奥比叡の里より「棚田日詩」 | DIARY

2013/09/08

What a Wonderful World

8月25日頃から始まった稲刈りも、先々週あたりから雨の日が続いたために少し遅れ気味のように思われる。そのせいで、稲が寝てしまった(倒伏した)田んぼが増えてきている。この辺りはほとんどが兼業農家であるため、土日が晴れてくれないと稲刈りに困る農家も多い。しかしこの土曜日も雨。日曜日は午後から晴れたのだが、土がぬかるみ農機を入れにくい。稲刈りが少しづつズレ込んでいるようだ。それでも米農家にとっては、一年間の総決算の時を迎えていることに変わりはない。

 

仰木の西村さんから今年一番最初に刈り取られた新米をいただきました。今、西村さんが最も力を入れておられる有機栽培米「ミルキークィーン」と「キヌヒカリ」という2品種でした。「食べ比べてみて」と言われているのですが、まだ精米ができていません。今週中には精米をして、ありがたく食べさせていただくつもりです。ただ今年は記録的と言われるほどの猛暑の夏でした。それがお米にどんな影響を与えたのか、少し心配しています。

私は日曜日と水曜日の週2回ほど田んぼに出てみるのですが、季節を問わず最も頻繁にお会いするのが西村さんです。今年の暑い暑い夏も、農作業に汗を流しておられる西村さんに何度もお会いしました。西村さんの米づくりに掛ける情熱には、本当に頭が下がる思いがします。

今年の「ミルキークィーン」と「キヌヒカリ」、今からワクワクしています。

 

この20年ほどの間に奥比叡の棚田のほとんどで圃場整備が済み、四角い大きな田んぼに生まれ変わってきました。小さな田んぼの積み重なった「昔ながらの棚田」は、仰木の平尾地区に残されるだけとなっています。その昔ながらの小さな田んぼを全部集めると60ヘクタールほどになります。仮にこの60ヘクタールという田んぼが平野部にあったとすれば、大きな農機を導入して3人ほどで米づくりをしなければ国際的な競争に勝ち抜いていけないそうです。現在平尾の棚田では、100人ほどの村人によって米づくりが行われています。昔ながらの棚田農業が、いかに多くの労力とコストが掛かってしまうのか、平野部の田んぼに比べていかに経済的に不利な環境に置かれているのか、十分お分かりいただけるだろうと思います。それでも、祖先から守り継がれてきた「昔ながらの棚田」やその「里山環境」を次の世代に残していこう、みんなに美味しいと喜んでもらえるお米を作っていこうと頑張っておられる農家が多くあります。西村さんもその先頭に立って頑張ってこられたお一人です。

すでに日本人の歴史的・文化的遺産となってしまった「昔ながらの棚田」。農という人の営みと自然が長い長い時を掛けて共に作り上げてきた共生空間「里山」。私もこの掛け替えのない「Wonderful World」をぜひ次の世代の子どもたちに残していってやりたいと願ってきました。棚田の畔に立っていると、ルイ・アームストロングの“What a Wonderful World”のフレーズが何度も何度も頭の中に浮かんできます。私は英語が苦手で、この曲の歌詞はよく分かりませんが、理不尽で厳しい現実の社会にあっても、それでもこの世界は、何と美しく素晴らしい世界なんだろうといった意味だったと思っています。美しい曲線を描く「昔ながらの棚田」、そこで営まれる農業経営、その存続すら危ぶまれるほどの厳しい経済的・社会的現実があります。経済的な観点だけから見れば、棚田の零細農業はやがては消えゆく運命にあるのかもしれません。しかしそれでもそこは、何と素晴らしい世界なんだろう!と私は思っています。経済的価値だけでは計れない何かがここにはある気がします。この24年間、そんな思いでカメラを向けてきました。

 

しかしここは、お米の生産現場であり、農業という経済活動が営まれている空間です。昔ながらの棚田の景観や里山環境がどんなに素晴らしくても、先ずはお米が再生産できる価格で売れなければ、あるいは買っていただくことができなければ、この環境を守り、維持していくことはできません。

私は都会で生活する一人でも多くの人々に、この地の美味しい棚田米を知っていただきたいと思っています。ぜひ一度、食べていただきたいと思っています。




新米、いかがですか? 

