奥比叡の里より「棚田日詩」 | DIARY

2012/11/21

奥比叡、山の秋

 この季節になると、毎年数回は奥比叡の山の中に入る。雑木の紅葉が美しいからだ。とはいえ、東北などに見られる全山紅葉といったスゴイものではない。奥比叡の山々(仰木)を遠くから眺めると、中腹辺りまでは雑木林が比較的多くある。中腹から山頂にかけては、ほとんどがスギやヒノキの黒い緑の針葉樹林となる。その針葉樹林の中に穴が空いたように、所々に雑木林が広がっている。雑木林の紅葉は、クヌギやコナラが多いせいか、遠くから見ると地味~な茶色一色のように見える。ところが山に入って間近に見てみると、写真のようになかなか味わい深く、美しい。虫などにかじられた葉っぱが多くあるのも、何だか嬉しくなってくる。

かつて雑木林は、柴刈り場でもあった。おとぎ話の桃太郎に出てくる「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」といった柴刈りである。決して、芝刈りではない?! この昔話に語られている“山”は、文字通りの山ではなく、関東あたりでは平野部の雑木林でも山と呼ばれていたらしい。それはともかく、雑木の枯れ枝は、ガスや電気が完備されるまでの貴重なエネルギー源であった。山裾に広がる雑木林だけでは村の需要が充たせなくなり、徐々に山の上の方の雑木林も柴刈り場となり、その集積場となっていった。その名残が今年もまた、私を美しく迎えてくれている。

 

 

 

本業はこれから、お歳暮商戦の真っ只中。恐らく文章を書く時間がないのではないかと思っています。写真だけのDiaryになるかもしれません。ご了承ください。

2012/11/18

大倉川上流にて

お詫び

 本業の仕事がタイトなため、今週は水曜日に更新させていただきます。

 

 

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祈り

2012/11/11

里の秋色

 

今週は、本業の年末に向けた仕事が忙しく、文章の方はお休みさせていただきます。奥比叡の里の秋色をお楽しみください。

6枚の写真のちょっとコメント。一番上の写真から

①  どんな強い力が加えられたのか? 太い幹が真っ二つに裂かれた柿の木のシルエット    ②  紅葉を映した溜め池に漂う落ち葉    ③  どこにでもある秋の棚田の雑草たち    ④  小さな小鳥(シジュウカラ?)と柿の木のイルミネーション    ⑤  ちょっと一服、スコップが主役。山裾の雑木林が秋色に染まっていた    ⑥  山の向こうに落ちる夕焼け雲(イノシシがあわてて山陰に逃げ込むように見えた)

2012/11/04

乾田・湿田

稲刈りが終わっても仰木の棚田は忙しい。田んぼの「乾燥」という一仕事が残っている。山の斜面に築かれたかつての棚田は、自然に地下水が浸み出し、一年中水の抜けない湿田がそこかしこにあった。「子供の頃は田んぼに厚い氷が張って、その上を滑って遊んだもんや」とおじいちゃんから聞かされたことがある。春先にはその氷が解け、膝のあたりまで沈み込んでしまう泥の田んぼであった。手作業で田植えをしていた頃は、その湿田のままでも良かった。しかし泥深い田んぼでは、機械を入れることが難しい。湿田での重い泥田を耕す農作業は、文字通り「骨の折れる」仕事であり、収量も低かった。土壌改良や水管理のしやすい乾田に比べてお米の質も悪かったと聞く。戦後のわが国では、この乾田化が大規模に行われた。この仰木でも、昭和30年代の後半頃から乾田化が進められた。

乾田となった今でも、放っておくと自然に水が浸み出してくる。田んぼの周囲に深い溝を掘り、田んぼの中心部にまで水が浸潤しないようにする。秋耕し、畝を立てる。棚田の土手の草刈りをこまめに行う。等々、乾燥のための農作業が今日も行われていた。

 

 

