奥比叡の里、かつてこの辺りには「鎧田(よろいだ)」と呼ばれる棚田がありました。谷の斜面に沿って細長く小さな田んぼが幾重にも積み重ねられていたと、おじいさんたちは懐かしげに語ります。それが鎧の帷子(かたびら)のように見えたのでしょう。あまりの田んぼの細長さに、耕作牛が回りきれなかったという笑い話が残されているほどです。
圃場整備が随分進んだとはいえ、ここには美しい曲線で区切られた昔ながらの棚田が残されています。その昔ながらの田んぼで、美味しいお米が今も作られています。
春、山の栄養をいただいた湧き水は、ため池に蓄えられ、小川と合流し、迷路のような水路を伝ってやがてすべての棚田を潤していきます。この湧き水は、その小さな旅路の中で里山の数知れない生き物たちの生命(いのち)を育み、秋には黄金の稲穂を実らせてくれます。
田んぼの土塊(つちくれ)は、おじいさん・おばあさん、そのずっとずっと前のおじいさん・おばあさんからの汗と祈りが染み込んだ贈り物。欲張ってはいけない。美味しいお米を作るには、《土塊の力》以上の収穫を求めないことが大切。少ない収量の中でも、昨日よりも今日、今日よりも明日、少しでも美味しいお米を食べてもらいたいと願うお百姓さんたちがいます。雨の日も風の日も、朝早くから日が暮れるまで何度も何度も田んぼに足を運びます。跡継ぎもいない厳しい農業環境とはいえ、いつも稲と対話をしながら、米作りに情熱を傾けるお百姓さんたちが今日も頑張っています。
奥比叡の山々の湧き水と先祖伝来の土塊で育つお米。そんなお米を少しでも多くの人たちに知っていただきたくて、このホームページを立ち上げてみることにしました。これから見ていただく私の田んぼ写真は、そうしたお米が育つ環境を写したものだともいえます。このホームページが、少しでも「仰木棚田米」の応援歌になれれば、本当に嬉しく思います。
————————————————————————————————–ちょっと自己紹介
私、「山田かかし」と申します。
人生も少しくたびれてきたかなと思われる年齢不詳のアマチュアカメラマンです。「山田かかし」というフザケタ?名前は、もちろんペンネームならぬフォトネームです。良からぬ事を企てて、本名を隠しているというわけではありません。本名は大田修と申します。写真とはまったく別の仕事をしてきました。なぜ、フォトネームを使っているかというと、深い意味はなく軽いお遊びだとご理解ください。奥比叡の棚田と出会って23年、田んぼの移り変わりを静かに見つめてきました。そうした意味では、「山田かかし」という名はなかなか言い得て妙だと思っています。
この間、淡々というか、コツコツというか、ボチボチというか、とりあえず棚田の写真を撮らせてもらってきました。撮影を始めて3年目に地元の滋賀・京都・大阪などで写真展をした以外、ほとんどの写真が誰の目にも触れず、ダンボール箱の中で、そしてパソコンの中で眠ってきました。というよりも、撮影した私自身にも忘れ去られている未整理の写真(大部分が失敗作)が大量に溜まってしまって困っているというだけの話しです。このホームページをきっかけに、そうした写真をもう一度見直し、整理しなければ!と自信もなく弱気に思っています。
写真は、社会と結びつく(見ていただく)ことによって良かれ悪しかれ何がしかの意味を持つようになると常々思ってきました。人生の晩年にさしかかり、長年撮影させていただいた御礼方々、私の写真が少しでも村のお役に立てないかと思っています。
このホームページも、淡々というか、コツコツというか、ボチボチというか、私のスタイルで進めさせていただきます。時折、覗いていただければ嬉しく思います。
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仰木町をはじめ、快く写真を撮らせていただいた伊香立、坂本、千野、雄琴、真野、栗原といった村の方々には、心から感謝し、厚く御礼申し上げます。また農作業中にもかかわらず、撮影でお邪魔をしてしまったこともあろうかと思います。この場を借りてお詫び申し上げます。
それぞれの村の方々が大切に守り通してこられた田んぼや家々の写真なども無断で掲載させていただくことになると思います。お許しいただきたいと思います。また、人物写真については、最大限ご本人に了解をいただいた上で掲載させていただくつもりですが、無断での掲載もないとは言えません。その節は、何卒ご海容いただきたくお願い申し上げます。
この23年間、本当にありがとうございました。そして、これからの撮影もお許しいただきたく、よろしくお願い申し上げます。
琵琶湖対岸の近江富士を望むこの棚田は、規模は小さいが私のお気に入りの田んぼの一つである。この日はあいにくの曇り空で朝陽をあきらめていたが、太陽が束の間のエンターテイメントを演じてくれた。この田んぼも2年前からイノシシやシカの獣害対策用の電気柵が張り巡らされるようになった。小さな田んぼでも20万円ほど掛かってしまうそうだ。採算が合うのか? 他人事ながら心配になってくる。しかし考えてみれば、戦後の棚田農業は“採算という合理”の外で続けられてきたのかもしれない。