奥比叡の里より「棚田日詩」 | 未分類

2021/05/16

毎年、ご夫婦での田植え作業。

田植え日和

正に五月晴れ。爽やかな田植え日和である。この写真を撮らせていただいたのは2008年5月13日。今から13年前のことになる。

今日は2021年5月16日。近畿地方に梅雨入り宣言が出された。観測史上最も早い梅雨入りだそうだ。そう言えば、5月に入ってから気持ち良く晴れたという日が少なかったように思う。今日も雲は低く垂れこめ、昨夜来からの雨が降っていた。

13年前の天気と今日の天気というピンポイントの事象を比べて温暖化が進んだなどと言うつもりはない。ただこの10年ほど、爽やかな5月という季節の中に梅雨という季節が徐々に浸食してきているように思えてならない。

2021/04/18

4月の風

早い田植えは、ゴールデンウィークの少し前あたりから始まる。4月の棚田は、田起し・畦塗り・代掻きといった田植えに向けた最後の準備の季節である。農道横の細長い田んぼも、しばらくすると水が引き込まれ、そして畦塗り・代掻きといった作業を待っているところだ。

緑に包まれた棚田の土手。そこに無数の花を咲かせるタンポポ。柿の木は新芽を吹かせ、シラサギが農具小屋をかすめて飛んでいく。青い空、白い雲。この谷を、春の風が吹き抜けていく。

*  田起し   *   畦塗り   *   代掻き①   *   代掻き②

2021/03/24

獣の眼

この小さな写真では分かりにくいが、画面中央よりやや右手に薄桃色をした塊が見える。これは棚田の中にある小さな桜の木が開花したところである。この絵は、竹や杉や檜が混在している雑木林の中から棚田を覗き込んだものである。手入れの行き届かない林は、昼間でもうっそうとして暗い。ひょっとしてイノシシやシカやタヌキやキツネなどの獣たちは、昼間はこのような雑木林などに潜み、外の世界を伺っているのかも知れない。私も獣の眼になって、息を潜めて静かにシャッターを切った。


 今森光彦さんの写真集やNHKのドキュメンタリーで有名になった「棚田の一本桜」は、今日現在2~3分咲きといったところ。天気にもよるが、今週の土・日あたりが最高の見頃かもしれない。この30年間「一本桜」を見続けてきたが、今年の開花は最も早いように思われる。温暖化というフレーズが頭の片隅にあるせいか、桜の開花を素直に喜べない何かがある。

今年はコロナ禍の花見。皆さま、ご用心!ご用心!

2021/03/14

80,000 hits !

気が付かなかったのですが、2月下旬辺りに80,000回を越える閲覧をいただいていたようです。心から御礼申し上げます。

Japan * United States * China * Ukraine * Russian Federation * United Kingdom * France * Germany * Canada * Taiwan * India * Netherlands * Romania * Italy *Korea, Republic of * Sweden * Brazil * Vietnam * Poland * Israel * Hong Kong * Austria * Turkey * その他

これらの国名は、これまで「棚田日詩」に訪問していただいた方々の主だった国々を抜き書きしたものです。


    「棚田日詩」の閲覧者を見ると、二つの傾向があるようです。

一つは、閲覧者の60%ほどが外国からの訪問者であるということです。この傾向は「棚田日詩」を始めた頃から余り変わっていないようです。外国語はさっぱりダメ。外国の友人はほとんどなく、宣伝も全くしていません。しかも、検索サイトでも探し出すことができないほど奥深くに隠れてしまっているローカルサイトです。この傾向に関しては、インターネットの不思議というより他ありません。

もう一つの傾向は、毎回の更新における閲覧者数がほとんど変わらないということです。この数年、1回の更新につき800~1000人くらいの方々に閲覧していただいているようです。恐らく、ほとんど固定した方々に見ていただいているのではないかと思われます。

「棚田日詩」は、当初2年で止めるつもりで始めました。数多くの国々の、そして見知らぬ多くの人々の閲覧に励まされて、足掛け10年も続けることができました。皆様には感謝以外ありません。

もうしばらく、いつもながらのボチボチと、そして淡々と日詩を綴っていきたいと思っています。これからも宜しくお願い申し上げます。

2021/02/24

田んぼは何もないところ?