ありがとうございました ————————————————————————————————————-

 ホームページ開設から、半年を迎えることができました。毎週日曜日の更新は、正直、試行錯誤、四苦八苦といったところです。作業はできるだけ、仕事の休日である日曜日に決めています。リアルタイムな奥比叡をお伝えしたいと思い、1~3時間が写真撮り。1時間が写真の選択とレタッチ。更に2~3時間が文章といったルーチンになっています。文章が途中で終わっている日は、文章を書くのが3時間を超えてしまったからです。別の機会に続きを書かせていただこうと思っています。いずれにしても、写真も文章も、日曜日になってからの出たとこ勝負です。まず季節にあった写真を決め、その写真を30分ほど眺めて、文章を書き始めます。統一的なテーマに沿って、何かを書いているわけではありません。散漫なDiaryになっていると思います。しかしヘタクソな文章、散漫なテーマの中にも「奥比叡の里」への愛情はその底流にあったと思っています。

この半年間、お付き合いいただきありがとうございました。これからも時々覗いていただければ、それが一番の励みになります。宜しくお願い申し上げます。

 

2012/10/28

棚田の柿の木

「昔は、この谷が 朱色(あかく)染まるほど柿の木がいっぱいあったんや」とおじいちゃんから聞かされたことがある。想像するだけでワクワクする風景である。しかし今は、棚田の土手に点々と残されるだけとなっている。棚田にある柿の木は、すべてと言ってもいいほど渋柿である。実が朱色に色づき始めた頃は、まだ鳥たちも食べない。相当、渋いのだろう。しかしそれが熟してくると、カラスたちによってあっという間に丸裸にされてしまう。それでも正月を過ぎてなお渋いのか、雪景色の中に朱色の実をつけた柿の木が毎年何本か残されている。それもやがては、実が熟して崩れるほどになってくると、最後にメジロたちの格好の栄養となる。

上の写真を撮って20年ほどになる。棚田の柿の木は、毎年多くの実をつけるわけではない。数年に一度たわわに実をつけるという周期がある。この写真は、一番出来の良い年に巡り合ったようだ。

 

かつて渋柿は、村にとってなくてはならないものだった。渋柿は干し柿という保存食になるだけではない。その実から搾汁され醗酵させられた柿渋(かきしぶ)が、生活の隅々で役立てられた。タンニンを多く含む柿渋は、防虫・防水・防腐・抗菌という機能を持つ。家の柱や板壁などに防虫・防腐剤として塗る。和紙に染み込ませ、現代のラップ的な用途に使う。それが団扇や和傘の張り紙にもなる。布を染める染料としても使われた。漢方薬にもなる。かつて柿渋は、各農家ごとに作られていたようだ。また、琵琶湖に面した近隣の堅田という漁村にとっても、この地の柿渋は必需品だった。一昔前の木綿や麻で編まれた漁網の防腐剤として役立った。棚田を彩る柿の木。それは、この地域の生活の必要から生み出され、長くその生活を支えてきた風景でもあった。その名残が今、棚田のあちこちで宝石のように輝いている。

 

2012/10/21

仲秋の月

仲秋の名月。読んで字のごとく、秋の真ん中の名月である。但しこれは、太陰暦での話。太陰暦での秋は、7・8・9月。その真ん中の8月の名月ということになる。しかし上の写真は、太陽暦における仲秋(10月)の名月である。馬蹄形の棚田の隣にある駐車場から、昇ってくる月を望遠で狙ってみた。青い山影は、琵琶湖の対岸にある近江八幡あたりの山々である。足元の草むらではコオロギたちが切なげに鳴いていた。田んぼの中で見る仲秋の名月は、心を一層秋にしていく。

 

9月30日の台風の時、強風にあおられて三脚に据えたカメラが倒されてしまった。コンクリートと激突し、レンズとともに重症となった。先週、そのカメラがようやく戻ってきた。今日は試し撮り。田んぼに出てみると既に彼岸花の姿はなく、ススキが秋の夕陽を受けて輝いていた。そんな中、来年の米作りの準備がそこかしこで始まっている。秋耕された畝(うね)の凸凹が、田んぼに何十本もの光と影の美しい縞模様を描き出していた。

 

2012/10/14

稲わら

 土壁の土蔵(米蔵)。この味わいのある建造物も少しずつ少なくなってきている。傷みの激しくなった土蔵は、最近では取り壊されるか、蔵全体が新建材で覆われることが多くなってきた。

こうした土壁を見ると、50年前の子供の頃を懐かしく思い出す。私は京都市の大丸の近所で少年期を過ごしていた。今でこそコンクリートのビルがほとんどだが、当時はまだ町屋も多く、こうした土壁を作る左官仕事がしばしばあった。少しずつ水を入れながら粘土状の土塊と細かく切られた稲わらを練っていくのを、飽きもせずに眺めていたのを覚えている。その時は知る由もなかったが、土壁の強度を増すために「稲わら」は無くてはならないものだったらしい。