仰木棚田米を一度食べてみようと思われる方は、

下記のURLを覗いて見てください。

http://tanada-diary.com/tanada-products/fp_01

(上の「仰木棚田米」のイメージ写真は、宣伝ポスター的な感覚で作ってみました)



   去る5月18日、「平尾  里山・棚田守り人の会」と「リビング滋賀」の主催によって、棚田オーナーの方たちの田植えが行われました。その様子は5月26日のDiary「La・ La・ La♪ Ta・u・e」で報告させていただきました。その田植えをされた小さな稲たちも立派に成長し、いよいよ収穫の時を迎えました。9月14日(土)、鎌で刈った稲が稲架に掛けられ天日干しされます。今のところ、曇り晴れといった予報ですが、雨天の場合は順延されるようです。詳しくは下記のURLを訪問してください。

http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html

2013/09/01

   奥比叡の棚田と出会って2年目の年に撮ったものである。台風の過ぎ去った後、田んぼが気になって出掛けてみた。里芋の大きな葉っぱはボロボロにちぎられ、稲は無残に倒されていた。しかし目の前に倒れているのは単なる稲ではない。倒されたのは、無事の収穫を願って米づくりに励んできた村人たちの思いであった。この光景を目にした時には何とも言えない腹立たしさのような感情が込み上げていた。手作業での稲刈りになってしまうのか、すぐ隣でおじいちゃんとおばあちゃんの溜息も聞こえていた。そうした人間の感情にはおかまいなしにトンボが1匹、秋の陽射しに輝いていた。倒された稲、人の溜息、のどかそうに見えるトンボの飛翔。このアンバランスな風景を前に、何とも奇妙な気持ちでシャッターを切った。

倒伏

稲は、倒れやすい植物である。たわわに実った稲穂は重く、重心が高い。品種改良の過程で倒れやすくなったのかどうかは知らないが、稲は想像する以上に頭デッカチなのである。完全に倒れてしまうと機械での刈り取りが難しくなる。最も最近の農機は優秀で、少々の倒伏ぐらいなら刈り取ってしまう。それでも農作業の段取りは狂ってくる。気温の高い時期にそのまま放置しておくと穂から直接根が出てしまい、商品価値がなくなってしまう。倒れたら1週間くらいの間に刈り取ってしまわなければならないのだが、早くに倒れてしまった稲はそのタイミングが難しい。

倒れやすさは、種類によっても異なる。コシヒカリはこの辺りでは「コケヒカリ」と呼ばれるほど倒れやすい。お米としては最も美味しい部類に入るミルキークイーンも倒れやすい。それらに比べると、キヌヒカリやレークは倒れにくい。

稲が倒れる外的要因は、雨と風が主なものである。その両方が襲ってくる台風は最悪である。しかし、わずかな雨でも倒れることがある。雨の水滴によって自重が重くなり支えられなくなるからである。猪(シシ)が田んぼに乱入して倒してしまうということもある。

化学肥料で育てるのではなく、鶏糞などを使った有機栽培にこだわっても倒れやすくなる。鶏糞はお米の味を美味くするのだが、量が多すぎると倒れやすくなる。適量というのが難しい。

その田んぼの持つ適正収量を越えて作付けしても倒れやすくなる。しかし消費者と契約栽培をしている田んぼでは、価格の問題にも跳ね返ってくるので簡単に収量を減らすこともできない。

土用干しが中途半端でも倒れやすくなる。もっともこれには棚田特有の理由がある。6月下旬から7月中旬に掛けての土用干しの主な目的は、田んぼの水を抜き、土を乾燥させ、過剰な分げつ(成長)を抑えることにある。ところが棚田では、乾燥の度合いが難しい。乾燥が進んでいくと、今度は棚田の土手にひび割れが走り、そこに水が入り込み崩落の危険が増してくる。といって、この土用干しが中途半端になってしまうと、稲の背丈が伸びて倒れやすくなってしまう。

有機で育てた美味しいお米を作りたい、そして契約した収量を責任を持って確保したいと思えば、その年の気象条件なども加味した複雑な連立方程式を解いていかなければならない。毎年8月の中頃になると、稲の倒伏した田んぼがいくつか目の前に現われてくる。農家の終わりのない試行錯誤がそこにある。

 

2013/08/25

残暑御見舞

お盆も過ぎて、棚田はすっかり黄色に染まってきた。まだ夏雲の空に蝉の声が威勢よく響いているが、足元に耳を澄ませば、秋の虫の音が草むらから優しく聞こえてくる。

それにしても今年は、記録的、観測史上初などという形容詞が付くほどの猛暑だった。昼間の私は、コンクリートとアスファルトに囲まれた京都市で働いている。盆地のせいか本当に暑い。そして蒸す。車の温度計を見ても、38℃を越している時がある。京都から滋賀の仰木に帰ってくると、心なしか涼しく感じ、ホッとする。たぶん琵琶湖という大きな水瓶があるのと、水田や雑木林などの緑も多く、土そのものがアスファルトに覆われていないからではないかと思っている。滋賀の穏やかな自然環境に感謝である。

