奥比叡の里より「棚田日詩」 | 未分類

2018/02/14

50,000 hits

気が付けば、50,000回を越える閲覧をいただいていました。ほとんど宣伝してこなかったということもあって、「棚田日詩」を始めた頃は一日2~3回の閲覧数でした。中には、0回という日も珍しくありませんでした。そんな時が長く続いていました。当時は多くの方々に見ていただくよりも、自身の写真や文章のレベルを上げていこうということで精一杯の日々でした。今も変わりはないのですが・・・・  50,000回も見ていただけるとは、想像すらしなかったことです。

「棚田日詩」の閲覧数の約半数は20ヶ国以上の外国の方々によるものです。全く外国語ができない私でも、写真というものを通じてコミュニケーションができるという事実に嬉しく思っています。

どこまで続けられるか分かりませんが、これまで通りボチボチとマイペースで更新していきたいと思っています。

50,000回の閲覧、心からの感謝と御礼を申し上げます。これからも宜しくお願い申し上げます。

 


 

 まだ北陸地方や北国は、雪の中にあります。予想外の豪雪に、被害に遭われた地域の皆様には心からのお見舞いを申し上げます。くれぐれも怪我などなされないように、除雪等々に当たっていただきたいと願っています。

今日の写真に見られるこんもりと盛り上がった雪の下には、白菜や大根が眠っています。これらの野菜は、日本人の大好きなお鍋やお漬物になっていくのでしょうか・・・・

それにしても、野菜の価格が高い。気象条件は、まだまだ人間経済の重要なファクターであるようです。

 


 

私は日本語以外、どの国の言葉も「聞けない・話せない・書けない」といった状態です。今日の写真中の英文は、近所に住んでおられる英国人のアンガスさんに教えてもらったものです。かねがね外国の方々にもお礼の気持ちを伝えたいと思っていました。私の簡単な日本文を超える英訳をしてもらいました。アンガスさんには、感謝!感謝!です。

2018/02/04

2月の風

朝から山の上の林道を歩いてきた。日陰になった斜面には数日前の雪が残っている。林道を覆う雪は軽トラックに踏み固められ、既にアイスバーンになっていた。まるで氷の上を歩くようだった。

頬や指先に当たる風は冷たく、少し痛い。しかし身も心も引き締めてくれるこの冬の風が、私には心地いい。

山を下りて棚田を見渡しても、木々も雑草たちもまだ冬枯れの中にある。田んぼの片隅には、雪も残っている。しかし今日は久しぶりの青空。太陽の光が、棚田に降り注いでいた。

三脚を据え、カメラを構える。ファインダーを覗く顔に、寒風が吹き抜けていく。「・・・?」  冷たさの中に、かすかな温もりがあった。

春の予感が棚田を吹き抜けていった。

 


 

先月の20日頃、出張で信州に行って来ました。その帰り道に、蓼科高原を周ることにしました。会社の冬ギフトのイメージ写真を撮るためです。女神湖のほとりで撮影していると、小さな小鳥を撮っておられるカメラマンと出会いました。井坂 瑞(mitsuru)という方です。【 healing-bird 】というブログを出しておられます。

里山でお馴染みの小鳥たち、見たこともないような愛らしい小鳥たち、なぜか心まで癒してくれます。田植え後の田んぼを滑空するツバメの写真など、私からすれば「神業」としか言いようがありません。ぜひ一度、立ち寄って見てください。

2018/01/01

あけましておめでとうございます

田んぼの土も辺りの水たまりも全てが凍りつくほどの寒い朝だった。足元の霜に包まれた雑草を夢中で撮影していると、背中越しに空が明けていくのが感じられた。振り向くと、東の空は赤く染まっていた。見晴らしのいい所に行かなければ!   機材をバッグに仕舞い、30~40mほどの棚田の急坂を一気に駆け上がる。登るにしたがって、琵琶湖の対岸にある近江富士(三上山)が徐々に姿を見せ始めた。何という光景なのだろう!   茜の空に見たこともない形の雲が流れていく。そこはもう「日本昔ばなし」の世界だった。