上の土蔵と下の田園風景は、収穫したお米の保管場所という以外に、土壁に練り込まれた「稲わら」というキーワードでも結びついている。長い間自給自足的な経済の下にあった農村風景は、すべからくこのようにして成り立っている。

 

(上の3枚の写真は、9月8日棚田オーナーたちによって刈り取られた田んぼの今です)

 

 

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仰木自然文化庭園構想 八王寺組/稲刈り・稲架掛け・脱穀・縄ぬい

10月21日(日)、上仰木の八王寺地区の棚田で稲刈りや脱穀などが行われます。この八王寺の棚田は、琵琶湖が一望できる素晴らしいロケーションの中にあります。下の写真は上仰木の棚田です。

 

詳しくは、「仰木自然文化庭園構想 八王寺組」のHPをご覧ください

http://kamiogi.jp/?cat=32

http://blog.goo.ne.jp/kamiogi

2012/10/07

散歩どき

この辺りの日没は早い。村の背後に奥比叡の山々が控えているからだ。今頃の季節は、夕方の5時前後に太陽が山の向こうへと沈んでいく。上の写真は、太陽が山の稜線に消えていく直前、この日最後の日射しが棚田の土手を照らしているところだ。この後2~3分で、村からも棚田からも日射しは消え、山の影に覆われる。この時間帯、にわかにこの道を行きかう人々が増えてくる。散歩の時間である。杖をついて歩くおばあちゃん、犬と散歩をするお母さん。夕食の下ごしらえが終わったのだろう。行きかう人々は、あちこちで短い立ち話をしている。小さな情報交換、ミニ井戸端会議といったところだ。家族団欒の夕食までの一時間ほど、こうした時間がこの道の上を流れていく。心と身体のリフレッシュという以上に、奥比叡の村々にとっても、人と人をつなぐ大切な時間のように思えてきた。

 

先週の台風とはうって変わって、今日は一日中爽やかな秋日和だった。あまりの天気の良さに誘われて、午後から田んぼに出てみることにした。上の写真は、今日の棚田巡りの最終カットである。

先々週あたりから棚田の土手に顔を出し始めた彼岸花やススキが、秋の風に揺れていた。辻が下には、紅白の花を咲かせた美しいソバ畑が広がり、来年の生命を繋ぐため、蝶や蜂などの昆虫が時間を惜しむかのようにやってくる。時折遠くの方で、勇壮な仰木太鼓が響いていた。そうだ、今日は村の運動会だったのだ。こんな日和に棚田巡りをしていると、心が青空になっていく。

 



里山みらいじゅく 2012 ——————————————

人の営みとともにある生命(いのち)ある自然、里山。その「里山」という言葉が今日のように一般的に使われるようになったのは、写真家今森光彦さんの活動と結びついています。彼はその「里山」を映像化するにあたって、仰木や伊香立、高島やマキノといった湖西の農村地帯を舞台としてきました。今森さんとともに仰木の里山を歩き、里山の秘密や不思議をお聞きください。今回は、上仰木の田んぼを歩かれるそうです。午後からは絵本作家の「はたこうしろう」さんの講演とお二人のトークショーがあります。里山や棚田に、少しでも関心のある方は、ぜひ、ぜひ、ぜひ、参加してみてください。自然に対する見方が変わるかもしれません。

 

と   き:10月14日(日)   9:30~

と こ ろ:大津市仰木   /   太鼓会館

詳しくは、今森光彦さんのホームページでご確認ください

http://www.imamori-world.jp/ima-event/satoyama/satoyama_2012.html

 

 

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仰木自然文化庭園構想 八王寺組/稲刈り・稲架掛け・脱穀・縄ぬい

10月21日(日)、上仰木の八王寺地区の棚田で稲刈りや脱穀などが行われます。この八王寺の棚田は、琵琶湖が一望できる素晴らしいロケーションの中にあります。下の写真は上仰木の棚田です。

 

詳しくは、「仰木自然文化庭園構想 八王寺組」のHPをご覧ください

http://kamiogi.jp/?cat=32

http://blog.goo.ne.jp/kamiogi


 

