奥比叡の里より「棚田日詩」 | DIARY

2023/03/22

水が来た

奥比叡の辺りは、比較的温暖で雨が少ない。また琵琶湖に注ぎ込む川も細く水量も少ない。必ずしも米作りに必要な水に恵まれているとは言い難い。そんなことで、要所要所にため池が作られている。そのため池の水は棚田の外縁や農道の側溝に張り巡らされた幹線水路を伝って田んぼに注ぎ込まれる。ここで外縁に張り巡らされと綺麗に言っているが、大抵は棚田と山との境目、時には足を踏み入れたくないような鬱蒼とした山の中を通されていることもある。現代では、水を谷底の川からポンプで吸い上げ、田んぼに注ぎ込んでいるという所もある。田植えの準備が始まると、ポンプで吸い上げられた水が地下に張り巡らされた水路の中をゴーゴーと音を立てて流れている。

上の写真は、棚田に水が注ぎこまれ、溢れ出しているところ。という単純なものである。しかしこの単純な風景が成立するには、まず山を切り開いて田んぼが作られていなければならない。同時にため池や水路も作られていなければならない。そしてため池や水路は、村の人たちの総力で維持管理されていなければならない。ため池や水路は、降り積もった落ち葉や枯れ枝ですぐに詰まってしまうからである。時には土砂崩れで使えなくなることもある。

この単純な風景の中にも、村の人たちの世代を重ねたご苦労と汗が流れている

下の写真は、棚田の中の満開の梅。今の季節を添えてみた。。

2023/02/18

恵みの雪

2月の棚田は、まだモノトーンの世界。淡雪が枯れ草の色彩を覆い、一層白黒の世界に変換してくれている。そうした中、数本の針葉樹の左横、青緑色した倉庫のような建物が見える。そこだけが鮮やかな色彩を帯びた不思議な風景であった。

今年は1月に大雪が降った。といっても雪国ではないので、深く積もった所でも20~40㎝程度のことである。その後、2月に入っても雪の降る日があり、棚田は白く飾られることが多かった。そんな時、昔聞いたおじいちゃんの言葉を思い出した。「裏山が真っ白になると、その年の米は美味しいんや」というものだった。今年の秋が楽しみである。

2023/01/01

明けましておめでとうございます

1990年代初頭のソ連邦の崩壊は、ある意味米ソの対立したブロック経済の崩壊でもあった。それまで世界経済の20%ほどを占めていたソ連圏の経済ブロックが崩壊し、グローバル化という合言葉の下にアメリカを中心とした単一の経済ルールの中に引き込まれることとなった。旧ソ連圏の農業もまた、世界的な分業の網の目の中に組み込まれ、グローバル化の波の一翼を担うようになってきた。

ところが昨年のロシアによるウクライナ侵攻後、事態は大きく変わりつつあるようだ。グローバル化の中では、北朝鮮やイラン等といった局所的な問題(失礼はお詫びします)はさておいて、概ね国家間の政治的対立が、国家間の経済的関係を根本から損なうということはなかったように思われる。ある意味、大多数の国々と安心して貿易ができると思われてきた。

そこに昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻である。もとよりエネルギーや食糧は、人間が生存していく上での基本的な資源である。その資源が、戦争を有利に進めるための武器として利用されるようになった。何億人という人々が飢餓の淵に立たされている現実を前にして、どうして食料を政治の道具になどできるのだろうか、許されないことである。

しかし視点を少し変えてみよう。ロシアによるエネルギーや食糧を使った世界的な脅しや禁輸処置も、ロシアに対するアメリカの経済制裁も見ようによってはあまり変わらない事柄であるともいえる。ここで問題となるのは、政治が世界経済を、政治が国際的分業を分断し始めたという事実である。しかもその経済的分断の規模が、全世界に影響を及ぼすほどになっているということである。折しも米中の対立が、半導体等に見られるある種の経済分野の分断とも相まって、世界経済のある種の分野は大国の政治的対立によって再びブロック化していくようにも見える。

こうした中で盛んに言われ始めたのが「食料安全保障」である。政治的理由によって思い通りの食料が輸入できなくなるとすれば、その需要の多くを輸入に頼ってきたわが国にとっては厳しい状況が待っていると言わざるを得ない。当然こうした状況下では、わが国の国内で充足する自給自足的な農業をできるだけ推進していこうという声が聞こえてくる。