今日の写真は、時間と共に変わる光の色の変化をお楽しみいただこうと思った。上の2枚は、たぶんお昼から3時頃までに撮影したものである。光は透明である。下の2枚は、夕方のものである。この時間特有の黄色味を帯びた光が美しかった。振り向けば夕立の去った琵琶湖の上に虹が輝いていた。

週末、ようやく雨が降ってくれました。一息つけたといった感じです。それでも気象庁によると、週明けからまたまた猛暑が戻ってくるようです。皆様、くれぐれも熱中症などに気を付けて、お身体ご自愛ください。

2013/08/18

どうしよう

棚田と出会った時、まずはロケハンだと思った。ロケハンとは、元はと言えば映画業界のロケーション・ハンティングの略語。広い意味では、撮影に先立っての現地調査とでも言えばいいのだろうか。どこにどんな道があって、どこに続いているのか?  あるいは行きどまっているのか?  気になる棚田や農家、ハサ木や柿の木、溜め池や川がどこにあって、四季を通じてどんな姿を見せてくれるのか?   1990年から93年あたりの4年間ほどは、撮影していてもそんな下見調査的な意識の方が強かった。南の坂本辺りから北の栗原辺りまで、南北15㎞・東西5㎞ほどにわたって棚田や雑木林が連なっているのだが、ほとんど全ての農道・林道を車で走り、自分の足で丹念に歩いた。恐らくこの期間、この地域にある田んぼで、私が見落とした田んぼは一枚もなかったはずだ。

それにしても農道は狭い。棚田の中の農道のほとんどは、軽トラック一台がようやく通れるような道巾しかなかった。時折脱輪する。さぁ、大変である!  一時間ほどは自力脱出を試みるが抜け出せない。いよいよJAFのお世話になる時である。これがまた、一苦労である。当時は携帯電話というものを持っておらず、村のお店や農家に駆け込んで電話をお借りする。山の上の方の農道で脱輪した時は、下の村まで駆け下りていくということもあった。ようやくJAFと連絡が取れても、今度は脱輪した場所の説明ができない。棚田の中には、細かい地名がないからだ。都会のように目立ったお店やポストやタバコ屋さんもない。「そこを右に曲がって、左に折れて・・・・・」と、説明のしようがないのである。仕方がないので、村の入り口辺りでの待ち合わせとなる。こうしてJAFの皆さんには、何度も救っていただくこととなった。それでも1995年以降は、JAFのお世話になっていないのではないかと思う。この時期の痛い学習が効いているのだろう。私のロケハンには、こうしたエピソードも含まれている。

 

先ほど、棚田の中には細かな地名がないと書いた。しかし全く地名がないかと言えばそうではない。村人たちの間にだけ通用している地名がある。一番上の写真の所にもちゃんとした地名が付けられている。その名は「どうしよう」である。ここは棚田を築こうとしても、何度も何度も土手が崩れてくる。そこで村人たちは「どうしよう」となったらしい。今でこそ写真右側の土手は、コンクリートという現代技術で厚く固められている。粗末な道具しかなかった時代、ここに棚田を築こうとした先人たちの思案と苦労が余計に偲ばれる。

「どうしよう」のすぐ近くにもう一つユニークな地名が付けられた所がある。その名を「くずれ」という。ここ数年、この「くずれ」の所で道路工事が進んでいる。

伊香立から日吉の西教寺に抜ける農道(私はこの道を「奥比叡棚田街道」と自分勝手に呼んできた)の工事である。元々「くずれ」は、小高い丘の斜面に棚田が積み重ねられていた所だった。その丘の真ん中をV字型に削り取って、その底に農道を通そうという工事である。当然農道の両側面はV字の斜面となっている。いくつかの工法が試みられているようだが、その都度、斜面が「崩れ」てくる。中々の難所である。道路全体の設計上、この「くずれ」を避けて通れなかったのかもしれない。あるいは、経済的合理性などがあったのかもしれない。この地を「くずれ」と名付けた先人たちは、この事態をどんな思いで見ているのだろうか?

 


 

今回は丁度「お盆」の直後。御先祖様を偲ぶという意味でこのテーマにさせてもらいました。

3・11の大地震と大津波の恐ろしい光景は、今も昨日のことのように私たちの脳裏に焼き付いています。そしてその後も、日本列島の揺れは一向に収まる様子がありません。東南海の巨大地震も想定されています。都市開発や道路建設などに先立って、御先祖様の地名などに託した思いに耳を傾けてみるのも地震対策や防災対策の一つだと思っています。そうした御先祖様の思い・願いは、様々な形をとって全国各地に残されているのではないでしょうか?

