奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2012 | 8月

2012/08/26

大切なもの

ここは上仰木から隣村の千野へと続く棚田である。田んぼも空に浮かぶ雲も既に真夏のそれではなく、秋の気配を漂わせ始めている。このトタン屋根の下には、ハサ掛けに使う細い丸太などが積み重ねられ仕舞われている。三色に色分けされたトタン屋根が、何ともモダンに感じて写した一枚である。(途中)


お詫び   26日の日曜日に一度文章をUPしたのですが、なぜかブログに反映されませんでした。しかも文章そのものも消えてしまいました。ブログやネットは初体験のため、操作を間違ってしまったのだと思います。続きを書こうと思っているのですが、仕事が詰まっていてなかなか手がつきません。今、この文章は出張先の信州で書いています。信州から帰ったら、できるだけ早いタイミングでUPしたいと思います。お待ちください。

追記) 今日は姥捨て山の棚田の中を通ってきました。山の斜面に積み重ねられた小さな田んぼが、仰木と同じように黄色く彩られていました。

2012/08/19

里芋

里芋と言えば筑前煮。庶民の秋の味覚の代表格である。里芋は根菜の部分だけでなく、その茎も「ズイキ」として食べられる。調べてみると、原産地はマレーの辺り。既に縄文時代には日本に入って来ていたらしい。とすれば、恐らく日本人の御先祖様となられた人々と伴に、米などと一緒に渡来してきたのではないだろうか。里芋の語源は拍子抜けするほどストレートだ。山に自生する芋を「山芋」、里で採れる芋だから「里芋」と呼ばれてきたようだ。縄文後期に渡来してきたとすれば、4000~5000年近くもの間、日本人の食生活を支えてきた素晴らしい野菜である。収穫は米と同じように晩夏から初秋にかけて行われる。この写真は、収穫の2~3週間ほど前のものと思われる。午後の斜光を受けて立派に育ったハート型の葉っぱと葉脈が美しかった。


大?そうめん流し大会/8月18日 (土) ———————————————

 午後3時から、仰木の小椋神社の森で「そうめん流し」が催された。氏子の発起により、今年で3回目となる。鎮守の森は昼なお暗く、猛暑の中でもひんやりと涼しい。おじいちゃん・おばあちゃん、お父さん・お母さん、赤ちゃんから小中学生まで、村の三世代が集い、勢いよく流れてくるそうめん取りに興じていた。いつもは蝉の鳴き声しか聞こえない鎮守の森に、子供たちの笑い声がいつまでも響いていた。世話役さん、宮司さん、本当にご苦労様でした。

 

 

2012/08/12

蝉しぐれ

これは朝焼けでも夕焼けでもない。童謡「赤とんぼ」にある小焼けの方である。ここでの夕陽は、奥比叡の山々の背後に落ちていく。山が邪魔をしているのか、あまりドラマチックな夕焼けは出ない。その代り夕陽が沈む反対の東の空(琵琶湖側)に、この日のような美しい小焼けが出ることがある。この情景を見たとき、夕暮れの茜空を背景に柿の木をシルエットで表現してみようと思った。カメラを三脚に据え、絞りや露出をあれこれ考えている時に、土手の影から突然おじいちゃんが現れた。私はそれまで、あまり人物を撮ることはなかった。この時は何故か「一枚撮らせてもらっていいですか?」という言葉がつい口から出てしまった。おじいちゃんも「いいよ」と快諾。焦ってしまったのは私の方だった。カメラは買ったばかりの6×6判(中判カメラ)。操作もまだ分かっていない。この逆光の中でストロボも持っていない。「レンズは広角? それとも標準?」「え~と、え~と絞りはf16?」「露出補正は-2/3? いやいや+2/3?」「ピントはどこに?」などとやっているうちに汗だけが頬を流れていく。結局レンズの交換からシャッターを押すまでに1分ほども掛かってしまった。こちらの焦りと緊張が伝わっていったのか、おじいちゃんもだんだん不安げに固まっていく。本来なら、おじいちゃんがこちらに歩いて来る様子をイメージしていたのだが、コチコチに固まった記念撮影のようになってしまった。どうしても小焼けの美しさを出したかったため、おじいちゃんの顔は暗くなってしまった。お許しください!

   この写真は、20年程前のちょうどお盆も過ぎた頃である。稲穂が育ち、田んぼも少し黄色くなり始めている。おじいちゃんにお礼を言って、撮影機材を愛車に仕舞い始めた。緊張が解けてふと一息つくと、この風景全体が蝉しぐれの中にあった。

2012/08/05

根性のない写真

 奥比叡の里と出会って23年。この間、棚田の写真ばかりを撮ってきたわけではない。こうした村の風景も数多く撮影してきた。何人かの友人から「白川郷(合掌造り)のような農村風景は撮らないのか?」と尋ねられることもあるが、白川郷を撮りたいと思ったことは一度もない。私に限って言えば、この写真のような農村風景に何故か心が惹かれてしまう。恐らくその風景が象徴する時代性のようなものが違うからだと思われる。私にとって白川郷は、一昔前の日本の農村を象徴しているように思われる。確かにそこには日本人の心のふるさとや郷愁といったものを感じさせてくれるものがある。しかし私の心に強く響くのは、そうした郷愁ではなく、もう少し現代的な農村風景である。

  この写真を撮って、もう20年近くになるだろうか。それでも、この時のことはよく覚えている。ファインダーを覗いてみると、どこか物足りない感じがした。「そうだ、この風景の中に人がいないからだ!」 ということで、人が通ってくれるのを待つことにした。できれば、麦藁帽子・半ズボン・白いランニングシャツを着た少年がジュースを買いに来てくれるのが一番いい。いやいや、手押し車を押すおばあちゃんが通ってくれる方が現代の農村風景らしくていい、などと勝手なことを思い描きながら三脚を据えて待った。しかし誰も来てくれない。暑すぎたのか人の気配すら感じない。

ここに来るまで、一時間ほど村の中を歩き回って来た。既に上半身はシャツの色が変わるほど汗でビッショリ濡れている。それにしても暑すぎる! 私は夏が大嫌いだ!  ここで20分ほども待っただろうか、そこが体力の限界、待てる精神力の限界だった。「もう、アカン!」  私はたまらず、車のクーラーに逃げ込んでしまった。そんなことで、この写真には少年もおばあちゃんも写っていない。その代り、夏に弱く、20分も待てないカメラマンの根性のなさが写ってしまっている。

  当時は、この辺りにコンビニはなかった。お茶やジュースが欲しい時にはこうした自動販売機か村の雑貨屋さん、駄菓子屋さんなどで買っていた。10年ほど前から村の近くに数軒のコンビニが出店され始めた。当時、この自動販売機は3台並んで置かれていたのだが、今では1台だけになっている。こんな小さな変化にも、村をめぐる十数年の時の流れを感じさせられる。