奥比叡の里より「棚田日詩」 | 未分類

2013/12/08

小さな感動

今日は、林道の片隅に吹き寄せられた落ち葉の写真である。下の写真は、上の写真の4日後、雪になりそうな冷たい雨の中で撮ったものである。角度は少し違うが、同じ枯葉を中心に置いている。雨水によって干からびた細胞が復元し、元の形に戻ろうとしている。こんな小さな小さな自然の営みにも心動かされ、シャッターを押し続けてきた24年間だったように思う。

2013/12/01

秋の終わり、冬の始まり

棚田を彩ってきた柿の木の美しい紅葉(http://tanada-diary.com/2152)もすっかり散ってしまい、枝には朱色(あかい)実だけが少し寒そうに残されている。田んぼは、枯れた稲のひつじ(http://tanada-diary.com/2556)が広がり、急速に彩度を失い始めてきた。足元の草むらに耳を澄ませば、既に虫の声は途絶え、遠くで小鳥のさえずりだけが空に響いていた。12月は、秋の終わりと冬の訪れが同時に演じられる切なくも美しい季節である。

上の写真。まるで「おとぎの国」に迷い込んだような不思議な気持ちの中でシャッターを切った。下の写真。棚田の中の停車場に軽トラックが五線譜を描いていた。その上で、落ち葉たちが終わりゆく秋のメロディーを奏でているようだった。今日は少し、メルヘンチックにしてみたかった。


 

今日も仕事が入り、簡単な文章しか書けませんでした。12月はお歳暮ギフトの仕事と重なり、文章を書くことが難しいかもしれません。

2013/11/24

伊香立秋色

 

今週は、年末の仕事が忙しく、写真と簡単な文章のみとさせていただきます。今日の写真は、仰木の隣にある伊香立のリアルタイムな秋色です。ようやく里にも秋が降りてきました。

伊香立は、光源氏のモデルとなった源融公(みなもとのとおる=嵯峨天皇第八王子)の荘園のあった里だと言われています。そしてここには、公を祀る融神社(とおるじんじゃ)が今もその記憶を伝えています。遥か古(いにしえ)の彼は、どんな秋色を見ていたのだろうか。

2013/11/17

里の秋、山の秋

この辺りでは「天気雨」のことを「キツネの嫁入り」と言う。こうした日は、家にいても落ちつかない。虹の出る可能性が高いからだ。季節や時間帯によって、どの辺りに虹が出るのか大体分かるので、家を出て一目散でこの小屋の所に来た。案の定、小屋と木立のすぐ後ろに青緑に光る虹の帯があった。山から空に架けてもっと高い所に出てくれるのかと思っていたら、予想外の低さだった。イメージしていた写真とは少し違うが、こうした虹も珍しく、面白い。よく見れば蓬莱山辺りの山肌に、昨日(11/12)の雪が薄く残っている。全国的に異常気象だと言われているが、私が奥比叡の里と出会った24年間の中で最も早い降雪ではないだろうか。

今日は、先週の水曜日(11/13)に撮った里の秋と山の秋をご覧ください。標高が300~500mほど違うと、秋の深まりがこんなにも変わってくる。上の里の写真は、うっすらと紅葉が始まりかけたばかりだ。下の山の秋は、今が盛りといったところ。気が付けば、シャッターを押す指が寒さでかじかんでいた。

 

 

 


 

この日は腰痛を押して出掛けたため、神経に触らないようにそろ~り・そろ~りの撮影となった。今年は秋が短いと言われている。どうしてもその旬を見ておきたかった。

今週はヘボと呼ばれるクロスズメバチのリポートの予定だったが、長時間パソコンの前に座っていられないため、後日にさせていただきます。

2013/11/10

腰痛のため

今週は、ヘボと呼ばれる黒スズメバチについて書こうと思っていたのですが、腰痛のためしばし延期させていただきます。今週中には何とかUPさせたいと思っています。先週の「減反政策」も時節柄、最も重要なテーマだと思いますので、引き続き書いていくつもりです。宜しくお願い致します。

