奥比叡の里より「棚田日詩」 | DIARY

2020/11/22

山の秋、里の秋

上の写真は、裏山の林道で撮ったものである。林道の片隅に吹き寄せられる落ち葉の絨毯は、私の大好きな被写体の一つである。この落ち葉の絨毯は、辺りの植生によって大きくその表情を変える。カエデ類などを中心とした赤や黄色の鮮やかな絨毯もあれば、ヒノキなどの針葉樹の渋めの絨毯もある。もちろん広葉樹と針葉樹の入り混じった絨毯もある。それぞれに面白く、美しい。

今日の写真の落ち葉たちは、細い林道を走る軽トラックに踏みしめられ、少し傷付き、彩度も低くなってきている。周囲にはもっと美しい落ち葉たちが重なっていたのだが、この日はなぜか車に踏みしめられた落ち葉に心を惹かれた。

 

かつてここは柿の産地であった。隣村には琵琶湖岸の漁師町(堅田)があり、そこで大量の柿渋を必要としたからだ。かつての綿や麻でできた投網は、何度か水中に投げ込むと網が開かなくなったと聞く。その網を柿渋に浸けて再び開くようにして漁を行ったという。ところがナイロンなどの柿渋を必要としない投網が普及し始めると、徐々にこの地の柿の木も姿を消していったようだ。

今は産地と呼べるほどの多くの柿の木はないが、棚田の所々に晩秋の光に包まれた朱い実が輝いている。それが下の写真である。

上の写真は、下の写真よりも標高にして400~500mほど高い所で撮っている。こんなわずかな高低差でも、心なしか裏山の風景の方が冬の訪れが早いように感じられる。

2020/10/25

霜降

昔の人々の季節の基準となっていた二十四節気によると、今は「霜降(そうこう)」という時期にあたるそうだ。確かにこの数日、朝の気温は一桁台に落ち、少し暖房が恋しくなってきた。足元の雑草たちも朝露や霜に彩られ輝き始めている。霜が降りると書いて「霜降」。言い得て妙である。


   これから冬へと向かう棚田の晩秋。私の大好きな晩秋を胸いっぱいに吸い込んで、あぜ道をゆっくりと歩いていきたいと思う。

2020/09/23

棚田の初秋

盆を過ぎた頃からポツポツと稲刈りが始まり、9月の中頃になるとほとんどの田んぼで稲刈りが終っている。まばゆいばかりの黄金の棚田は、この一月ほどの間に今日の写真のような少し淋し気な風景に変わっていく。一層の秋の深まりを予感させる風景になってきた。

この30年間、私の心の中にある季節の移ろいは、いつも田んぼの風景の移ろいと伴にあった。

2020/08/23

残暑御見舞申し上げます

コロナ禍の夏。この辺りでも盆の里帰りは自粛するムードが強い。例年とは違った静かな墓参りになっているようだ。農家の縁側から聞こえてくる風鈴の音色が、どこか淋しげでもある。

それでも棚田は黄色く色づき、既に稲刈りの終った田んぼも見受けられる。今年はコロナの感染のみならず、まだまだ熱中症の心配もしなければならない日が続きそうである。

皆さま、くれぐれも御身大切に!!

2020/07/19

梅雨の中の暑中お見舞い

2日続きの長雨の後、つかの間の晴れ間を見ることができた。農道の水溜りに映る青空は、秋のような不思議な雲を浮かべていた。

今年は長い長い梅雨になりそうだ。雨と曇りの日が8月まで続きそうな気配である。稲にとっての日照不足が心配だ。

7月は、日本列島の広い範囲で豪雨災害が発生している。河川の氾濫、山間部の土砂崩れ、しかもコロナ禍の中でのことである。家や車が流され、土砂と泥水にのみ込まれて、多くの方々が犠牲になられた。テレビに映し出される恐ろしい映像に、しばし言葉を失う。

これからが夏本番。被災された方々、ボランティアで復興に携わられる方々、くれぐれもお身体、大切に!!

