奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2019 | 10月

2019/10/30

写す者が写る

この写真を撮ってもう25年以上経つ。枝ぶりの面白い左手の大きな木は、柿の木である。伊香立の融(とおる)神社の近くにあった。と過去形で書くのは、この辺りの田んぼは圃場整備によって四角い大きな田んぼに生まれ変わり、それにつれてこの柿の木もなくなってしまったからである。

田んぼ写真を撮り始めた1990年頃からこの木になぜか心惹かれ、四季折々の姿を何百枚も撮らせてもらってきた。もっとも当時の腕前からすればほとんどが失敗作で、納得のいくものはなかった。それでもふり返って見ると、その大量の失敗作を通して少しずつ写真の勉強をさせてもらってきたように思う。

今日の一枚は、その中でも少しマシなものを選び、フィルムからスキャニングしたものである。当時は自分自身の写真に対する欲望水準が低かったために、解像力の低い安物のレンズを使っていた。細かな枝や葉っぱの一枚一枚が明瞭に写っていない。という当時の自分のレベルが写っている。ある意味写真は、写されるものとともに写す者も写し込んでいく。