2013/11/03

深まりゆく秋の陽射しに照らされた大豆畑が美しかった。まだ葉っぱやサヤが緑の若かりし頃の大豆を「枝豆」という。まるでハマチからブリへと名前を変える出世魚のようだ。

減反政策

どんな商品も、供給(生産)が需要(消費)を上回るとその商品の価格は下がり、反対に需要(消費)が供給(生産)を上回ると価格は上がる。これは魚や肉、大根やみかん、車などの工業製品、果ては給料などもこの需給関係の中で大きく変動していく。こうしたことは誰もが経験的に知っていることである。

 

豊作貧乏という言葉がある。実に現代社会の奇妙さを射抜いた言葉だと思っている。素直に考えれば、豊作は誰もが喜ぶべき出来事であり、人々の生活を豊かにするはずのものである。しかし社会の需要を超えた豊作は、それが豊作であればあるほどその農産物の価格を下落させ、生産者自身の首を絞める結果をもたらしてしまう。これは農業だけに限らず、工業や商業の世界も同様である。

現代社会は、多くの分野で社会の需要を超える供給、すなわち生産力を持っている。しかし私たちは、その豊かさをもたらす生産力が必ずしも多くの人々の幸福につながらず、その豊かな生産力ゆえに貧乏が生み出されるというちょっと不思議な世界に生きている。

もっとも、過剰な供給(生産)というのは絶対的なものではない。私たちの財布の中身(需要)がうるおい消費が進むと、過剰は減少し、供給側の不足を招くこともある。1990年代初頭のバブル経済の崩壊以後から今日まで、需給ギャップは概ね供給過多・需要不足を示してきた。昨年の内閣府の試算では、マイナス10兆円のギャップがあるという。このギャップが様々な物の値段や給料を押し下げていくデフレ経済の大きな原因であり結果となっている。今年に入って、政府が経済界に賃上げをお願いしているのはこうした事情があるからなのだろう。しかし日本と比べれば相対的に安価な労働力市場が、中国や東南アジアに、しかも巨大な労働力市場がある中で、今後5年、10年と私たち庶民の給料を上げていくことができるのだろうか? また仮に給料が上がったとしても、老後の不安が抜本的に解消されない中で、そのお金が本当に消費(需要)に回っていくのだろうか? 少し余談が過ぎた。本題に戻そう。

 

米もまた商品となれば、需給関係の中でその価格は変動する。米は日本人の主食である。その価格の急激な乱高下は、農村を疲弊させるだけでなく、都市の家計を直撃し、かつての社会不安(米騒動等)の大きな要因ともなっている。需要と供給を調整し、価格を安定させなければならない。殊に1970年以降は、過剰な生産を抑えることを目的に減反政策が国策として進められてきた。意図的に休耕田が作り出され、米から他の農産物への転作も奨励されてきた。その奨励作物として上の写真の大豆や小麦がある。もちろん減反政策を推進し、維持していくための補助金も用意されてきた。

最近の新聞やテレビを見ると、この減反政策の廃止が5年後をメドに検討されているようだ。背景にはTPPによって変化する国際市場、その中での国際的競争力を高めるというのが目的であるらしい。当然、減反政策に伴う様々な補助金制度も廃止の方向で検討されている。必然的に小さな農家は農地を手放さざるを得ず、農地の集約化・大規模化を国を挙げて進めていくという。

しかし変わるのは農地の大きさだけではない。農業の経営形態そのものも変わっていく。封建的色彩を持つ戦前の地主制は、1947~50年の農地改革によって崩壊し、農業の主役が自作農に移っていくこととなった。自作農の農業とは、農村共同体的関係を残した中での小規模な家族経営である。それを今度は、アメリカ型の企業経営に変えていこうということらしい。田んぼや畑を所有あるいは借地するのは企業となり、その大地を耕すのは農民(百姓)ではなく、賃金(給料)で働く農業労働者ということになる。いずれにしても国際的競争力を持つと言う限り、相当大規模な農業経営が想定されているようだ。となれば、資本力で有利な大企業による農業への進出というだけでなく、外国資本による農業経営ということもあるのかもしれない。

その是非はともかく、戦後の農地改革に匹敵する変化の足音が、今、全国の農村に迫っている。

奥比叡の棚田は、山の裾野に広がる起伏の大きな丘陵地帯や山の斜面に築かれている。平地とは明らかに違うこうした地形的環境での農業を、法的・行政的に言えば中山間地域の農業ということになる。総じて経営規模は小さい。農林水産省によると、耕地面積の40%、総農家数の44%、農業産出額の35%、農業集落数の52%がこの中山間地域の農業地帯にあるという。しかもこの地域の役割は、単に農産物を産出するというだけではない。私たち都市住民の生活にも直結する水源の涵養や自然環境の保全、水害を防止する国土の保全機能など多様な役割を担っている。(農業の多面的機能

