奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2015 | 6月

2015/06/28

見渡す棚田が緑色に染められていく。今日の写真は、棚田に点在するヒノキや杉の林を散策した時のものである。6月、それぞれの「緑」が深まりゆく美しい季節である。

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑦

わが家のプランターに広がる「里山」。余りにも小さな事例だったのかも知れない。ただ普遍化された「里山」の概念の内容・構造といったものをシンプルに表現したくて書かせていただいた。「里山」は、生態学の中で発展してきた概念である。そこが「里山」かどうかは、人の営みの影響を受けた自然の側に生態系が成立しているかどうかが重要な要件となる。反対に考えれば、花瓶に挿された生け花などは、そこに生態系が成立していない限り「里山」ではないということになる。

日本を代表する「里山」が農村地帯、殊に「奥比叡の里」のような中山間地域の農村地帯にあるという点については異論はない。しかし、人の営みと相互関係を持つ生態系「里山」は、農村地域にとどまらず、林業や水産業、畜産業、鉱業などが営まれる地帯にも存在している。更には、工業や商業が営まれる都市部にも広く存在している。これが普遍化された「里山」の概念から導き出される必然的な答えではないのだろうか。

環境省のいう地域概念としての「里山」は、日本の農村地帯や恐らくアジアの米作地帯にしか適応できないような狭い概念である。その概念を外延的に世界に広げていったIPSIの「社会生態学的生産ランドスケープ」という概念もまた、ある種の地域概念という性質を持っている。共通するのは、第一次産業地帯、殊に食糧生産地帯に「里山」が限定されているということである。当然こうした「里山」の理解からは、都市部における「里山」や鉱工業地帯における「里山」がすっぽりと抜け落ちてしまっている。冒頭に書いた京都市の中心街における自然を思い起こしていただきたい。

京都市の町屋は「うなぎの寝床」と呼ばれるほど細長い家が多い。間口が狭く、他府県の人たちが想像する以上に奥行の深い家屋である。そもそも平安京は、唐の長安(現西安市)を真似て、街路を碁盤の目状に配した条坊制によって作られた。その碁盤のマス目のような方形の中に肥大化する都市の家屋や店舗を配置しようと思えば、この「うなぎの寝床」が最も合理的だったようだ。碁盤の目の四辺の街路を挟んで、玄関が向き合う形で家屋・店舗が連なっている。それでもマス目の中心部には多くの空地が生まれた。ここに住居や職人たちの作業場を建てるためには、多くの路地(ろーじ)を必要とした。私の子供の頃には、この路地が格好の遊び場となっていた。

京都市は、三方を山に囲まれた典型的な盆地の気候である。夏は蒸し暑く、冬は冷え込んだ。殊にエアコンのない時代の夏の不快さは耐え難いものがあった。そのため、大抵の町屋には中庭や裏庭が造られている。夏の朝夕、その庭に打ち水が撒かれる。その際、水の蒸発とともに発生する気化熱は土中の熱を奪い、実際に庭の温度を何度か下げてくれたはずだ。同時に小さな上昇気流が起こり、細長い家屋の中にかすかな風を運んできてくれた。そうした生活の必要から作られた中庭や裏庭には、小さな生き物たちの独特の小宇宙が作られていたはずだ。そればかりでなく、京都市の中心街で生きる昆虫や鳥たちにとっては、オアシスのような役割を果たしていたのではないだろうか。

長く「都」であった京都市は、政治的都市のように思われがちだが、中世以降はむしろ呉服などを中心とした商業都市として発展してきた。今観光資源となっている「町屋」の多くが店舗を兼ねた住居であった。街路に面した紅殻(べんがら)格子を取り外せば、そこはもう商品を陳列する部屋になっている。街路は、今でいうウィンドーショッピングをする人々で賑わっていたはずだ。朝夕には、店の前の街路はきれいに掃かれ、土埃がたたぬように水が撒かれていたのではないだろうか。京都市では、朝夕の清掃という商家の習慣が、長い時間を掛けて各町内に広がり、伝統となっていったのではないだろうか。それが、私の子供の頃に見たおばあちゃんやおばちゃんたちの家の前の道路を掃除する姿だったのではないのだろうか。そしてそうした習慣と伝統が軒下や路地の片隅の小さな自然を育てていたのではないだろうか。

私の子供の頃に遭遇した生きものたちの自然、この自然は、古代京都の町づくり、気候、歴史的経緯、そこで生み出される人々の習慣や伝統、そうした人の営みと密接に結びついてあったのではないだろうか。もしそうだとするなら、IPSIはこの「二次的自然」を何と呼ぶのだろうか。

 

(続く)









私の本業の方の株主総会が迫ってきました。更新は、少し遅れるかもしれません。
2015/06/14

変な気候

稲の背丈も随分伸びて、徐々に田んぼの水面を覆い隠すようになってきた。棚田の谷底を流れる小川には、先月の20日頃からホタルが舞い始めている。今年の春は早く終わってしまったのか、5月には真夏日が続いた。ところが6月に入って、夜など肌寒い日が多くなっている。エルニーニョらしいが、それにしても変な気候である。


 

「ちょっと気掛かり・・・私の自然体験」は、近い内に続けさせていただきます。