2012/09/30

台風17号

不幸にも、天気予報が当たってしまった。台風17号が徐々に関西にも迫り、仰木も午後から暴風雨圏に入った。昨日、風速60mを超える暴風雨が沖縄を襲った。テレビの画面には、根こそぎ倒された樹木やひっくり返った倉庫などが何度も映し出されていた。仰木の村の中を車で走っていると、人影も少なく、どことなく緊張感が漂う。棚田に出てみると、田んぼが心配なのか、何台かの軽トラックと出会った。運転席にのぞく顔は、誰もが心配と緊張の面持ちだった、午前中は、まだ雨が弱く降る程度だったが、時折ヒュ~と突風が吹き、農家の庭先にある草木が激しく揺さぶられていた。

 

さすがに午後からは、台風の雨と風だった。雨は地面を這い、横からたたきつけてくる。棚田を吹き抜ける風は、低いうなり声を響かせ襲ってきた。強い風と風の間に、更に強い突風が突然身体を吹き飛ばそうとする。木々が幹の部分から揺さぶられている。聞こえるのは、耳元を通り過ぎる風切り音と雑木林を揺さぶる音だけである。普通には立っていられない。三脚にしがみついて突風が過ぎるのを待つ。引きちぎられた枝やトタンの切れ端らしきものも遠くで舞っている。全身雨で濡れてしまったせいか、寒くて指先が震えてくる。結局、危険と体力の限界を感じて、2時間ほどで撮影を切り上げた。

  過去の台風では、稲が倒されたり、杉の木が折られて道を塞いだり、農具小屋の屋根が吹き飛ばされたり、棚田の土手が崩落していたりと、何がしかの被害があった。山の上の田んぼで出会った軽トラックのおじいちゃんは、大丈夫だったのだろうか?

 

 

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仰木自然文化庭園構想 八王寺組/稲刈り・稲架掛け・脱穀・縄ぬい

10月6日(土)・10月21日(日)、上仰木の八王寺地区の棚田で稲刈りや脱穀などが行われます。この八王寺の棚田は、琵琶湖が一望できる素晴らしいロケーションの中にあります。下の写真は上仰木の棚田です。

 

詳しくは、「仰木自然文化庭園構想 八王寺組」のHPをご覧ください

http://kamiogi.jp/?cat=32

http://blog.goo.ne.jp/kamiogi

 

 

里山みらいじゅく 2012 —————————————————

人の営みとともにある生命(いのち)ある自然、里山。その「里山」という言葉が今日のように一般的に使われるようになったのは、写真家今森光彦さんの活動と結びついています。彼はその「里山」を映像化するにあたって、仰木や伊香立、高島やマキノといった湖西の農村地帯を舞台としてきました。今森さんとともに仰木の里山を歩き、里山の秘密や不思議をお聞きください。今回は、上仰木の田んぼを歩かれるそうです。午後からは絵本作家の「はたこうしろう」さんの講演とお二人のトークショーがあります。里山や棚田に、少しでも関心のある方は、ぜひ、ぜひ、ぜひ、参加してみてください。自然に対する見方が変わるかもしれません。

 

と   き:10月14日(日)   9:30~

と こ ろ:大津市仰木   /   太鼓会館
 

詳しくは、今森光彦さんのホームページでご確認ください

http://www.imamori-world.jp/ima-event/satoyama/satoyama_2012.html

2012/09/23

籾焼き(燻炭作り)

稲刈りの終わった田んぼのそこかしこで白い煙が立ちのぼる。初秋の風物詩、籾焼きの煙だ。風にたなびく煙は薄く広がり、レースのカーテンのようになって棚田を漂っていく。午後の射光線に透かされた煙のカーテンは、なかなかフォトジェニックである。

煙突を立てた籾焼き(燻炭作り)は、手間とヒマが掛かってしまうので、最近ではほとんど見かけなくなっている。それに代わって、籾を田んぼに直まきし、その上に火をつけるという作業が多くなっている。しかし土壌の酸化を防ぐための燻炭は、やはり手間とヒマを掛けなければいいものができない。焼き加減が難しい。真っ黒に炭化してしまってもいけないし、まして灰になってしまっては意味がない。こまめに見回り、焼けていない籾殻を絶えず上にかぶせていかなければならない。わずかな量の籾殻でも、この作業を繰り返し繰り返し、一昼夜は掛かってしまう。こうした作業を見ていると、燻炭の字のごとく、焼くというよりも「燻す」と言った方がピッタリくる。燻炭作り、もう来年の米作りの準備が始まっている。