どう考えてみても、中山間地域で国際的競争力を持つ大規模農業という構想には無理がある。何よりも、それに適した農地がほとんど確保できないのではないだろうか? 恐らく国も、中山間地域にそんなことを期待していないのだろう。それでは、中山間地域の農業はどのようになっていくのだろうか?  そこのところが新聞報道などではあまり見えてこない。減反政策の廃止、補助金の打ち切り、企業化された大規模農業の育成という報道を見れば、棚田農業は価格面だけを考えてみても今まで以上に一層不利な状況に置かれることは間違いない。付加価値が高く、国際的な競争力のある果樹などへの転作も考えてみてはどうかという意見もあるかもしれない。しかし、米作りより遥かに手間の掛かる果樹栽培は、過疎化による若年労働力の不足、労働力の高齢化と兼業農家化してしまった現状ではそれも難しいように思われる。JAのいう生産から加工販売まで一貫して携わる農業の第6次産業化という構想も、想定されている規模を別にすれば、他の地域ではすでに成功例もある。しかしこれはこれで、今までの農業経営とは異なる工業的あるいは商業的視点とセンスが要求される。どこの中山間地の農村にもそうした能力、構想力が直ちに備わっていくかといえば、そこにも難しい問題が山積しているように思われる。それでも生産者の方々は、これまでとは違った新しい考え方で、来るべき新しい経営環境に適応していかざるを得ないのは間違いない。正に正念場である。

奥比叡の里の棚田農業はこの先どのようになっていくのだろうか? この素晴らしい里山環境と歴史的・文化的遺産ともいえる棚田の景観は、どうなっていくのだろうか?

2013/10/30

自然農法

わずか2週間の間に3つの台風が日本列島を襲い、かすめていった。10月27日の日曜日は、その影響もあってか一日中曇り日であった。時折、雲の切れ間から差し込む陽射しは、人々を秋の光で包み込み、長い影法師をつくりだすようになっていた。

 

ここは平尾の棚田。奥比叡の山に向かって曲りくねった農道を登っていくと、丁度その中腹あたりに古代米の田んぼがある。この古代米は、福岡正信氏が始められた不耕起(耕さない)、無肥料、無農薬、無除草といった特徴を持つ自然農法によって育てられている。近年の機械による田植えでは、4株ほどひとまとめにして植えられていくのだが、ここでは一株づつ機械植えよりも少し巾広い間隔で手植えされていく。もちろん土は耕されていない。雑草や降り積もった枯葉、稲の切り株や死んだ昆虫たちが微生物などによって分解され、それが栄養となる。山から流れくる水も森の栄養を運んでくる。鶏糞などの動物性有機肥料は使わず、唯一米ぬかだけを肥やしとして使っているそうだ。それを雪の降り積もる前に播いていく。除草剤などの農薬は不用である。かといって、ヒエなどの大型の雑草が繁茂しているようにも見えない。稲の根元を見ると、背丈の低い雑草があるがままに育ち朽ちている。

今日は稲刈りである。仰木では最も遅い稲刈りである。そのことを代表世話人の森谷さんに聞いてみると、「昔の米づくりは、どこでもこんなものだった」とのこと。6月の田植え、10月の収穫というサイクルで、既に9年目を迎えておられる。現在は4家族で農地を借りて米づくりをされているそうだ。あくまで自家用である。この団体の名称をお聞きしたところ、しばし思案されて「自然農塾」とでもしておいてくださいとのことだった。

今日一日を掛けて稲刈りとハサ掛け作業に汗を流されていた。ちょっとした力仕事ではあるが、都会では味わえない素敵な秋の一日があった。

 


 
  タイトル写真を含めて、上から3枚目の写真は古代米(黒米)の稲穂である。古代米といっても、遺跡などから出土されるお米と同じものだということではないらしい。古代の稲が持っていた特色を色濃く残した品種の総称であるらしい。代表的なものに、黒米・赤米・香り米などがある。普段食べているお米と比べて栄養価が異なるため、健康食として見直されている。数年前に黒米をいただいたことがある。それを少しだけ白米に加えて炊いてみると、何と不思議なことに赤飯のようになった。