   穏やかで牧歌的な景色である。しかしリアルな人間社会は、決して牧歌的なものではない。日本を含む東アジアでも、少しキナ臭くなってきている。自然はそんな人間社会とは関わりなく、光と影の昼間の世界を作り出し、満天の星空を輝かせ、やがて希望に導くかのような朝を演出する。地球上では既に40億年近く、それを繰り返している。穏やかで感謝に満ちた朝を迎えるのか、残酷で悲痛な朝を迎えるのか、すべてはリアルな人間社会、私たち一人一人の価値観や生き方に掛かっているのではないのだろうか?    いつまでも、いつまでも写真のような牧歌的な朝を迎えたいものである。


「棚田日詩」を始めて、6度目のお正月を迎えることとなりました。こんなに長く続けられたのも、全て皆様のお陰だといっても過言ではありません。年頭にあたり、感謝と御礼を申し上げます。

新しい年もまた、皆様の願いや目標が叶いますことを心からお祈り申し上げます。

2017/12/24

白い世界

今日は夕方から雨。残念ながら、奥比叡の辺りはホワイトクリスマスになりませんでした。写真だけでも、白い世界をお届けします。

2017年も残すところあと僅か。今年も「棚田日詩」にお付き合いいただた皆様に、心からの感謝と御礼を申し上げます。

まだ少し早いご挨拶となりますが、来年もまた皆様にとって良い年となりますことをお祈り申し上げます。本当に、ありがとうございました!!

2017/11/12

晩秋

年末商戦の準備が忙しく、写真だけのUPとなります。棚田に降り注ぐ晩秋の光の温かさを感じていただければ嬉しく思います。

2017/10/11

実りの秋

秋は「実りの秋」。と言ってもお米や作物だけが実るわけではない。草木たちは厳しい冬を前にして、次の世代を担う多くの実を付け始める。これも里山の生態系にとっては、大切な「実りの秋」である。棚田のあぜ道や土手の中にも、そして森や山の中にも、よく見なければ気付かない所で新しい命が息づき始めている。

 

今日の写真は、コオロギたちの優しい鳴き声に耳を傾けながら撮ったものである。三枚目の写真の実は、タヌキマメと言うそうだ。先日、棚田でこの実の写真を撮っておられる方から教えてもらった。「こんな身近な所で出逢えるなんて!」と驚いておられた。帰って調べてみると、都道府県によっては絶滅危惧種に指定されているようだ。私はというと、毎年このマメを目にしているはずだ。しかし私の記憶の中からは完全に抜け落ちている。人は、利害のあるもの、関心のあるもの以外は、見ているようで何も見ていないのかも知れない。この写真は、教えていただいて初めて意識した記念に、そして、タヌキを連想させる少しメタボな体形に愛着を感じて写したものである。

2017/09/10

ピッカピカの新米! いかがですか?

滋賀県 大津市 奥比叡仰木 棚田 米

採れたて新米!


仰木棚田米を一度食べてみようと思われる方は、


下記のURLを覗いて見てください。


http://tanada-diary.com/7393 (ミルキークイーン)

http://tanada-diary.com/tanada-products/fp_01

 



ここはお米の生産現場であり、農業という経済活動が営まれている空間です。「昔ながらの棚田」の景観や「里山環境」がどんなに素晴らしくても、先ずはお米が再生産できる価格で売れなければ、あるいは買っていただくことができなければ、この環境を守り、維持していくことはできません。

私は都会で生活する一人でも多くの人々に、この地の美味しい棚田米を知っていただきたいと思っています。ぜひ一度、食べていただきたいと思っています。但しここでの「仰木棚田米」の応援は、私の勝手な行為であり、お米の売買には一切タッチしていません。

「昔ながらの棚田」で育てられるお米の量は少なく、限られたものです。もし申し込まれたとしても、在庫がなくなり、農家からお断りされるかもしれません。何卒、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