2013/08/14

ふるさと

結婚して8年間、 私たち夫婦には子どもができなかった。様々な努力を試みたが、そろそろ子どもは諦めて何か老後のための趣味を持たなければ!と始めたのが写真だった。その時35才、生まれて初めて買う一眼レフカメラだった。不思議なもので、すっかり諦めていた子どもをその3年後に授かることとなった。息子であった。彼が1才になる時、「もう少し自然の多い所に」ということで引っ越してきたのが「仰木の里」という新しい住宅地だった。その新興住宅地を取り囲むように滋賀県最大の棚田が広がっていた。いくつかの偶然が重なったとはいえ、子どもが私にカメラを持たせ、私をここに連れてきてくれたのだと思っている。

写真をやり始めた当時は、典型的なサンデーカメラマンだった。日曜日になると、カミさんと愛機のカメラを連れ出して京都方面へのドライブに出掛けたものだった。実際、“謙遜”というものが入る余地がないほどヘタクソだった。だからNHKのカルチャー教室(浅野喜市先生)にも通った。その浅野先生が顧問をされていたNACという写真クラブにも所属した。それでも自分の才能の無さは、そうしたことで補うことはできなかった。

美しい風景を見る→感動する→シャッターを押す、といった具合に写真を撮るのだが、その写真に感動が写っていない。自分でも何を撮ろうとしていたのか分からない、どうして撮ったのかすら理解できない、そんな写真がゴミ箱の中に次から次へと捨てられていく。それでも500枚、1000枚という単位で見ると1枚くらいは「オッ」と思えるような写真が撮れていることがある。いくら才能が無くても、時折奇跡のような「オッ」が写っているので写真が止められない。そして新しいフィルム、新しいカメラ、新しいレンズを買いに走る日々が続く。写真という趣味は、まことに厄介なものである。

カメラの周りには360度風景が広がっている。その風景の中から、四角いフレームでどこを切り取るのか? その四角いフレームの中に存在する様々な要素を、どのように気持ちよく配置するのか?  要するに、画面の構成力というか、構図力というか、そこのところに才能がなく、ヘタクソなんだと当時は思っていたし、実際にそのことで四苦八苦していた。丁度その頃に、奥比叡の棚田と出会うこととなった。

構図のお勉強という意味では、下の写真の棚田には本当にお世話になった。春・夏・秋・冬、何十回この場所に立っただろうか?  そして何百枚の写真を捨ててきただろうか?  失敗と反省の繰り返しの中で、ようやくたどり着いた構図がこの写真である。今から20年程前、奥比叡の棚田と出会って3年目の頃だった。この棚田の他にも、柿の木や農家など、気に入る構図の写真ができるまで徹底的に撮らせてもらった風景が数か所あった。

そうした撮影(失敗と反省)を続けていると、いつからとは言えないが、ある頃から突然、カメラを構えたところが自分にとっての気持ちのいい構図になっていた。何度も転びながら練習を続けていると、ある日突然自転車に乗れるようになる。そんな感覚に近いのかもしれない。なるほど構図力というものは自転車と同じで、失敗の繰り返しの中で獲得する平衡感覚であり、パランス感覚なのだと思った。もっとも構図力などといっても、そのレベルはピンからキリまである。神の領域ではないかと思えるような構図力を持った人もいる。私の場合、ようやくキリの立場に辿り着いたといった感じだった。

振り返ればおよそ9年間ほどの長きにわたって、構図に自信が持てず、カメラを構える度にあれこれと悩んでいたことになる。よく写真を続けてこれたものだと思う。もし奥比叡の棚田との出会いがなかったのなら、ずっと前に写真を諦めていたかもしれない。

私には3つの「ふるさと」がある。

一つ目のふるさとは、私の生まれ故郷となった長野県上田市である。私の父親の実家は、長野県の篠ノ井という所にある。上田市は父親の職場のあった所であり、私はここで4才までお世話になっている。しかし残念なことに、ほとんど記憶が残っていない「ふるさと」である。

二つ目は、私の少年期・青年期(4才~22才)を過ごした京都市である。今の私の問題意識や価値観、世界観や人格といったもののすべての原点が、京都で過ごした少年期・青年期にあると思っている。私がどんなことに感動し、何に興味を惹かれてカメラを向けるのかは、その根底にこの少年期・青年期がある。

三つ目のふるさとが、40才の時に出会うこととなった「奥比叡の里」である。私はここで、我流ではあるが「写真」というものについて学ばせてもらった。これまで何十万回シャッターを押してきたのか分からないが、恐らく95%以上がこの地の農村風景であった。僅かではあるが、旅行先の写真、結婚式やお葬式の写真、音楽ライブやミュージカルの舞台写真なども撮らせてもらってきたが、それらは全て「田んぼ写真」の腕を上げるためであった。

