奥比叡の里より「棚田日詩」 | 2012 | 5月 | 20

2012/05/20

琵琶湖対岸の近江富士を望むこの棚田は、規模は小さいが私のお気に入りの田んぼの一つである。この日はあいにくの曇り空で朝陽をあきらめていたが、太陽が束の間のエンターテイメントを演じてくれた。この田んぼも2年前からイノシシやシカの獣害対策用の電気柵が張り巡らされるようになった。小さな田んぼでも20万円ほど掛かってしまうそうだ。採算が合うのか? 他人事ながら心配になってくる。しかし考えてみれば、戦後の棚田農業は“採算という合理”の外で続けられてきたのかもしれない。

農業音痴の棚田日詩

田んぼの写真ばかりを撮っていると、農業についても何がしかの知識や考えを持っているのではないかと誤解されることがあります。それは、とんでもない勘違いだといわなければなりません!! 私は「奥比叡の里」と出会う40歳まで完全な農業無関心派でした。

それまで田んぼとは縁のない都会の暮らしが続いていました。唯一田んぼと関係する事柄といえば、小学生の夏休みに親父の実家がある信州で田んぼの草取りをさせられたことくらいです。腰が痛くなって、もうコリゴリだといった印象が今も懐かしく残っています。私にとっての農業といえば、電車の車窓を流れる田園風景以上でも以下でもありませんでした。しいて言えば、田舎・野暮・臭い・きついといったむしろ負のイメージだけがあったように思います。

  しかし奥比叡の棚田との出会いは、40歳の私にカルチャーショックを与え、そうしたイメージを一変させてくれました。優美な曲線を描く小さな田んぼが大きな谷の両側にびっしりと積み重ねられている風景と出会った時には、「スゲェ! スゲェ!」と何度も声が出ていたのを思い出します。今まで見たこともない美しい風景、一目惚れでした。恋は恐ろしいもので、以来ここにある農村風景のすべてが新鮮に見えるようになり、撮影の合間に聞くおじいちゃんやおばあちゃんの話は、その見える風景をいっそう面白くしてくれました。それまで不快だった田舎の匂いも、何ともいえない安らぎの香りに思えてくるから、恋は本当に不思議です。

  農業無関心派の私が、奥比叡の棚田と出会ってから農業や農村というものにどのような思いを持つようになったのか? 1992~1995年にかけて地元の滋賀や京都、大阪の十数か所で写真展を開きました。当時の案内文には次のように書かれていました。

「・・・棚田は、単に田んぼが一枚一枚積み重ねられたものではない。幾十世代にもわたるお百姓さんたちが流してきた汗と豊かな稔りを願う知恵、そして自然と祖先への深い感謝、子どもや孫子の世代の幸せを願う祈りが積み重ねられたものである。それが単なる自然ではないこの美しい風景を作り出してきた」

「・・・ここは日本人の幾十世代にもわたる『食べる』を支えてきた農業空間であり、その風景である。農村と都市が分離し、農業に携わらない人々がどんなに多くなったとしても、こうした農業空間が都市の人々の『食べる』を、そして命をも支えてきたことは、今も昔も変わらない。都会育ちの私の命もまた、こうした農風景、農空間に支えられてあった。そう思うと、この風景が、この空間が何とも“いとおしく”なってくる」

「・・・わが国は、ほんの数世代前まで農業の国であった。・・・ここにはまだ機械力も化学もなく、人が素手で自然と格闘していた時代、その時代の人と自然の共存の風景が残されている。穏やかな自然、人の暮らしと温もりが感じられる風景、私はその風景を美しいと思う。・・・京都の有名寺院が歴史的・文化的遺産だとすれば、千年以上の歴史を持つこの棚田もまたわれわれが誇りうる立派な歴史的・文化的遺産である」

こうした思いは、奥比叡の棚田と出会ってから今日まで何も変わっていません。もしこうした思いがなければ、この23年という歳月、田んぼの写真を撮り続けることはできなかったかも知れません。しかし、田んぼの写真を撮っているからといって、田んぼのことをよく知っているということではありません。私には、農業についての系統的・専門的な知識などありません。またそれを学んだという経験もありません。むしろ、自然についても、農業についても、ネットの向こうにおられる皆様方に教えていただきながらこのホームページを進めていければいいなと思っています。

私は都会育ちの農業音痴です。私に「農業」についての難しい質問は、絶対にしないでください!

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自己紹介といった意味で私の自然観、農業観といったものの一端を書かせてもらいました。しかしそうしたものを直接的に表現しよう思ってシャッターを押してきたわけではありません。私にとってそれらは、写すべきものではなく、数千枚、数万枚、数十万枚という写真の中に自然に映っていなければならないものだと考えてきたからです。私の写真は、その時々に単純に「美しい」と思う心を写してきただけです。お気軽に、お楽しみください。


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次回から「です」「ます」調の文体から、「である」調の文体に変えさせていただきます。「です」「ます」調は、丁寧な感じはするのですが、書いていてどうも肩が凝ってしまいます。別に急に生意気になったわけではありません。ご了承下さい。私はこれまで「文章を書く」ということについては、ほとんど無縁の生活を送ってきました。高校卒業時の「国語」の成績も(1)。最も苦手な分野です。六十の手習いではありませんが、ある意味、このホームページの中でどんどん文章を書いていくことを通じて勉強させてもらおうと思っています。自分自身のための文章です。ヘタクソな文章を書くと思います。文章は飛ばして、写真だけ見ていただければ結構です。宜しくお願いいたします。