろうと三脚と重いカメラバッグを抱えて細い畦道を進んでいたその時、バランスを崩して畦を踏み外してしまった。普通の田んぼなら何事もないのだが、この田んぼは完全に湿田化(11月4日のDiary参照)していた。左足の膝下あたりまで泥田の中に沈み込んでしまった。足を上げようとしても、泥が重くて持ち上がらない。気合を入れて思いっ切り足を引き上げると、長靴だけが泥の中。という形で左足は無事泥田から抜け出せた。とその瞬間、再びバランスを崩してやっと抜けた左足が泥の中に沈み込んでしまった。結局、靴下もズボンも泥だらけになってこの難局?を抜け出すこととなった。棚田の撮影には、時折こんな不幸?もある。という思い出深い「ふき」の撮影であった。

 

「ふき」は、数少ない日本原産の野菜(山菜)の一つである。古来よりこの辺りでも、冬から春にかけての貴重な食材だったのに違いない。日本料理の世界では、「春には苦味を盛れ」という言葉があるそうだ。その代表格が「ふきのとう」である。出張で信州などに行ったときは、そばと「ふきのとう」の天ぷらをよく注文する。その優しい苦さが、この季節そのものを味わっているような思いにさせてくれるからだ。滋賀県  仰木  棚田  棚田米  里山

(この写真の「ふきのとう」は大きくなりすぎて天ぷらには適さない。残念!)

 

-------------------------------------------

上の2枚の写真は、同じ日に撮影したものです。下の写真もよく見ていただければ、みぞれ交じりの雪が降っています。いずれも家庭用の安物のスキャナーでフィルムから取り込んでいます。フィルムの平面性を確保するのが難しく、なかなか思ったようなピントが来ません。色も、変な色に偏ったり、例えば雲の濃淡が真っ白に飛んでしまったりと思うようにいきません。また、そうしたことを修正する技術も未熟です。加えて、見ていただくモニター毎に色味も変わってきます。できるだけ、フィルムと同じ状態で見ていただきたいのですが、その点が残念に思っています。ネットで写真を見ていただくことの難しさを、ヒシヒシと感じる今日この頃です。