 

(以前にも書かせてもらいましたが、文章を書き始めて3時間が経過すると、 一端その文章は中断させていただきます。これはこのホームページを始める時に決めた私の勝手なルールです。私はこのホームページとは全く無縁の別の仕事を本業としています。そうしたルールを設けておかないと、本業との境界がルーズなものになってしまう恐れがあるからです。勝手なルールで申し訳ないのですが、この文章は後日、時間のある時に完結させていただきます。お許しください)

2013/08/11

お詫び

今週の更新は、仕事の都合もあって14日の水曜日とさせていただきます。お詫び申し上げます。

*  写真は上仰木から望む琵琶湖と三上山(近江富士)です

2013/08/04

心冷写真

今年は、例年の太平洋高気圧に加えてチベット高気圧が日本列島の上空に張り出し・・・・・云々と、私にはさっぱり分からないが、やっかいな天気のようだ。先週は、山口や鳥取、島根といった中国地方、新潟などの中越地方の日本海側で観測史上例を見ない集中豪雨が襲った。被害の爪痕は深く、連日緊迫した様子がテレビに映し出されていた。ここ奥比叡の里では、時折雨を交えた曇り日が続いてきた。それでも気温は30℃を超し、何もしなくても身体にベトつくような汗が湿度の高さを物語っていた。

今棚田では、稲の穂が成長しているだけでなく、ヒエなどの雑草も勢いよく伸びて目立つようになっている。これからの収穫までの一月ほど、この雑草取りで一汗も二汗も流さなければならない。茂った稲の根元にまで顔をうずめて一本一本丁寧に刈り取っていく。見ているだけの私の方が熱中症になりそうな作業である。

気象庁によると、8月は酷暑の夏になるそうです。暑い暑い夏に先駆けて、今日の写真は雪景色にしてみました。皆様の心の中の温度を少しでも下げることができれば嬉しく思います。

2013/07/28

暑中御見舞

1988年、アメリカ上院議会の公聴会において地球の温暖化が警告された。それから25年、多くの人々の努力にもかかわらず、平均気温はまだ上昇を続けているようだ。この25年は、私がカメラを持って田んぼを歩いてきた時間とほぼ重なるものである。それが温暖化と関係しているのかどうかは分からないが、殊にこの10年ほどは、何かが違う、どこかがおかしいと感じる天候や事象が多くなってきているように思われる。この季節、この時期にはこんな風景と出会えるだろうという経験値からくる予測がハズれることが多くなっている。季節の規則性やリズムのようなものが崩れてきているのかもしれない。私が子供だった頃の半世紀前には、熱中症や竜巻などというものがニュースになることはほとんどなかった。ゲリラ豪雨などという言葉すらなかった。変わりゆく自然環境と伴に歩んできた農業。これからの20年、この地のお米の種類や病気、害虫などの生態系も大きく変わっていかざるを得ないのかもしれない。

今年は早くに梅雨が明けたが、先週は曇り日が多く、今日も時折雲間から陽射しが差し込むといったスッキリしない夏日である。稲の成長にとっては、少し日照時間が少ないのかもしれない。それでも気温は連日30℃を超し、蒸し暑い。

先週は多くの田んぼで穂が顔を出し、小さな白い花を咲かせ始めた。蝉の鳴き声も谷全体を覆い、うるさいほどである。雲に覆われた空模様を除けば、棚田はすっかり夏の様相である。

まだまだ暑い一夏を越さなければなりません。このホームページを見ていただく皆様、本当にありがとうございます。そして、くれぐれも御身体ご自愛ください。

2013/07/21

お米の赤ちゃん

夏の太陽の直射は容赦がない。夕方田んぼに出てみると、緑の絨毯の彼方に積乱雲が湧き、辺りの雑草や木々もこの暑さの中で少しお疲れ気味の様子である。 

今、青々と茂った稲の茎の中では、お米の赤ちゃんが育っている。人間で言うと、お母さんのお腹の中でスクスクと育っているといったところだろうか。もう少しすると、稲の穂が顔を出し、花を咲かせ、やがて黄色く色づいてくる。そして、あと一月か二月もすると収穫され、私たちの今年と来年のお腹を満たしてくれるようになる。元気に育て! お米の赤ちゃん!!