先般、コロナ禍における聖火リレーの在り方について「人気タレントは人が集まらないところ、例えば田んぼを走るしかないんじゃないか」といった東京五輪パラリンピック大会組織委員会会長(当時)の発言がマスコミで取り上げられていた。この発言に対して、あるタレントさんは「農家の人たちにも失礼」といった批判をされていた。ということもあってか、「基本的には密を避けてほしい」「何もないところであれば田んぼで走るしかないね」という釈明会見が行われることとなった。

ところで、田んぼは本当に「何もないところ」なのだろうか? 言うまでもなく田んぼは、お米を作る所である。お米は古くから日本人の主食であり、日本人の身体を作り、日本人の働くエネルギーを生み出してきた食べ物である。日本の歴史も、日本の社会も、日本の文化も、そして日本人としての意識も、更には日本の自然環境も、コメ作り、農耕との関係なしには存在してこれなかったのではないのだろうか?  と思っている。

そうした田んぼや農村や田舎といった所に対する愛情や敬意、今風に言えばリスペクトといったものが、先の会長発言には少し足りなかったように思われる。残念なことである。

明治以後の日本は、工業・商業を中心とした国造りを目指してきた。維新から数えてわずか40年ほどで工業は農業の生産高を超えるようになった。20世紀初頭のことである。現在から逆算すればほんの110年ほど前までは日本は農業国であったともいえる。明治から現代まで、都市は農村の労働力を吸収しつつ巨大化してきた。反対に農村は、殊に戦後の農地改革や農業の機械化、兼業化等々によって農業人口は急速に減少し、過疎化してきた村々も多い。

都市の巨大化、農村の過疎化。この一対の現象の中にあって、巨大都市の人々の食べるを支えてきたのは農村である。それは、今も昔も変わらない。

恐らく日本人の中にある農業や農村、田舎といった所に対する軽視、時に蔑視は、日本の近代化、殊に工業や商業を中心にした国づくりと無関係ではないのではないだろうか。

先の田んぼや農村に対する会長発言も、それほど深く考えられてのものではないのではないか?  特別に意識することもなく、何の疑問も持たれずについつい口をついて出てしまったのではないのだろうか?  殊更意識せずに出てくる心理。私は、こうした心理は社会や歴史の中のかなり深い所にその根があるのではないかと思っている。

私は、会長発言を他人事のように「けしからん!」と言うつもりはない。恐らく私も会長とあまり変わらない意識で人生を積み重ねてきたのではなかったのか。殊に奥比叡の棚田と出会うまでは、農村軽視、無視、蔑視も甚だしかった。

田んぼや農業、農村や田舎といった所が私たち日本人にとってどのような意義のある所なのか? 殊に都会に住む多くの人々とどのような繋がりをもって存在してきたのか?  会長発言が、そんなことを考える切っ掛けになって欲しいと願っている。

私は、田んぼを何もないところとしてではなく、日本人の命を支え、日本の自然環境や文化を生み出し、日本そのものを作り出してきた所として、そしてそうした考えをバックボーンとして「棚田日詩」を綴ってきたつもりである。また私の農業観の変化なども書かせていただいてきた。(「はじめまして」「農業音痴の棚田日詩」 他をご参照ください)

田んぼは、本当に何もない所ですか?

2021/01/01

謹賀新年

2021年、明けましておめでとうございます。

今年は、奥比叡の棚田の写真を撮らせてもらうようになって31年、「棚田日詩」を始めて10年目という年になります。だからと言って、私の撮影姿勢が変わるわけでもありません。これまで通り、ボチボチ・コツコツ・淡々と棚田と向かい合っていくつもりです。そして出来うるなら、棚田からのそよ風を皆様の心の中にお届けすることができれば嬉しく思います。

年頭に当たって、私がどんな所で撮影しているのか?  少しご紹介しておこうと思います。そのことを説明するのに今日の写真は最適なものだと思っています。

写真をよく見てください。分かりにくいかも知れませんが、この写真はV字型の谷間の両側に棚田が積み重なっている風景を写したものです。まずV字型の谷を頭の中で思い描いてください。V字の一番底と棚田の一番上にある田んぼの高低差は40ⅿほどになります。10階建てのビルの高低差ほどになるのでしょうか。V字の手前の方にある一番上の田んぼと、向こう側の一番遠くにある田んぼとの距離、すなわちこの谷の幅は600ⅿほどになります。ついでに言いますと、V字の谷の一番底には、この地の農業にとって死活的に重要な役割を果たしている大倉川という小さな川が流れています。そこが標高で言えば140ⅿほどになります。もっとも大倉川は、この写真の真ん中あたりにある竹林や木立の連なりよりも更に下にあるために、隠れてしまって見ることができません。

さて、この写真の左手の方へ2㎞ほど棚田の中を登って行ってみましょう。標高で言えば300ⅿほどの高さにまで登ることになります。谷幅は徐々に狭くなり、30ⅿほどになってしまいます。棚田はこの辺りでなくなります。そこから上は奥比叡の山の中になり、林業が営まれる空間になります。

今度は、この写真の右手の方へ行ってみましょう。実はこの写真の右手から田んぼの形態は大きく変わってきます。十数年前に圃場整備が終わり、大きく四角い田んぼの棚田に生まれ変わりました。その棚田の中を2㎞ほど下っていくと、堅田の町の住宅街と接するようになります。この辺りの標高は120ⅿほどです。少し付け加えますと、堅田の町を更に2㎞ほど下っていくと琵琶湖の湖岸に辿り着きます。

そしてこの風景を特徴づけるもう一つの主役、比良山がどっしりと聳え、棚田を見下ろしています。といったところが今日の写真であり、現在の私の主要な撮影地となっている所です。ややこしいですが、少しイメージしていただけたでしょうか?