 

ところで私にとっての最大の関心事は、「食料安全保障」「自給自足的な農業」といったキーワードが、この地の棚田農業をどのように変えていくのかという点にある。休耕田はどうなるのか?   獣害対策をどうするのか?   生産性をどうやって高めていくのか?   若い後継者は農業を継いでいってくれるようになるのだろうか?   里山環境はどのように変化していくのだろうか? 等々である。

 

今年の新年は、時代の大きな曲がり角となるのではないかと感じている。ロシアによるウクライナ侵攻を契機に、わが国の軍備の大幅な増強が現実のものとなっている。また「食料安全保障」という視点からわが国の農業の在り方が問い直されている。容易に世間の風潮に流されず、しっかりと自分の考えを持つことが求められているように思う。

全ての人々に、先ずは平和を、そしてご多幸をお祈り申し上げます。

2022/12/28

Thanks / ありがとう!

*Japan/35998    *United States/20423    *??????/8294    *China/8201

*Russian Federation/5610    *Ukraine/4606    *United Kingdom/2821

*France/1905    *Germany/1791    *Israel/1412    *Romania/1278

*Sweden/1213    *Canada/768    *Netherlands/740    *Hong Kong/642

*India/620    *Turkey/525    *Austria/465    *Taiwan/439    *Italy/420

*other countries/4970        total number/1,03,141(2022年12月21日)

これは、これまで「棚田日詩」を閲覧していただいた方々の国名とその閲覧数です。長い間、閲覧数を見ていなかったのですが、ふとした時に目に入ってきた数字を見ると100,000回を越えていました。概ね日本の方々が35%、外国の方々が65%といったところです。

2012年5月から始めた「棚田日詩」も今年の5月で11年目を迎えることとなりました。そうした期間から考えると決して多い閲覧数ではありません。しかし2年で止めるはずだった「棚田日詩」を続けるあたって、私を勇気づけていただいた大切な閲覧者であり、閲覧数であります。

これまで、誰も知らないようなアマチュアカメラマンにお付き合いいただいたこと、感謝の言葉もありません。心からの御礼を申し上げます。

今年も残すところあと僅かとなりました。来る新しい年は、全ての民族、全ての人々が仲良く助け合って暮らしていける世界であることを願わずにはおれません。

皆様にご多幸を!!

2022/11/20

晩秋

上の写真は、雑木林が渋めに色づいているところ。画面中央辺りにある枝を広げた木は柿の木である。この小さな写真では分かりづらいが、所々に朱い実を付けている。

下の写真は、雨水の引かない田んぼに残された稲わら。水面の青さがこの日の天気を語っている。

もうすぐ冬の木枯らしが棚田の上を吹き抜けていく。

2022/10/16

採れたて、新米!

今年も新米(ミルキークィーン)をいただいた。生産者の西村さん曰く「今年は暑い日が続いたり、いらん時に雨が降ったり、気候の変動が激しかった。にもかかわらず、なんでか分からんけど豊作だった」とのこと。

日が沈むのも早いもので、6時を過ぎると辺りは暗くなってくる。初秋の気配がそこかしこに感じられる今日この頃である。

夕方の5時になると、わが家の炊飯器のスィッチが入る。やがて炊飯器の湯気の中からお米の香りが立ち昇ってくる。日本人の誰もが知っている、懐かしくも心休まる香りである。

熱湯の対流と水蒸気の圧力によってお米は柔らかくほぐされ、しばらく蒸されてやがてご飯になる。炊飯器のふたを開けると、熱い湯気が例の香りとともに顔を包み込んでくる。真珠のように輝く一粒々々のお米をしゃもじですくい、茶碗に移す。そして口に含み、ゆっくりと噛んでみる。懐かしい甘さが口の中に広がる。例年通りの仰木のお米を実感する。今日も、採れたての新米をいただくわが家の夕食である。



奥比叡・仰木棚田米  新米入荷!!

(ここをクリックしてください)

皆さま、ぜひ食べてみて下さい!!