2013/07/14

土用干し

関西では、先週の月曜日に梅雨明け宣言が出された。その後、金曜日までは猛暑日が続き、熱中症が続出していた。土日は一雨来て、気温も25度前後まで下がり、本当に一息つかせてもらったという感じである。いずれにしても今年は、梅雨入り梅雨明け共に例年より早く、気象庁泣かせだったようだ。

水曜日の夕方棚田に出てみると、目に染み入るような緑が輝いていた。時折谷を吹き抜けていく風に、波打つ稲が美しかった。

先々週あたりから、多くの田んぼで土用干しが行われるようになってきた。田んぼの水を抜き、土を空気に触れさせ乾燥していく作業である。乾燥というよりは、“干す”といった方がぴったりくる。この作業には、① 根腐れを防ぎ、根を深く強く張らせ、稲を倒れにくくする。 ② 土中の有害ガス(硫化水素、メタンガスなど)を抜く。 ③ 肥料分であるチッソの吸収を抑え、過剰分げつを抑制する。 ④ 土を干して固くし、秋の収穫などの作業性を高める。等々といった目的がある。

土用干し(中干し)は、全国の田んぼで行われる作業である。ただこの作業にも、棚田特有の難しさがあるようだ。もう少し乾燥させた方がいいと思っても、ここではそれができないらしい。余り乾燥させ過ぎて大きなひび割れを作ってしまうと、そこから水漏れを起こし、今度は棚田の土手を崩落させてしまうことがあるそうだ。どれほど乾燥させるのかは、田んぼ一枚一枚で環境や条件も異なり、農家の腕の見せ所でもあるようだ。

2013/07/07

深呼吸

梅雨の明けた7月の日中は、うだるように暑い。私の一番苦手な季節である。太陽が西の空に傾き、気温もわずかに下がる頃、田んぼに出掛けることが多くなる。できれば、弱い風でも吹いてくれるとありがたい。それは、昼間の強い直射日光を避けたいというだけではない。この時間帯、この時期特有の棚田の美しさを見せてくれるからである。午後の射光線に照らされた棚田は、光と影の強いコントラスを描き出す。棚田の土手の真っ黒な影、その影の上に広がる輝くような稲の緑、それが棚田の形状を一層印象深く際立たせてくれる。2時間ほど棚田を巡って撮影していると、やがて太陽は奥比叡の山々の彼方へと沈んでいく。その時から風景は一変する。棚田を照らす美しい陽射しは消え、影のない平板な風景に戻っていく。

大抵はこの段階で撮影を止め、夕飯の待つ家路へと急ぐ。しかし時折り、どうしても帰れない時がある。更に何かを撮影したいというわけではない。ただ、心が立ち去り難いだけである。カメラや三脚、すべての機材を畦に投げ出し、草の上に腰を下ろす。汗に濡れた身体が心地よい疲れを感じている。何を考えるわけでもない。頬は通り過ぎる風を感じ、耳が蝉やカエルの鳴き声を聞いている。ねぐらに帰る鳥たち、流れ行く雲、刻々と変わる空の色、それを目が追い続けているだけである。ここに座っていると、すべてのものが愛おしく感じられ、掛け替えのないものに思えてくる。それでもこうした言葉だけでは掬えない気持ちが溢れ出してくる。気が付けば、胸いっぱいの深呼吸をしている自分がいる。大きく、深く・・・・・   辺りが暗闇に包まれてもまだ、そこを離れられない時がある。

今日の写真は、そんな夕暮れ時のものである。心が具象と抽象の間を、リアルと心象の間を行きつ戻りつしている。

 

 


今日は七夕様。すっかり忘れてしまっている。まだ梅雨明けの宣言は出されていないようだ。先週も雨と曇りの日が多かった。すでに棚田では「中干し」が始まっている。おじいちゃんたちに聞くと、この辺りでは「土用干し」と呼ばれることが多いらしい。かつては夏の土用の日を目安に田んぼの水を抜き始めたからだ。今年は7月19日が土用の日に当たるが、近年田植えの時期が早まったこともあって、「中干し」も早く行われるようになってきた。

2013/06/30

一難去って

先々週辺りからようやく梅雨らしくなり、田んぼも恵みの雨をしっかりと蓄えている。稲は盛んに分げつ(株分け)を繰り返し、すでに40~60㎝ほどに育ってきた。もうしばらくすると、田んぼでは「中干し」という作業が始まる。田んぼの水を一旦抜いて土を乾燥させる作業である。土に酸素を供給し根腐れを防ぎたいのと、過剰な分げつを抑える等々のためである。そして、やがて顔を出す稲の穂の赤ちゃんを待つ。

この雨によって、当面の水の心配は遠のいた。反面この2週間は、雨の日が続き、日照時間も短く、気温もそれほど上がらなかった。こうした条件が続くようだと、今度はイモチ病の心配が増えてくる。毎年々々、稲の育つ環境は一様ではない。農業は、自然との格闘である。