2017/09/03

案山子

♪山田の中の一本足のかかし / 天氣の良いのに蓑傘(みのかさ)着けて・・・

童謡「案山子」は、私の小学校時代の懐かしい思い出とともに今も心の中に残っている。

もっとも今の案山子は、蓑傘などは着けておらず、大抵はオシャレなTシャツと麦藁帽である。中には「安全第一」と書かれた工事用のヘルメットを被っているものもある。

 

 「案山子」(作詞:武笠三)の歌詞にこんな一節がある。

♪弓矢で威(おど)して 力んで居れど / 山では烏が かあかと笑ふ ・・・

この歌が初めて尋常小学校の唱歌として取り上げられたのは明治44年。とすれば、案山子の効能(鳥や害獣を脅して作物を守る)に対しては、当時から大きな疑問符が投げかけられていたことになる。それにもかかわらず100年以上経た今日でも、棚田には人を模した案山子がポツポツと立てられている。案山子の効力については、プロのお百姓さんなら知らないはずはないのだが・・・

古の案山子は、神の霊が宿るものとしてあったようだ。現代の案山子にも、そんな信仰の心が流れているのだろうか?  それとも現代人のどんな心がそれを作らせているのだろうか?

いずれにしても、人の願いや祈りや思いを宿した案山子。しかも人を模した形をしているだけにどこかユーモラスで、辺りの風景を温かくしてくれているように思える。ガンバレ案山子!

 


 

この季節の棚田は、稲穂の黄色と土手の緑が階段のように積み重なって、見事な美しさを描き出している。しかしその風景は、稲刈りが終るまでのわずかな期間しか見ることができない。既に2~3割程度の田んぼで稲刈りが終っている。更にこれからの2~3週間の間にほとんどの稲穂が刈り取られ、棚田から黄色が消えていく。そして、本格的な秋がやって来る。

ところで、この辺りの今年の収量は平年並みだと言われていた。しかし予想に反して、例年よりも2割程度少なくなりそうである。東北地方の日照不足は深刻なようだが、この辺りでも日照が足りなかったのかも知れない。農業というものを見ていると、今更ながらに人は自然の客体だということを身近に感じさせられる。


 

今日の写真は、今から20年ほど前、安物のスキャナーでパソコンに取り込んだものです。設定が間違っていたのか、マゼンタが強く掛かった変な色、しかもかなり暗い画像として出力されていました。レタッチで修整する自信がなかったので、長い間手を付けずにいたものです。ただ昨年の冬からレタッチの教室に通っていることもあって、習ったことを使って何とかしてみようと思い立ったのが吉日。試行錯誤・四苦八苦。ようやく上の写真に辿り着きました。まだまだ不満な点はありますが、少しは勉強の成果もあったように思います。いかがでしょうか??(不安!)

2017/08/19

残暑お見舞い申し上げます

ブィ~~~ン・・・・  今日は土手の草刈りだ。真夏日の昼からの農作業は、陽が少し西に傾いた頃から行われる。突然、草刈り機のモーター音が異音を発し、土煙が舞い上がる。土手そのものを削ってしまったのだ。土埃と雑草の切れっ端が貼り付いた汗まみれの顔が笑っていた。

早い田んぼでは、今週中に稲刈りが始まりそうだ。今年の東日本は、日照不足だと言われている。野菜類も随分値上がりしている。米価はどうなるのだろうか?


 

まだまだ35℃前後の日々が続きそうです。皆様、御身、ご用心。

2017/07/30

暑中お見舞い申し上げます

関西地方の梅雨は、7月19日に明けたようだ。その後も曇り日が多く、気温も湿度も高い熱帯夜が続いている。まだ不快な梅雨の最中にあるようだ。しかし稲穂は、まっすぐと空に向けて伸ばし、心なしか棚田全体を黄色く染め始めている。早いもので来月の今頃は、稲刈りが始まっているはずだ。

私個人について言えば、この7月は散々な月となりました。株主総会を挟んで、熱中症の高熱と夏風邪で二週間ほどダウンしてしまいました。ようやく「棚田日詩」を更新する気力が湧いてきたところです。そんなわけで、6月の「ルーティンワーク」は別の機会に書かせていただこうと思っています。

まだまだ猛暑日が続きます。皆さまくれぐれもお身体、大切に!