5枚目の写真は、赤米の穂である。麦のような野毛(ヒゲ)が美しい。この赤米はもち米の一種だそうだ。黒米や赤米をプレゼントに使うと、とても喜んでもらえると言っておられた。

6枚目の写真は、男の子の長靴に注視。泥に足を捕られて抜け出せないところ。私も、膝下まで泥に沈み込み一苦労の末、脱出することができた。台風の雨の影響もあるのだろうが、耕起されないということもあって、冬場でも泥田のままの所が残されているのではないだろうか。

10枚目の写真は、油の浮いた田んぼ。機械類を一切使っておられないので、この油がどこから来たのか聞いてみた。昆虫などの小さな生き物が死ぬと、分解される過程でその生き物の持っていた脂肪分が溶け出してくるとのことだった。

一番最後の女の子の写真。この可愛いLadyにはちょっと失礼だが、よく見ると鼻水が垂れている。おかっぱ頭に鼻水。彼女をファインダー越しに見ていると、一瞬、57~8年前に時が遡ってしまった。当時はこんな女の子や男の子がいっぱいいた。私もまた、ハナタレ小僧だった。母親には何度も何度も怒られていたのだが、いつも袖口には鼻水と砂粒がこびりついていた。そんな懐かしい記憶に包まれてシャッターを切った。


 

皆様、快く撮影に応じていただきありがとうございました。心より御礼申し上げます。

2013/10/27

お詫び

今週は、急な仕事が入ってきたため水曜日に更新させていただきます。水曜日は、自然農法で古代米を栽培されているグループのリポートです。

2013/10/20

10月15日から16日に掛けて、今年最大の台風26号が日本列島を襲った。死者・行方不明者は54人にも及んだ。殊に伊豆大島の土石流による被害は目を覆いたくなる惨状であった。至る所で削り取られた山肌、大量の土砂に押しつぶされた家屋、海岸まで押し流された夥しい数の流木、その恐ろしさと痛ましさに言葉が出てこない。

 

台風の過ぎ去った16日の午後から田んぼに出てみた。もち米プロジェクトの稲架が倒れていた以外、目立った被害は見当たらなかった。秋耕された畝、黄葉する枝豆の畑、何事もなかったかのように穏やかな秋の深まりがそこにあった。

それにしても、美し過ぎる虹。脳裏に浮かぶ被災地の惨状。今更ながらに自然の無情さ、残酷さを思い知らされる。

2013/10/13

セイタカアワダチソウ

セイタカアワダチソウ(背高泡立草)。この雑草を初めて意識したのは、私が高校生の頃だった。というと、今から47年ほど前、西暦1966年(昭和41年)にまで遡る。学校は京都の中心街からバスで45分ほど離れた南の端の方にあった。まだ辺りには田んぼも残り、京都の市立高校としては少し牧歌的な所にあった。それでも都市化の波はこの辺りにも押し寄せていた。田んぼは徐々に埋め立てられ、住宅や企業、工場用地などに変わっていきつつあった。

教室の窓からは、埋め立てられた田んぼの空き地がいくつか見えていた。丁度今頃の季節になると、その空き地は目が痛いほどの黄色の花で埋め尽くされていた。それが私の記憶に焼き付いた一番最初のセイタカアワダチソウであった。埋め尽くされていたというのは、正に文字通りで、他の草花の生存を許さないほど、びっしりと空き地全体を覆っていた。私はそれまで、ビルの谷間のようなところで育ってきたためか、こうした光景を見ることもなかったし、この草を意識することもなかった。

この雑草に対する当時の印象は、かなり異様なものだった。私の背丈を優に超し、2~3mはあっただろうか。威圧感を感じるほどだった。日本の草花を駆逐するかのように思えるほどの増殖力は、どこか恐ろしくもあり無気味であった。同じ黄色でも、菜の花畑のような優しさが感じられない。さすがに海の向こうの巨大大陸アメリカの雑草だと、妙に納得するところもあった。当時は花粉症の元凶のようにも言われていたが、どうやらこれは濡れ衣だったようだ。いずれにしても、北アメリカ大陸原産のこの雑草は、箱庭のような日本の細やかな風景や四季に全くそぐわないものだと感じていた。