 



「奥比叡の里」。ここはお米の生産現場であり、農業という経済活動が営まれている空間です。「昔ながらの棚田」の景観や「里山環境」がどんなに素晴らしくても、先ずはお米が再生産できる価格で売れなければ、あるいは買っていただくことができなければ、この環境を守り、維持していくことはできません。

私は都会で生活する一人でも多くの人々に、この地の美味しい棚田米を知っていただきたいと思っています。ぜひ一度、食べていただきたいと思っています。但しここでの「仰木棚田米」の応援は、私の勝手な行為であり、お米の売買には一切タッチしていません。

「昔ながらの棚田」で育てられるお米の量は少なく、限られたものです。もし申し込まれたとしても、在庫がなくなり、農家からお断りされるかもしれません。何卒、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

2022/09/18

収穫の時

今年で33回目の実りと収穫の風景を目にしている。何度見ても、一年の総決算としての安堵感と喜びのような感情が湧き上がってくる。初秋の9月、山里の実りの秋は美しい。

台風14号は今現在、未曽有の暴風雨を伴って九州を襲っている。それが明日の夕刻あたりに関西に上陸し、更に日本列島を縦断していくようだ。第二室戸や伊勢湾台風といった昭和の巨大台風に匹敵すると言われている。皆さま、くれぐれもご用心!!

2022/08/17

残暑御見舞

7月の緑一色だった夏の田んぼも、8月に入ると少しづつ黄色味を帯びてくる。盆も過ぎて稲刈りが始まる頃、一枚一枚の田んぼの色は微妙に異なり、そのパッチワーク模様が美しい。

この日は薄曇り。赤い屋根と白壁の農具小屋が淡い朝陽の中で浮かび上がっていた。

これからそこかしこの田んぼで稲刈りが始まる。そして9月に入ると暦の上での秋となる。とはいえ、残暑はまだまだ厳しい。皆さまくれぐれもお身体ご自愛ください。

2022/07/17

仰木小学校

猛暑・酷暑・線状降水帯などという恐ろし気な言葉で語られる季節の到来。皆さまいかがお過ごしでしょうか?

今日の写真は、コロナ禍の緊張した社会の中にある地元の小学校。校舎の背後に湧き上がる入道雲がこの日の暑さを物語っている。コロナの感染を恐れてか、主人公となる子供たちの声も姿も見当たらない。少し淋しい夏休み。この日は棚田も村も、そしてこの校舎もジリジリと焼かれる厳しい一日となった。

まだまだ「夏」真っ盛り。皆さまくれぐれも御身大切に!!

2022/06/12

梅雨時の二つの風景

上の写真は、6月の水田風景である。稲作は多くの水を必要とする。稲の成長にとって、梅雨時の雨は正に「恵みの雨」となる。

下の写真は、棚田の中の麦畑である。前年の11月頃に種まきされた麦は、梅雨を前にした5月の中旬頃から黄色く色づいてくる。いわゆる「麦秋」と呼ばれる季節の到来である。そして6月に入ると収穫となる。麦は稲と違って湿気が苦手。この時期の収穫は、雨に当たらないように梅雨空とのにらめっことなる。

2022/05/15

どんな地域にも、その地域を象徴し代表するような風景がある。この「馬蹄形の棚田」は、ここ奥比叡の里を象徴する「顔」ともいうべき風景である。2012年5月6日、この写真を"Top page"に据えて「棚田日詩」を始めた。

11年目の棚田日詩

「棚田日詩」は、今回の更新で11年目を迎えることとなった。私と「奥比叡の里」との出会いは、当然このホームページの開設よりも古く、1990年にまで遡る。その時40才。以後ライフワークとしてこの地の農村風景を撮らせてもらうようになった。数えれば33年という時が流れている。この時間が長いのか、短いのか、自分でも良く分からない。

ライフワークと言っても、「生涯を懸けて!」というような気張ったものではない。大好きになったこの地の風景を死ぬまで撮っていたいという素朴な気持ち。写真を撮るということが何か特別なことではなく、顔を洗うのと同じように生活の一部として写真を撮っていたいという気持ち。そんな気持ちを込めて、ライフワークという言葉を使ってきた。これからもこの気持ちで写真を撮っていくのだろうと思う。