日の出とともに緑の棚田は柔らかな光に包まれていく。今日の3枚の写真は、いずれも朝陽の中の田んぼである。一番上のタイトル写真は、ドラマチックな雲間に昇る朝陽。土手の上に顔を出す枝豆の葉っぱが愛らしかった。運良く?昨年の稲架掛けの杭が残され、風情を添えてくれた。この年、この田んぼは減反政策によって休耕田となっていた。

その下の2枚の写真は、恐らく全国の田んぼで誰でもが見ることのできる風景である。稲の葉っぱの茂った田んぼを、姿勢を低くして横から覗き込んでください。きっと小さな生き物たちが、精一杯の生命の輝き見せてくれるはずです。

2013/06/23

巡回

空梅雨から一転、先週は雨の日が続いた。水不足で稲の生育の遅れが目立った田んぼがある中での雨。心待ちにしていた恵みの雨であった。棚田に出てみると、乾燥して土がひび割れてしまった田んぼにも、十分な量の水が溜まっていた(一番最後の写真)。他人様の田んぼながら、何故かホッとしてしまう気持ちが可笑しい。しかしテレビなどを見ていると、土砂崩れなどの被害が出ている地方も多く、心が痛む。毎年思うことながら、雨は、必要な時期に、必要な所に、必要な量だけ降ってくれるということがない。自然は、人間の都合などおかまいなしに無慈悲でもある。

稲が成長し、田んぼの水面を覆い隠すようになってきた。昔ながらの小さな田んぼが寄り集まった棚田は、美しい緑のパッチワーク模様を描き出している。この時期の主な農作業は、巡回と草刈りである。上のタイトル写真の軽トラックも、稲の生育具合や水の量、雑草の伸び具合などを確認に来られたものだ。毎日数十台の軽トラックが棚田の細道を行きつ戻りつ巡っている。 

  下の写真は、丁度今頃の奥比叡の里の点景を拾い集めてみた。

 

 


 

先週のヒビ割れてしまった田んぼにも、恵みの雨がもたらされた。

 

2013/06/16

雨乞い

梅雨入りの宣言がされているにもかかわらず、日本の近辺に梅雨前線が見当たらない。今のところ猛暑日の続く空梅雨である。水が完全に干上がり、土がひび割れてしまった田んぼもいくつか見受けられるようになってきた。雨が欲しい! そんな雨乞いの願いを込めて、今週は雨の日の写真を並べてみることにした。

 

お気づきかも知れないが、上の5枚の写真は田植え後から5月中旬あたりまでに降った雨である。ということは、梅雨入り前の雨ということになる。今回、雨の写真を探していたら、意外にもこの時期のものが多かったのに驚いた。今年は、この5月中の雨にも恵まれなかった。

最初と最後の写真は、田んぼに落ちてきた雨を高速シャッターで写し止めたもの。肉眼では分かりづらいが、一端水面に落ちた雨がその衝撃で水柱を立て、その先端から水玉が飛び出してきているところである。強い雨は、じっと見ていると激しい爆撃のようである。

2枚目の写真は、霧雨の中の竹林が墨絵のように静かに佇んでいた。

3枚目の写真は、春の優しい雨の中でカラスが不安げに鳴いていた。この時期のカラスは、今春巣立ったばかりの若鳥が多い。仲間からはぐれてしまったのかもしれない。

4枚目の写真は、一見虹の出た穏やかな風景である。ところが、農具小屋の屋根が吹き飛んで舞い上がるほどの強風と雨の中で撮ったものである。春の嵐である。身体まで吹き飛ばされそうになりながら、カメラと三脚にしがみついてシャッターを切った。

今日の午後、田んぼでは、少なくなった水をどのように分けるのか?  真剣に話し合われていた。参考までに、今現在のひび割れてきた田んぼも見ていただきます。この写真を見る限り、稲の成長も少し遅れているように思われる。

 

2013/06/09

強欲代官

油に汚れ、所々穴の開いた軍手。それが田んぼの中に沈んでいた。どんな仕事をすればこんな穴が開いてしまうのか?  そんな疑問がこの写真を撮らせた。時期的に見て、恐らく棚田の土手や畦の草刈りではないのか? などと考えながらカメラを構えていると、小さな生き物が軍手に近づいてくるのが見えた。急遽、その小さな生き物にピントを合わせてシャッターを切った。

この写真は15年以上も前のものである。当時この水生昆虫の名前が分からず、自宅に帰って図鑑で調べてみた。ゲンゴロウであった。もう少し厳密にいうと、シマゲンゴロウという種だそうだ。「なんだ、ゲンゴロウの仲間だったのか」と少し拍子抜けした。というのは、私の子供の頃には都会の工事現場の水溜りにでもいたようなポピュラーな水生昆虫だったからである。そのポピュラーだった昆虫が、今、準絶滅危惧種に指定されている。