 

「奥比叡の田園地帯(南の坂本から北の伊香立辺りまで)には七つの大きな谷が刻まれている」と、かつておじいさんから聞かされたことがあります。私が棚田写真を撮り始めた1990年頃は、その全ての谷間に様々な形をした昔ながらの田んぼがびっしりと積み重ねられていました。その範囲は、東西約5㎞×南北約10㎞ほどという広大なものでした。

それから10年~15年、徐々に圃場整備が進み、昔ながらの小さな田んぼは四角く大きな田んぼに生まれ変わってきました。その圃場整備によって、田んぼには大きな農機具が入るようになり、省力化・生産性の向上・労働力の高齢化といった課題にも一定の進展があったようです。

今、昔ながらの棚田の面影を残しているのは、唯一この写真の谷間だけとなってしまいました。

今日の写真は、私にとっては原点ともいうべき風景が写っています。私が今「棚田日詩」の文章を書いているのも、棚田の中で写真を撮り続けているのも、全てこの風景との出会いが出発点となっています。1990年、偶然この場所に迷い込んだ時、「スゲェ! スゲェ!!」という言葉が無意識に口から飛び出していました。京都市という都会の中心街で育った私にとって、全く未知の、初めて見る風景との出会いに「感動」という言葉を超える感情が溢れていました。カルチャーショックだったのかもしれません。なぜかこの時、この農村地域の写真をライフワークとして撮り続けていこうと心に決めていました。その時私は40歳。それから31年、振り返ってみれば奥比叡の農業環境は激変の時代だったようです。

新年に当たって、この棚田の風景が持つ私にとっての意味を、そして奥比叡の農村の抱える現代的課題を、今一度心に問い掛けてみるのも悪くないように思います。

30年前、私はこの棚田の風景をどのように考えていたのか?  その出発点となる思いを書いた文章が「棚田日詩」にも綴られています。そのリンクを下に貼り付けておきます。

農業音痴の棚田日詩            里山について

これらの文章を読み返してみて、基本的には今もその思いは変わっていません。そしてその思いが、今も私の心の奥底を熱くしているようです。

コロナ禍のお正月。皆様いかがお過ごしでしょうか?   今年は何よりも皆様のご健康を、そしてご多幸をお祈り申し上げます。

2020/12/20

感謝!!

2012年5月に始めた「棚田日詩」も9年目を終えようとしています。

今年の年末は、コロナのせいで「巣ごもり」状態にある方々も多くおられることと思います。もちろん、私にできることなど何もありません。ただ棚田での写真を見ていただき、つかの間の気分転換でもしていただけるのなら・・・・という思いも込めてこの一年間綴ってきました。来年はコロナ禍に打ち勝ち、希望の抱ける年でありますことを心から願っています。

2020年最後に当たって、「棚田日詩」を閲覧していただいた全ての皆様に感謝と御礼を申し上げます。こんなにも多くの方々に見ていただくことがなかったのなら、遥か以前にこのホームページは終わっていたと思います。本当にありがとうございました!!

2020/11/22

山の秋、里の秋

上の写真は、裏山の林道で撮ったものである。林道の片隅に吹き寄せられる落ち葉の絨毯は、私の大好きな被写体の一つである。この落ち葉の絨毯は、辺りの植生によって大きくその表情を変える。カエデ類などを中心とした赤や黄色の鮮やかな絨毯もあれば、ヒノキなどの針葉樹の渋めの絨毯もある。もちろん広葉樹と針葉樹の入り混じった絨毯もある。それぞれに面白く、美しい。

今日の写真の落ち葉たちは、細い林道を走る軽トラックに踏みしめられ、少し傷付き、彩度も低くなってきている。周囲にはもっと美しい落ち葉たちが重なっていたのだが、この日はなぜか車に踏みしめられた落ち葉に心を惹かれた。

 

かつてここは柿の産地であった。隣村には琵琶湖岸の漁師町(堅田)があり、そこで大量の柿渋を必要としたからだ。かつての綿や麻でできた投網は、何度か水中に投げ込むと網が開かなくなったと聞く。その網を柿渋に浸けて再び開くようにして漁を行ったという。ところがナイロンなどの柿渋を必要としない投網が普及し始めると、徐々にこの地の柿の木も姿を消していったようだ。