2020/06/24

6月の棚田

5月の中頃から、膝が少し痛くなっていた。6月に入る頃には階段や坂道の昇り降りが辛く、田んぼに出ることもなくなった。今日は久しぶりの棚田。わずか一月ほど見ない間に、緑一面の田んぼに変貌していた。それが朝陽に輝いて美しい。この小さな写真では分かりづらいが、遠くの農道に軽トラックが来るのを待ってシャッターを切った。

4時20分ころ、朝陽の出る時間である。まだ薄暗い棚田の中で西村さんの軽トラックと出会う。今現在の稲の育ち具合を聞いてみた。「これからどうなるか分からんけど、今のところ順調!」とのこと。何故かホッとした気持ちで、棚田にカメラを向けた。

2020/05/24

ボチボチと9年目

奥比叡の棚田と初めて出会ったのは、今から31年前。大きな谷間に積み重ねられた棚田を目の前にして、「スゲェ!スゲェ!」と心が激しく震えたのを覚えている。当時の奥比叡の棚田に対する私の気持ちや考え方などは「農業音痴の棚田日詩」にも書かせていただいた。あの時の感動は、その後の私の人生と伴にあった。今も休日になると、カメラ片手に棚田を彷徨うことが日課となっている。まだまだ奥比叡の棚田への恋心が醒めないようだ。

 

2012年5月、それまで22年間撮り溜めてあった写真を使って、ホームページ「棚田日詩」を始めることとなった。その「棚田日詩」も、今回で9年目に入る。31年に及ぶの棚田とのお付き合いも、このホームページの9年間も、淡々・コツコツ・ボチボチということを信条に進めてきた。今しばらく、私のボチボチにお付き合いいただければ嬉しく思います。

2020/04/08

70,000 hits

2012年5月から始めた「棚田日詩」は、今回で8年目最後の更新となります。同時に70,000回の閲覧をいただくことができましたこと、全ての皆様に感謝と御礼を申し上げます!!

 

今世界中の人々が新型コロナウィルスの脅威と戦っている。ここ奥比叡の棚田では、田起し、畦の補修、水入れ等々と「田植え」の準備に忙しい。一見のどかに見える風景ではあるが、これも感染症との戦いを支えていく大切な営みである。

2020/03/29

桜だより

今年の「一本桜」の開花は3月26日の木曜日だったと聞いていた。その時はまだ、無数の蕾の中から数輪の花を見つけるのに苦労したそうだ。

今日29日の日曜日、もう2~3分咲きになっているかと思って「一本桜」を見に行った。残念!まだ数十輪の花を付けているに過ぎなかった。一分咲きにも満たない、0.2~0.3分咲きといったところだろうか。そう言えば週末は冷たい雨に打たれ、東京では雪まで降ったようだ。桜自身、開花のタイミングが難しそうだ。

この時期は例年、棚田の中にある桜の写真を見ていただいてきた。今年も用意をしていたのだが、絵柄が少し地味だったため、急遽上の写真に切り替えた。新型コロナウイルスのために、社会全体が傷付き沈み込んでいる。こんな時だからこそ、少し明るく華やかな桜にしてみた。

春の始まりをお伝えできればと思います。そして誰もが、季節の移り変わりを楽しめる日が一日も早く来ることを願っています。

2020/03/08

「いのち」の光

青白い光が田んぼの水溜りの中に浮かんでいた。この光の正体は油膜の反射光である。冬場には少ないが、田植えの頃から秋に掛けての水田ではよく見かける光景でもある。

田んぼ写真を撮り始めた30年ほど前、水田に浮かぶ油膜というものに違和感のようなものを感じていた。思い切って、農作業をしているおじいちゃんに聞いてみたことがある。恐らく当時の私は、草刈り機などからの燃料漏れではないかと思っていたはずだ。ところが答えは意外なものだった。

水田でトンボなどの小さな生きものが死ぬと、その肉体の分解過程で脂肪分が溶け出し、それが油膜となって水面を漂うのだという。何故か「成程!」と思った。

考えてみれば動植物を問わず、油分はほとんどの生命の構成要素となっている。こんな「いのちの光」もそれほど不思議なことではないのかもしれない。

 

だとすれば・・・・

冬の終わり、ここにどんな小さな「いのち」が生きていたのだろうか?