もちろん奥比叡の棚田にも、この雑草は進出していた。しかし、どこででも同じ密度でこの雑草を見掛るわけではない。比較的多く群生しているのは、新しく圃場整備された棚田の土手や耕作放棄地などである。現在工事中である棚田街道http://tanada-diary.com/6588参照)の土手などは、外から持ち込まれた土の中に種が含まれているのか、大量のセイタカアワダチソウが群生している。

総じて、ご先祖から代々受け継がれてきた昔ながらの棚田の周辺ではあまり見かけない。こうした所では、外から持ち込まれる土の量が少ないのと、こまめな草刈りなどによって、この草自身が増殖しにくいのかもしれない。

先に、この雑草の背丈が2~3mほどあったと書いた。しかし最近見掛るセイタカアワダチソウは、1mにも満たないものが多くなってきたように思われる。随分低くなった。背泡立草になりつつあるようだ。半世紀ほど前には日本の草花を駆逐するかのように思えていたが、どうやら最近はススキや他の雑草たちとも共生するようになってきたようだ。どうしてそうなってきたのかは分からないが、日本の環境に適応し、日本化して来ているように見える。

上のセイタカアワダチソウの写真。日本の古来からの田園風景とは違い、どこかに異国情緒を感じてしまうのは私だけなのだろうか。

 


 

2013/10/06

もち米プロジェクト

近年、「棚田(中山間地農業)」や「里山環境」を守っていこうとする取り組みが全国各地で行われています。ここ仰木でも、地元の農家と都市住民による「平尾  里山・棚田守り人の会」や「仰木自然文化庭園構想 八王寺組」 といった団体が、棚田オーナー制による田植えや稲刈り、自然観察会や炭焼きなどの多様な活動を行ってこられました。そしてそうした活動には、都市住民の多くの方々がボランティアとして参加され、活発に交流が行われてきました。こうした団体の他に、都市住民の間で作られた団体もあります。「もち米プロジェクト」や 「棚田むすびの会」は、毎年田植えや稲刈りといった援農活動をされています。

先週の9月29日、「もち米プロジェクト」による稲刈りが行われました。残念ながら9月16日の台風によって、稲(滋賀羽二重)はすべて倒されていました。この日は鎌と小さなバインダー2台による稲刈りから始まって、コンバインによる脱穀、そして籾摺り(玄米)まで行われたようです。稲架に掛けられた稲わらは、正月の注連縄(しめなわ)用として残され、最後はどんど焼きで田んぼの土に戻っていきます。もちろん年末には、新興住宅地の仰木の里で餅ツキ大会が催されます。

 

仰木の棚田の土は粘土質の所が多く、ミルキークィーンやコシヒカリなどの一般的なお米も他所と比べれば粘りが強く出ます。そのせいもあって、仰木のもち米は滋賀県最高の品質だと言われてきました。しかし、日本人の食生活の変化や「餅」の工業製品化などによって、近年、もち米を育てる農家はほとんどなくなってきています。

『絶品』と言われる仰木のもち米とホカホカのお餅を食べてみたいと思われる方は、「もち米プロジェクト」の会員になってみられてはいかがでしょうか?  お気軽に下記のURLを訪問してみてください。

 

 http://oginosato.jp/circle/motikome.html

http://satomati.jugem.jp/?cid=6

 


 



La・ La・ La♪ Ta・u・e  ~そして脱穀

 

去る9月14日、「平尾  里山・棚田守り人の会」と「リビング滋賀」の主催による棚田オーナーの方たちの稲刈りが行われた。刈り取られた稲は、その後2週間にわたって稲架に掛けられ、天日干しされてきた。その稲が先々週の28日、いよいよ脱穀され籾摺りされて玄米となった。

 

青い空、白い綿雲、赤トンボやコオロギ、皆で流す気持ちのいい汗、そして木陰で食べるお弁当。そこに、幸せの秋があった。

「平尾  里山・棚田守り人の会」

http://oginosato.jp/moribitonokai/ownernissi/index.html

「平尾  里山・棚田守り人の会」 facebook

https://www.facebook.com/pages/%E5%B9%B3%E5%B0%BE-%E9%87%8C%E5%B1%B1%E6%A3%9A%E7%94%B0%E5%AE%88%E3%82%8A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BC%9A/413397602055631

