奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2013 | 7月

2013/07/28

暑中御見舞

1988年、アメリカ上院議会の公聴会において地球の温暖化が警告された。それから25年、多くの人々の努力にもかかわらず、平均気温はまだ上昇を続けているようだ。この25年は、私がカメラを持って田んぼを歩いてきた時間とほぼ重なるものである。それが温暖化と関係しているのかどうかは分からないが、殊にこの10年ほどは、何かが違う、どこかがおかしいと感じる天候や事象が多くなってきているように思われる。この季節、この時期にはこんな風景と出会えるだろうという経験値からくる予測がハズれることが多くなっている。季節の規則性やリズムのようなものが崩れてきているのかもしれない。私が子供だった頃の半世紀前には、熱中症や竜巻などというものがニュースになることはほとんどなかった。ゲリラ豪雨などという言葉すらなかった。変わりゆく自然環境と伴に歩んできた農業。これからの20年、この地のお米の種類や病気、害虫などの生態系も大きく変わっていかざるを得ないのかもしれない。

今年は早くに梅雨が明けたが、先週は曇り日が多く、今日も時折雲間から陽射しが差し込むといったスッキリしない夏日である。稲の成長にとっては、少し日照時間が少ないのかもしれない。それでも気温は連日30℃を超し、蒸し暑い。

先週は多くの田んぼで穂が顔を出し、小さな白い花を咲かせ始めた。蝉の鳴き声も谷全体を覆い、うるさいほどである。雲に覆われた空模様を除けば、棚田はすっかり夏の様相である。

まだまだ暑い一夏を越さなければなりません。このホームページを見ていただく皆様、本当にありがとうございます。そして、くれぐれも御身体ご自愛ください。

2013/07/21

お米の赤ちゃん

夏の太陽の直射は容赦がない。夕方田んぼに出てみると、緑の絨毯の彼方に積乱雲が湧き、辺りの雑草や木々もこの暑さの中で少しお疲れ気味の様子である。 

今、青々と茂った稲の茎の中では、お米の赤ちゃんが育っている。人間で言うと、お母さんのお腹の中でスクスクと育っているといったところだろうか。もう少しすると、稲の穂が顔を出し、花を咲かせ、やがて黄色く色づいてくる。そして、あと一月か二月もすると収穫され、私たちの今年と来年のお腹を満たしてくれるようになる。元気に育て! お米の赤ちゃん!!

2013/07/14

土用干し

関西では、先週の月曜日に梅雨明け宣言が出された。その後、金曜日までは猛暑日が続き、熱中症が続出していた。土日は一雨来て、気温も25度前後まで下がり、本当に一息つかせてもらったという感じである。いずれにしても今年は、梅雨入り梅雨明け共に例年より早く、気象庁泣かせだったようだ。

水曜日の夕方棚田に出てみると、目に染み入るような緑が輝いていた。時折谷を吹き抜けていく風に、波打つ稲が美しかった。

先々週あたりから、多くの田んぼで土用干しが行われるようになってきた。田んぼの水を抜き、土を空気に触れさせ乾燥していく作業である。乾燥というよりは、“干す”といった方がぴったりくる。この作業には、① 根腐れを防ぎ、根を深く強く張らせ、稲を倒れにくくする。 ② 土中の有害ガス(硫化水素、メタンガスなど)を抜く。 ③ 肥料分であるチッソの吸収を抑え、過剰分げつを抑制する。 ④ 土を干して固くし、秋の収穫などの作業性を高める。等々といった目的がある。

土用干し(中干し)は、全国の田んぼで行われる作業である。ただこの作業にも、棚田特有の難しさがあるようだ。もう少し乾燥させた方がいいと思っても、ここではそれができないらしい。余り乾燥させ過ぎて大きなひび割れを作ってしまうと、そこから水漏れを起こし、今度は棚田の土手を崩落させてしまうことがあるそうだ。どれほど乾燥させるのかは、田んぼ一枚一枚で環境や条件も異なり、農家の腕の見せ所でもあるようだ。

2013/07/07

深呼吸

梅雨の明けた7月の日中は、うだるように暑い。私の一番苦手な季節である。太陽が西の空に傾き、気温もわずかに下がる頃、田んぼに出掛けることが多くなる。できれば、弱い風でも吹いてくれるとありがたい。それは、昼間の強い直射日光を避けたいというだけではない。この時間帯、この時期特有の棚田の美しさを見せてくれるからである。午後の射光線に照らされた棚田は、光と影の強いコントラスを描き出す。棚田の土手の真っ黒な影、その影の上に広がる輝くような稲の緑、それが棚田の形状を一層印象深く際立たせてくれる。2時間ほど棚田を巡って撮影していると、やがて太陽は奥比叡の山々の彼方へと沈んでいく。その時から風景は一変する。棚田を照らす美しい陽射しは消え、影のない平板な風景に戻っていく。

大抵はこの段階で撮影を止め、夕飯の待つ家路へと急ぐ。しかし時折り、どうしても帰れない時がある。更に何かを撮影したいというわけではない。ただ、心が立ち去り難いだけである。カメラや三脚、すべての機材を畦に投げ出し、草の上に腰を下ろす。汗に濡れた身体が心地よい疲れを感じている。何を考えるわけでもない。頬は通り過ぎる風を感じ、耳が蝉やカエルの鳴き声を聞いている。ねぐらに帰る鳥たち、流れ行く雲、刻々と変わる空の色、それを目が追い続けているだけである。ここに座っていると、すべてのものが愛おしく感じられ、掛け替えのないものに思えてくる。それでもこうした言葉だけでは掬えない気持ちが溢れ出してくる。気が付けば、胸いっぱいの深呼吸をしている自分がいる。大きく、深く・・・・・   辺りが暗闇に包まれてもまだ、そこを離れられない時がある。

今日の写真は、そんな夕暮れ時のものである。心が具象と抽象の間を、リアルと心象の間を行きつ戻りつしている。

 

 


今日は七夕様。すっかり忘れてしまっている。まだ梅雨明けの宣言は出されていないようだ。先週も雨と曇りの日が多かった。すでに棚田では「中干し」が始まっている。おじいちゃんたちに聞くと、この辺りでは「土用干し」と呼ばれることが多いらしい。かつては夏の土用の日を目安に田んぼの水を抜き始めたからだ。今年は7月19日が土用の日に当たるが、近年田植えの時期が早まったこともあって、「中干し」も早く行われるようになってきた。