今は産地と呼べるほどの多くの柿の木はないが、棚田の所々に晩秋の光に包まれた朱い実が輝いている。それが下の写真である。

上の写真は、下の写真よりも標高にして400~500mほど高い所で撮っている。こんなわずかな高低差でも、心なしか裏山の風景の方が冬の訪れが早いように感じられる。

2020/10/25

霜降

昔の人々の季節の基準となっていた二十四節気によると、今は「霜降(そうこう)」という時期にあたるそうだ。確かにこの数日、朝の気温は一桁台に落ち、少し暖房が恋しくなってきた。足元の雑草たちも朝露や霜に彩られ輝き始めている。霜が降りると書いて「霜降」。言い得て妙である。


   これから冬へと向かう棚田の晩秋。私の大好きな晩秋を胸いっぱいに吸い込んで、あぜ道をゆっくりと歩いていきたいと思う。

2020/09/23

棚田の初秋

盆を過ぎた頃からポツポツと稲刈りが始まり、9月の中頃になるとほとんどの田んぼで稲刈りが終っている。まばゆいばかりの黄金の棚田は、この一月ほどの間に今日の写真のような少し淋し気な風景に変わっていく。一層の秋の深まりを予感させる風景になってきた。

この30年間、私の心の中にある季節の移ろいは、いつも田んぼの風景の移ろいと伴にあった。

2020/08/23

残暑御見舞申し上げます

コロナ禍の夏。この辺りでも盆の里帰りは自粛するムードが強い。例年とは違った静かな墓参りになっているようだ。農家の縁側から聞こえてくる風鈴の音色が、どこか淋しげでもある。

それでも棚田は黄色く色づき、既に稲刈りの終った田んぼも見受けられる。今年はコロナの感染のみならず、まだまだ熱中症の心配もしなければならない日が続きそうである。

皆さま、くれぐれも御身大切に!!

2020/07/19

梅雨の中の暑中お見舞い

2日続きの長雨の後、つかの間の晴れ間を見ることができた。農道の水溜りに映る青空は、秋のような不思議な雲を浮かべていた。

今年は長い長い梅雨になりそうだ。雨と曇りの日が8月まで続きそうな気配である。稲にとっての日照不足が心配だ。

7月は、日本列島の広い範囲で豪雨災害が発生している。河川の氾濫、山間部の土砂崩れ、しかもコロナ禍の中でのことである。家や車が流され、土砂と泥水にのみ込まれて、多くの方々が犠牲になられた。テレビに映し出される恐ろしい映像に、しばし言葉を失う。

これからが夏本番。被災された方々、ボランティアで復興に携わられる方々、くれぐれもお身体、大切に!!

2020/06/24

6月の棚田

5月の中頃から、膝が少し痛くなっていた。6月に入る頃には階段や坂道の昇り降りが辛く、田んぼに出ることもなくなった。今日は久しぶりの棚田。わずか一月ほど見ない間に、緑一面の田んぼに変貌していた。それが朝陽に輝いて美しい。この小さな写真では分かりづらいが、遠くの農道に軽トラックが来るのを待ってシャッターを切った。

4時20分ころ、朝陽の出る時間である。まだ薄暗い棚田の中で西村さんの軽トラックと出会う。今現在の稲の育ち具合を聞いてみた。「これからどうなるか分からんけど、今のところ順調!」とのこと。何故かホッとした気持ちで、棚田にカメラを向けた。

2020/05/24

ボチボチと9年目

奥比叡の棚田と初めて出会ったのは、今から31年前。大きな谷間に積み重ねられた棚田を目の前にして、「スゲェ!スゲェ!」と心が激しく震えたのを覚えている。当時の奥比叡の棚田に対する私の気持ちや考え方などは「農業音痴の棚田日詩」にも書かせていただいた。あの時の感動は、その後の私の人生と伴にあった。今も休日になると、カメラ片手に棚田を彷徨うことが日課となっている。まだまだ奥比叡の棚田への恋心が醒めないようだ。

 

2012年5月、それまで22年間撮り溜めてあった写真を使って、ホームページ「棚田日詩」を始めることとなった。その「棚田日詩」も、今回で9年目に入る。31年に及ぶの棚田とのお付き合いも、このホームページの9年間も、淡々・コツコツ・ボチボチということを信条に進めてきた。今しばらく、私のボチボチにお付き合いいただければ嬉しく思います。

2020/04/08

70,000 hits

2012年5月から始めた「棚田日詩」は、今回で8年目最後の更新となります。同時に70,000回の閲覧をいただくことができましたこと、全ての皆様に感謝と御礼を申し上げます!!

 

今世界中の人々が新型コロナウィルスの脅威と戦っている。ここ奥比叡の棚田では、田起し、畦の補修、水入れ等々と「田植え」の準備に忙しい。一見のどかに見える風景ではあるが、これも感染症との戦いを支えていく大切な営みである。