漢字で書けば「源五郎」、どう見ても人の名前である。落語に出てくるどこかユーモラスな人物をイメージした。それが不思議でネットで調べてみることにした。やはりネットにはあるものである。「杜の日記」というブログに面白いことが書かれていた。全文引用させていただくことにした。

『ゲンゴロウの語源については二説がある。一つは民話。むかし、貧しいが親孝行な少年がいた。自分は木の実を食べながら病気の母を看病していた。ある日、木の精霊が少年を憐れみ打ち出の木槌をくれる。それは人を助けるために振ればいくらでも金を産むが、欲のために振れば体がだんだん小さくなるという不思議な木槌だった。少年はそれで小判を振り出し、高価な薬を買って親の病気を治した。この噂が評判になると強欲な代官の源五郎が木槌を取り上げてしまった。ある日、代官の姿が見えなくなった。怪しんだ村人が代官屋敷に行ってみると小判の山の下から一匹の虫が這い出してきた。我欲のために木槌を使った代官は体がだんだん小さくなり、遂に虫になってしまったのだ。それ以来、村人はこの虫を源五郎と呼ぶようになったとさ。

もう一つ、この虫が琵琶湖に棲む源五郎鮒の幼魚を好んで食べるからだという説もある。では源五郎鮒の語源は? ・・・これも民話が謂れとなっている。源五郎という男が天狗に貰った豆を蒔くと、天まで届く大木になる。男はそれを登って天に行き、雷と出合って雨を降らせる手伝いなどをする。ところが雨を降らせ過ぎてできた琵琶湖に落ちて鮒に変身してしまう。これが源五郎鮒というわけ 』

源五郎さんは人のいいおじいちゃんかと思っていたら、なんと強欲代官だったとは思いもしなかった。ひょっとすると、彼らの体型が小判を想像させたのかもしれない。いずれにしてもこの地球上で、強欲な生き物は人間だけだと思っていた。人間のような財産や所有というもののない昆虫たちの世界に強欲はない。彼らは、生き、そして子孫を残すために必要なものだけを求めている。実に慎ましやかな存在である。だからどうしてこの虫が強欲代官と結びついたのか?  少し申し訳なくもあり、可哀そうでもある。

土曜日の夕方、稲の分げつ(茎の増殖)の進み具合を見に行くと、「守り人の会」主催の自然観察会が行われていた。虫取り網で田んぼの水と泥をすくう度に、棚田のあちこちで子どもたちの歓声が響いていた。わずかな時間の間に多くの水生昆虫が小さな水槽の中で泳ぎ始めた。ホウネンエビやザリガニ、トンボのヤゴやオタマジャクシ、ドジョウやこのシマゲンゴロウも元気に泳いでいた。あっという間に20種類ほどの生き物たちが見つかった。改めて田んぼは生命のゆりかごだと実感させられた。夜はホタルの観賞会。気温は17℃、少し寒かったのか、あるいは時期的にずれていたのか、数は多くなかった。それでも、ホタルの小さな灯が川面にも映り、点滅する光跡をいつまでも追いかけていた。

 

上の写真は、オタマジャクシが気持ちよさそう?かどうかは分からないが、日射しを浴びた水田の中を泳いでいるところ。下の写真はパニック写真である。田んぼの水が抜けていくと、所々のくぼみに水が残される。この写真は、ザリガニやオタマジャクシ、巻貝のようなものも、わずかに残された水を求めて必死になって集まってきているところである。普段のザリガニとオタマジャクシの間に「食べる・食べられる」の関係があるのか知らないが、この時ばかりはそんなことも言っておられない様子で、一つの水溜りに仲良く?緊急避難となっている。1時間ほどこの様子を眺めていたが、ザリガニはオタマジャクシを食べようとするそぶりを一度も見せなかった。今この写真のように、水が抜けて土が顔を出している田んぼが増えてきている。水田の中の小さな生き物にとっては、しばらく受難の時が続きそうである。棚田  滋賀県  仰木  棚田米  里山

「平尾  里山・棚田守り人の会」主催の自然やホタルの観察会の詳細については、下記をご参照ください。

http://oginosato.jp/moribitonokai/ownernissi/2013/06/201368-1.html

https://www.facebook.com/pages/%E5%B9%B3%E5%B0%BE-%E9%87%8C%E5%B1%B1%E6%A3%9A%E7%94%B0%E5%AE%88%E3%82%8A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BC%9A/413397602055631