 

 



「もち米プロジェクト」「守り人の会」の皆様、快く撮影させていただきありがとうございました。できるなら参加された全員の方の記念となるような写真を撮らせていただきたかったのですが、年末に向けた私の本業が多忙なため、今回のような中途半端なリポートになってしまいました。お許しください。次の機会の撮影時もまた、宜しくお願い申し上げます。

2013/09/29

  上の赤トンボは、産卵場所を求めて田んぼの中の小さな水溜りを探しているところである。水曜日に同じ田んぼに行ってみると、この写真のトンボから数えて十数世代後の子孫たちが秋の陽射しの中を元気に飛びかっていた。ただ少し心配なのは、トンボの個体数が激減しているように感じられることである。以前は何百という赤トンボが川の流れのようになって、棚田街道http://tanada-diary.com/6588 )を横断する飛翔を見せていたが、最近はそうした光景を見掛なくなった。

  下の3枚の写真は、9月15日(http://tanada-diary.com/7191)と同じように、秋の奥比叡の点景を造形的に捉え、それをデザイン風に構成したものである。

嬉しいメール


 

 9月早々、西村さんから採れたての新米をいただいた。ここ数年、西村さんが最も力を入れて育ててこられた有機栽培米ミルキークィーンとキヌヒカリであった。その辺の様子は9月8日のDiaryをご参照ください。(http://tanada-diary.com/6964

翌週、2種類のお米を精米して食べさせていただいた。もちろんキヌヒカリも美味しいのだが、仰木のミルキークィーンやコシヒカリに比べると比較的粘りが少なく、どちらかと言うとピラフやカレーなどに良く合うお米のように思った。

西村さん一押しのミルキークィーンは、家族の大きな賞賛の中でいただいた。精米されたお米は、やや乳白色。ここからミルキークィーンという名称になったらしい。キヌヒカリよりも水気が多くモチモチ感が強い。適度な甘みの乗った上質なお米の味がする。お米だから、お米の味がするのは当たり前だが、そんな表現しか思いつかない。安物のジャーで炊いているのだが、フタを開けた時の香りも実にお米らしくていい。お米の粒もしっかりと残り、輝いていた。冷めても他のお米より固くならず美味しく思う。普通のご飯としてだけでなく、お弁当やおにぎりにしても合うのかもしれない。まちがいなく、市場に出回っている高級米にヒケをとらないレベルである。

因みにミルキークィーンは、コシヒカリから生まれたお米だそうだ。ただ品質の素晴らしさに比べて、この名称で損をしているのかもしれない。お米はやはり「コシヒカリ」や「ササニシキ」、「ひとめぼれ」や「あきたこまち」といった和名が似合うように思う。その方が美味しそうに思うのは、私だけなのだろうか?  それとも時節柄、外国への輸出を意識した命名なのだろうか?

いずれにしても「ミルキークィーン」、これからの仰木棚田米を代表する品種になっていく予感がした。

とは言っても、私のような仰木と関わりのある人間の評価はどうしても甘くなりがちである。偏りがあるかもしれない。できるだけ公平な感想を聞きたいというのと、この美味しいお米を知ってもらいたいという思いが入り混じって、大阪にいる妻の友人や親戚に食べてもらうことにした。

先週の火曜日、その友人からお礼のメールが届いた。

 

夕食に、

送っていただいた仰木の

『ミルキークィーン』をいただいています。娘が

「このお米、むちゃくちゃ美味しい!」と

叫んでいました。   (*^o^*)

本当に美味しい!!

ありがとう  [\(^o^)/]

 

私が育てたお米ではないが、その感想を聞くのは何故か怖くもあり、期待もある。ワクワク・ドキドキしていた時にこのメール。一番最初にホッとした。その次に嬉しさが込み上げてきた。そして、「やっぱり仰木の米は旨い! 西村さんの米は旨い!」といった変な自信と勇気?が湧いてきた。(何度もお断りしますが、私の作ったお米ではありませんが・・・・・)

 

 


 


 

 

 ほっかほかの採れたて新米、いかがですか?