昨年の12月からAMS主催の「フォトレタッチ教室」に通っていました。結果は見事沈没。教室では分かったような気になっているのですが、家に帰って同じ作業をしてみるとほとんどできなくなっていました。1回の授業で一つだけでも覚えて帰ろうと決意していたのですが、それも怪しいものになっています。というわけで、8月2日から二度目のチャレンジです! 今度こそは!!  歳のせいにはしたくありません。でも、自信が揺らいでいます。

2017/05/21

キジ

この季節、「ケン・ケーン」と キジの鳴き声が棚田のそこかしこで響き渡る。と、一応ここでは書いているが、私にはそんな単純な鳴き声には聞こえない。鳥類は恐竜の子孫だと言われているが、どこか恐竜や翼竜の鳴き声に似ているように思われる。もっとも私は、恐竜の声など聞いたことはないのだが・・・・ 文字では表現できない少し奇怪な声色が混じっている。 現代の鳥でいえば、クジャクの鳴き声に近いように思われる。

この写真は、雄のキジが高速で羽ばたいている瞬間をパチリ。縄張りを主張しているのか、彼女への求愛なのか、私には分からない。ここでも「ケン・ケーン」「ケン・ケーン」とうるさいほどだ。

キジの生息域は、河原や農耕地、平地にある林などの日当りのいい草地にあると聞いている。この辺りではよく、棚田の土手や休耕地などの少し背の高い草の生い茂った辺りから「ケン・ケーン」という鳴き声が聞こえてくる。とすれば、一昔前までの新田開発や雑木林の整備など、人間の農耕活動の広がりと共にその生息域を広げてきたのではないだろうか?

人気のない農道を歩いていると、時折キジに出くわすことがある。それが田植えの季節から秋口の頃までなら、お母さんに連れられたヒナたちとバッタリということもある。お母さんと一緒になって逃げていくヒナたちの小さな命が愛らしい。


 

2012年5月に始めた「棚田日詩」は、6年目を迎えることとなりました。何度か止めようかと思ったのですが、皆様の閲覧に励まされて何とかここまで続けることができました。これまで閲覧していただいた全ての方々に、心からの御礼を申し上げます。これからも、月一回の更新ペースはできるだけ守っていきたいと思っています。時折立ち寄っていただければ嬉しく思います。

2017/04/16

昔ながらの棚田が語るもの

今日の写真は、今から25~26年ほど前、私の田んぼ写真の中では最も初期のものである。当時はこうした昔ながらの棚田が、奥比叡の山々の麓に10㎞ほど連なっていた。

軽トラック一台がようやく通れるような曲がりくねった農道。小さな農機しか入れられなかったいびつな田んぼ。入り組んだ地形のため日陰となる棚田も多かった。労力も平地の田んぼの何倍も掛かった。これでは、若い後継者に田んぼを任せていくのは難しかった。この写真には、当時の村人たちのこんな思いが写っているのかもしれない。

この20年ほどの間に、奥比叡の棚田の姿は大きく変わってきた。丘は削られ、谷間は埋め立てられた。川はまっすぐな流れに変えられ、用水路も合理的に配置されるようになった。そこに日陰の少ない大きくて四角い田んぼが造り出されてきた。新しい農道は、拡幅され直線的なものになり、幹線は二車線の快適なものになった。この写真の棚田もまた、圃場整備によって長方形の大きな田んぼに生まれ変わり、大きなトラクターで耕作されるようになった。