2020/02/12

野菜サラダ

昨年から今年に掛けての年末・年始は、雪もなく、少し異様さを感じさせるほどの暖かな日が続いた。例年なら2月の中旬辺りから開花するタネツケバナやホトケノザ、イヌノフグリといった小さな花々が、タンポポと一緒になって正月の元日から顔を覗かせていた。蝶の幼虫も蛹にならないまま年を越し、餌を求めて草むらの中をさまよっていた。こんなにも暖かな冬は、私の人生の中でも記憶にない。今日の写真は、そんなポカポカと暖かな冬日を撮ろうと思ってシャッターを切ったものである。ここに来るまでに少し歩いたせいもあってか、背中は汗で濡れていた。

しかし、今日のタイトルがどうして「野菜サラダ」なのか?

昨年末の大手量販店の売上、中でも肉・野菜・魚の生鮮三品の売上を見てみると、肉と魚が前年よりも落ち込み、野菜だけが伸びているそうだ。こうした傾向は、暖冬のために鍋料理の回数が各家庭で減ったためではないのか?と想像されている。とすれば、肉類や魚貝類の売上が落ち込んでいくのは理解できる。しかし鍋料理に使われる白菜や大根、水菜やキノコ類などの野菜の売上も同時に落ち込んでも不思議ではない。それでもなぜか野菜だけが売上を伸ばしているという。?????

その理由が「野菜サラダ」であるらしい。私のイメージからすると寒い冬と「野菜サラダ」があまり結びつかないのだが、暖かな冬が日本人の食生活を微妙に変化させているようだ。消費という食生活の変化がやがて生産の側の変化を後押ししていくのだろう。そして生産の変化が、更に食生活を変えていくことになるのだろう。

 

冬のポカポカ陽気の棚田の写真と「野菜サラダ」。一見何の関係もないこの二つの事象を結び付けているのは、現在進行形の温暖化という気候変動なのかもしれない。

2020/01/01

この建物は倉庫として使われているのだろうか? 青空に浮かぶ雲たちを背景に、純白の雪を被って美しい。錆びついたトタン壁は、数十年という時の流れ、風雪に耐えた証である。自然だけの雪景色にはない、どこか温もりを感じさせてくれる風景である。

明けましておめでとうございます

棚田日詩を始めて8度目の正月を迎えている。今年は70歳になる。いくつまでカメラを持って棚田を巡ることができるのか? 心配も少し現実味を帯びてきた。

傑作を撮ってやろうという気負いはない。ただ、年相応に感じる棚田の風景を、皆様に見ていただければそれでいいと思っている。まだしばらく、ボチボチと、淡々とやっていこうと思っています。

今年もまた、皆さまのご多幸をお祈り申し上げます!

2019/12/19

ありがとうございました!

いよいよ年の瀬。私の年末商戦も最後の追い込みである。鶏たちの間では、このあわただしい時間がどのように流れているのだろうか?

この一年間も「棚田日詩」にお付き合いいただき、心より御礼申し上げます。来る年も皆様にとって良き年となりますことをお祈り申し上げます。

2019/11/29

冬へ

今回は、年末年始に向けた最繁忙期。写真だけで失礼します。

2019/10/30

写す者が写る

この写真を撮ってもう25年以上経つ。枝ぶりの面白い左手の大きな木は、柿の木である。伊香立の融(とおる)神社の近くにあった。と過去形で書くのは、この辺りの田んぼは圃場整備によって四角い大きな田んぼに生まれ変わり、それにつれてこの柿の木もなくなってしまったからである。

田んぼ写真を撮り始めた1990年頃からこの木になぜか心惹かれ、四季折々の姿を何百枚も撮らせてもらってきた。もっとも当時の腕前からすればほとんどが失敗作で、納得のいくものはなかった。それでもふり返って見ると、その大量の失敗作を通して少しずつ写真の勉強をさせてもらってきたように思う。

今日の一枚は、その中でも少しマシなものを選び、フィルムからスキャニングしたものである。当時は自分自身の写真に対する欲望水準が低かったために、解像力の低い安物のレンズを使っていた。細かな枝や葉っぱの一枚一枚が明瞭に写っていない。という当時の自分のレベルが写っている。ある意味写真は、写されるものとともに写す者も写し込んでいく。