仰木棚田米を一度食べてみようと思われる方は、

下記のURLを覗いて見てください。

http://tanada-diary.com/tanada-products/fp_01

(上の「仰木棚田米」のイメージ写真は、宣伝ポスター的な感覚で作ってみました)




 

ここはお米の生産現場であり、農業という経済活動が営まれている空間です。「昔ながらの棚田」の景観や「里山環境」がどんなに素晴らしくても、先ずはお米が再生産できる価格で売れなければ、あるいは買っていただくことができなければ、この環境を守り、維持していくことはできません。

私は都会で生活する一人でも多くの人々に、この地の美味しい棚田米を知っていただきたいと思っています。ぜひ一度、食べていただきたいと思っています。但しここでの「仰木棚田米」の応援は、私の勝手な行為であり、お米の売買には一切タッチしていません。

「昔ながらの棚田」で育てられるお米の量は少なく、限られたものです。もし申し込まれたとしても、在庫がなくなり、農家からお断りされるかもしれません。何卒、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

2013/09/22

燻炭作り

 籾殻を燻(いぶ)して炭化させた燻炭は、土壌の酸化を防ぐ改良剤として使われてきた。燻炭作りは近年ほとんど見られなくなったが、上の写真のおじいちゃんは毎年々々燻炭作りに励んでおられる。2~3時間ごとに見廻りに来られ、下の方の炭化していない籾殻をスコップですくい、上の煙突の近くにかけていく。それを何度も繰り返す。全ての籾殻が黒く炭化するまで、この作業を一昼夜を掛けて続けていく。おじいちゃんに聞くと「今夜は寝られない」そうだ。おじいちゃんにとっては、もう来年の土づくり・米作りの準備が始まっている。後ろの土手には、彼岸花やススキが秋の陽射しに輝き、すっかり季節の変わったことを教えてくれている。

(昨年の http://tanada-diary.com/1560 をご参照ください)

 


 

ありがとうございます

昨年の5月から始めた「棚田日詩」も、おかげさまで《見ていただいた回数》が10,000回を超えました。これまで100名くらいの方々にしかお知らせしていなかったので、それらの方々に月一回見ていただいたとして、年間1,200回くらいの閲覧にはなって欲しいなぁと漠然と思っていました。ところが、こうした計算が成り立たないのがインターネットの世界だということも分かってきました。インターネットは、私のようなアナログ人間には想像を超えた世界のようです。10,000回の閲覧の中で約6,000回が日本の方々、4,000回が外国の方々に見ていただいているようです。中国・アメリカ・ウクライナ・ルーマニア・台湾・インド・ロシア・カナダ・ドイツ・ポーランド・イスラエル・リトアニア・インドネシア・ニュージーランド・ベトナム・パキスタン・フランス・香港・韓国・スウェーデンといった国々の方に見ていただきました。ホームページの内容・レベルからして、過分な閲覧をしていただいたと思っています。嬉しくもあり、これでいいのだろうか?といった反省もあり、少し身の引き締まる思いもしています。このホームページを見ていただいた皆様に、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

来年の5月までを一つの区切りと考えて始めたホームページです。あと7か月あります。というよりも、まだ7か月も残っているのか?!というのが偽らざる今の実感です。これまでの人生の中で、文章など書いたことのない私が、よくここまで続けてこられたものだと思っています。皆様に励まされて、これからの7か月を何とか走り切りたいと思っています。これからも宜しくお願い申し上げます。

 


 


 

 

 

 ほっかほかの新米、いかがですか?

仰木棚田米を一度食べてみようと思われる方は、

下記のURLを覗いて見てください。

http://tanada-diary.com/tanada-products/fp_01

(上の「仰木棚田米」のイメージ写真は、宣伝ポスター的な感覚で作ってみました)

 


ここはお米の生産現場であり、農業という経済活動が営まれている空間です。「昔ながらの棚田」の景観や「里山環境」がどんなに素晴らしくても、先ずはお米が再生産できる価格で売れなければ、あるいは買っていただくことができなければ、この環境を守り、維持していくことはできません。

私は都会で生活する一人でも多くの人々に、この地の美味しい棚田米を知っていただきたいと思っています。ぜひ一度、食べていただきたいと思っています。但しここでの「仰木棚田米」の応援は、私の勝手な行為であり、お米の売買には一切タッチしていません。