このホームページを始めるにあたっての私の思いは「はじめまして」「自然音痴の棚田日詩」「農業音痴の棚田日詩」のところで少し書かせていただいた。この気持ちは今も変わりはない。

「棚田日詩」の10年間が、ほんの少しでもこうしたことがお伝えできたのなら幸いです。

これまで閲覧していただいた全ての方々に、心からの御礼と感謝を申し上げます。

2022/04/03

いつもの桜、いつもの風景

日本の中山間地の農村に行けば、どこででも見られるような風景である。

穏やかに晴れた一日。村はずれの桜は今が満開。そこに郵便局の軽トラックが通り掛かる。いつもの見慣れた風景。人々の日常の生活がそこにある。そして何気ない平和がそこにある。


 

黄色く実った小麦の大地。それは地平線の彼方まで果てしなく広がっている。雲一つない青空はどこまでも高く、その実りを祝福しているかのようである。ウクライナの国旗は、そんな農村風景をデザイン化したものであると聞いている。

 

 

時折吹く風に小麦畑は右に左にゆっくりと揺れている。収穫を歓ぶ村人たちの話し声や笑い声が青空に響き渡っている。そんな光景が、この旗の向こうから見えてくるようだ。

残念なことに、今ウクライナの大地は他国の軍隊に蹂躙され、人々は塗炭の苦しみの中にある。この「棚田日詩」は、これまで3500名ほどのウクライナの方々に見ていただいてきた。その方々は、今どうされているのだろうか?   日々ウクライナの悲惨なニュースを見るにつけ胸が重く苦しくなってくる。一日も早い外国軍の全面撤退と平和が訪れることを願わずにはいられない。

2022/03/09

春が来た

この花はミツマタだろうか。使われなくなったトラクターの後ろで静かに春の訪れを告げていた。これから田んぼも山も、そして里の風景も、新緑と色とりどりの草花に彩られていく。心躍る季節の到来である。


腰痛の術後も順調に回復し、少しづつウォーキングの距離を伸ばすようにしています。とにかく先生からは「歩け!歩け!」と言われています。20年来の腰痛はウソのように無くなっているのですが、長時間椅子に座って仕事をしていると、まだ腰に痛みというか違和感のようなものを感じます。この4月で72歳になります。少しづつリハビリして、年末には「40歳代?の体力と身体」を手に入れてみようと意気込んでいます。

オミクロンコロナの最中、手術をしていただいた洛和会音羽病院の先生方・看護士さん・リハビリの先生・そしてスタッフの皆様、ありがとうございました!  この場を借りて心からの御礼を申し上げます。

2022/02/06

人のいない、人がいる風景

奥比叡の棚田と出会った頃は、整然とした形の美しい棚田を撮りたいと思っていた。でもいつの頃からか、この写真のような少し雑然とした、人の匂いのする田んぼを愛おしく感じるようになってきた。


昨年辺りから、腰痛のために田んぼに出られる日がめっきり少なくなってきました。写真もそうですが、仕事でももう少し動ける身体になりたいと思っています。ということで2月9日に手術をすることにしました。ちょっぴり不安もありますが、手術後の写真がどのように変わっていくのか?  楽しみでもあります。

2022/01/01

明けましておめでとうございます

新雪によって薄化粧された棚田が目の前に広がっていた。あまり雪の降らないこの辺りでは、もうそれだけで特別な一日の始まりとなる。もっともそうした感慨は、子供たちとカメラを持つ者に限られるのかも知れないが・・・

雑草に覆われた耕作放棄地のような所を歩いていると、突然小さな小さな野菜畑が現れた。ネギが育てられているのだろうか?  自然の山へと戻りつつある棚田の中にあって、その一角に人の意志が明確に描かれていた。なぜか分からないが少し心が嬉しくなった。

今年もコロナ禍のお正月となりました。次から次への変異株の発生もあって、パンデミックの世界的な収束はまだ少し先になりそうです。個人的に言えば、今しばらく「コロナにウツラナイ、ウツサナイ」という観点で生活していきたいと思っています。それでも、どんなに注意していてもウツッテシマウのがコロナなのかもしれません。更なるご用心!  ご用心!!

こうした時だからこそ、皆様のご健康とご多幸をなお一層強く願わずにはおれません。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。