確かに生産性も高まり、当時の農家の抱えていた問題はずいぶん改善されたように思える。しかし、農業労働力の高齢化、後継者の不足といった問題は今も耳にする。獣害も、この10年ほどの間にひどくなった。圃場整備され大きな田んぼになったからといって、農地が更に集約化され法人化される平地の大規模農業に比べて、生産性等における相対的格差は更に広がっていくのではないだろうか?   中山間地農業の抱える問題は、圃場整備だけでは解決できないもう少し別の奥深い所にあるようだ。

 


 

 圃場整備をされる前であろうと後であろうと、この時期にしなけれなならない農作業は同じである。草刈り、春耕、水入れ、畔の補修、代掻き等といったものである。この写真に見られる作業が、今日も奥比叡の棚田で黙々と続けられている。


 

今日の写真も、古いフィルムを安物のスキャナーで取り込んだものです。レタッチの腕が未熟なため、いい色が出せません。皆さんの目の方で補正していただければ? 助かります。

2017/04/09

山桜

木々は芽吹き始め、生命の輝きが枯れた山肌を彩っていく。遠くに一塊の山桜。ヒバリは空高く歌い、鶯の声が谷間に響いている。今日の写真は、林道の木立の隙間から覗いたものである。確かに山の中の風景ではあるが、それほど奥深くに入り込んだものではない。このすぐ下には棚田が広がり、田植えの準備が進んでいる。

少し田舎の方に行けば、どこででも、誰でもが見ることのできる新緑と山桜の春景である。名の知れた千本桜や枝垂桜も美しいが、私は、こんな「春」が大好きだ。

しみじみと、しみじみと、心が春に満たされていく。


 

昨日の4月8日、あいにくの小雨の中「棚田の一本桜」が開花した。開花の仕方は年によっても違うようだ。数輪の花からポツリポツリと花数を増やしていくこともあれば、今年のように多くの蕾が一斉に花開くこともある。今年は3分咲き、4分咲きといった過程を飛び越して、開花の翌日(今日)には、いきなり6~7分咲きといったところになっている。恐らくこの数日、5月にも似た暖かな日が続いたからではないだろうか。今年の満開は、今週の中頃に訪れそうだ。

2017/03/22

桃の花

 ♪あかりをつけましょ ぼんぼりに    お花をあげましょ 桃の花・・・

これは、童謡「うれしい  ひなまつり」(作詞:サトウ ハチロー)の冒頭部分である。

日本人にとって、雛祭りと桃の花は一対のものである。古くから桃の木は、魔除けや邪気を払う力があると信じられてきた。鬼退治に出かける「桃太郎」は、その延長線上での命名ではなかったのか?  桃の木には、百歳(ももとせ)生きるという不老長寿の願いも込められてきたようだ。代々、娘の幸せを桃の木に託して、雛祭りに添えらてきたのであろう。

現代の雛祭に飾られるのは、ほとんどが造花の桃の花になっている。この時期、桃の花が咲いていないからである。桃の開花期は、3月の下旬から4月の中頃辺りまでである。今よりも一月ほど遅かった旧暦の3月3日は、満開の桃の花に包まれていたはずである。正に、桃の節句であった。

今日の写真は、今から25年ほど前のものである。毎年、見事な桃の花を咲かせる農家のお庭があった。この家の主は、一人娘の誕生を祝い、彼女の幸せを願って桃の木を植えた。その木の成長とともに育った娘さんは、若くしてアメリカに渡り、そこで出会った伴侶との間に二人の男の子を授かることとなった。娘さん一家は、数年に一度帰郷し、この桃の木の下に子供たちの華やいだ声が響いていた。娘さんがアメリカに旅立ってからは、年老いた主がこの茅葺屋根の家も庭も、そして田んぼも一人で守り続けて来られた。主が80才をいくつか超えた頃、彼は静かに息を引き取った。彼の死後まもなくして、庭の管理ができなくなってしまったのと、老木となった桃の木に倒木の危険があったために切り倒されることとなった。

私はこの一本の桃の木に、人の暮らしの中で生み出される風景の「見かた」のようなものを教えられた気がしている。