「昔ながらの棚田」で育てられるお米の量は少なく、限られたものです。もし申し込まれたとしても、在庫がなくなり、農家からお断りされるかもしれません。何卒、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

2013/09/18

稲刈りと台風18号

上の写真は、9月14日「平尾  里山・棚田守り人の会」と「リビング滋賀」の主催による棚田オーナーの方たちの稲刈りの様子です。今回は、私の写真の大先輩である田口郁明さんによる当日の写真です。トリミング、構成の責任は私にあります。

 


緊急報告! 台風18号が去って・・・・・

近畿地方を襲った台風18号は、 9月15日から16日に掛けて京都・滋賀・福井に大きな被害をもたらした。私も長年京都市に住んでいたが、嵐山の渡月橋から水があふれ出すなどということは初めての経験である。

今日18日は、仕事の休日ということもあって棚田に出てみた。何よりも、14日に組み立てられた稲架(はさ)が倒されていないか、稲が飛ばされていないか、そんなことが心配だった。「守り人の会」のフェイスブックを見ると、やはり稲架は倒されていたようだ。

https://www.facebook.com/pages/%E5%B9%B3%E5%B0%BE-%E9%87%8C%E5%B1%B1%E6%A3%9A%E7%94%B0%E5%AE%88%E3%82%8A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BC%9A/413397602055631

この写真は、「守り人の会」の方々が稲架を立て直された後のものである。土づくりから始まる一年間の成果が、立派に稲架に掛けられている。

 

ただ残念だったのは、「もち米プロジェクト」が育ててこられたもち米が倒伏してしまっていた。仰木のもち米(滋賀羽二重)は、粘土質の土壌で育てられるため粘りが強くでる。そうしたこともあってか、昔から絶品と言われてきたものである。近年、もち米を育てる農家は少なくなったが、「もち米プロジェクト」のような団体がその再生に取り組んでおられる。

下の2枚の写真、上が9月14日、下が台風後の18日、9月29日に刈り取りをされるそうだが、ちょっと手間の掛かる稲刈りになりそうである。

 

稲の倒伏以外にも、台風によるちょっとした被害はあった。馬蹄形の棚田の横にある駐車場の簡易トイレが強風で倒されかけていた。この駐車場に来るには、車1台がやっとという細い農道を登ってこなければならないが、下の写真は、その農道の右手にある細長い棚田の土手が崩落してしまったところである。この土手は、十数年前の台風の時にも大きく崩れている。

 


 平尾 里山・棚田 守り人の会 

 http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html

もち米プロジェクト 

http://oginosato.jp/mochikome/index.html



今日の稲刈りの写真を提供していただいた「田口郁明」さんは、私の勤務する会社のパンフレットづくりに携わっていただいたカメラマンです。今から二十数年前からのお付き合いになります。スタジオでの商品撮影もされますが、本業は風景写真家です。著書に「広沢池の四季」という写真集があります。京都を題材にした写真集は多くありますが、広沢の池だけをテーマにまとめられているのは彼の写真集だけだったと思います。彼の人柄のように、深く静謐な広沢の池が心を満たしてくれます。写真展もまた、関西を中心に精力的に行ってこられました。

http://olympus-imaging.jp/event_campaign/event/photo_exhibition/past_photo_exhibition/120202_taguchi/

2013/09/15

奥比叡、初秋点景

赤トンボ、エノコロ草、コオロギ、萩の花、紫露草、ショウリョウバッタ、彼岸花、ススキ。昨日出会った小さな秋たちである。田んぼに響く蝉の声も、最後の夏を惜しむかのようにどこか寂しげに聞こえていた。週末は台風前の晴れ日とあって、多くの田んぼで大急ぎの稲刈りが行われていた。

 

昨日の14日は、「平尾  里山・棚田守り人の会」と「リビング滋賀」の主催によって、棚田オーナーの方たちの稲刈りが行われた。昨年のように雨は降らなかったが、雲間からの陽射しも強く、稲刈りにはちょっと厳しい蒸し暑い一日だった。本当にご苦労様でした!    稲架に掛けられた稲は2週間後に脱穀されるのだが、月曜日の台風が心配である。

今日15日は、雨の降りしきる中を田んぼに出てみた。稲刈りの終わっていないいくつかの田んぼでは、水が溜まらないように溝切り作業が黙々と続けられていた。