燻炭は、活性炭や炭と同じような効能を持つ。田んぼはもとより、キュウリやイチゴといった野菜や果物の土壌の改良剤にもなる。金魚などの水槽に入れておくと水を浄化してくれる。家の床下に撒いておくと除湿剤にもなる。生ごみや牛舎などの臭いも取ってくれる。融雪剤にもなる。花瓶などに入れておくと、殺菌効果もあり、お花が生き生きとするそうだ。etc、etc。

稲は本当にエライ!!  お米を育ててくれるだけでなく、籾殻まで人様の役に立ってくれる立派な植物である。

  昨日の天気予報では、 50%の確率で午前中は雨のはずだった。しかし雨は時折弱く降るだけで、曇りと言った方がよい天気だった。予定されていた「守り人の会」の脱穀が行われているのかどうか分からなかったので、一応田んぼに行ってみることにした。家の玄関を一歩出てみると思いのほか肌寒く、長袖のシャツに着替えることにした。昨日までの残暑は何だったのだろうか。田んぼに着くと、やはり脱穀は順延され、27日の木曜日、籾摺りが29日の土曜日になっていた。少し時間があったので、家への帰り道、「小さな秋」を拾って帰ることにした。

 

里山みらいじゅく 2012 ————————————————————–
   人の営みとともにある生命(いのち)ある自然、里山。その「里山」という言葉が今日のように一般的に使われるようになったのは、写真家今森光彦さんの活動と結びついています。彼はその「里山」を映像化するにあたって、仰木や伊香立、高島やマキノといった湖西の農村地帯を舞台としてきました。今森さんとともに仰木の里山を歩き、里山の秘密や不思議をお聞きください。今回は、上仰木の田んぼを歩かれるそうです。午後からは絵本作家の「はたこうしろう」さんの講演とお二人のトークショーがあります。里山や棚田に、少しでも関心のある方は、ぜひ、ぜひ、ぜひ、参加してみてください。自然に対する見方が変わるかもしれません。

 

と    き:10月14日(日)   9:30~

と こ ろ:大津市仰木   /   太鼓会館

詳しくは、今森光彦さんのホームページでご確認ください

http://www.imamori-world.jp/ima-event/satoyama/satoyama_2012.html

2012/09/16

稲架(ハサ)のある風景

今日、先週の9日に掛けられた稲架を見に行ってきた。太陽が雲に遮られ、平尾の棚田全体が日陰になっていることが多かった。奥比叡の山々からは爽やかな風が吹き抜け、撮影していても気持ちがいい。まさに陰干し日和といった天気であった。上の写真は、時折、雲間から太陽が顔を出す瞬間にシャッターを押した。1時間ほどの撮影だったが、なぜかここに来ると、心がゆるやかにほぐれていく。

いよいよ来週の23日(日)は、この田んぼで脱穀が行われる。今でこそ脱穀は、機械によって1日もあれば充分できてしまうが、昭和30年の中頃までの手作業の時代はそうはいかなかった。もっとも当時の収穫(稲刈り)は、今よりも一月遅い10月に入ってからだった。そこから稲架に掛け天日干しした後、脱穀に入る。その脱穀が年末までの一苦労となっていた。どの家も「正月までには、なんとしても仕上げてしまえ」と大変だったらしい。

詳しくは、「平尾 里山・棚田守り人の会」のHPをご覧ください

http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html

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仰木自然文化庭園構想 八王寺組/稲刈り・稲架掛け・脱穀・縄ぬい

9月30日(日)・10月6日(土)・10月21日(日)、上仰木の八王寺地区の棚田で稲刈りや脱穀などが行われます。この八王寺の棚田は、琵琶湖が一望できる素晴らしいロケーションの中にあります。下の写真は上仰木の棚田です。

 

詳しくは、「仰木自然文化庭園構想 八王寺組」のHPをご覧ください

http://kamiogi.jp/?cat=32

http://blog.goo.ne.jp/kamiogi

2012/09/09

収穫の歓び

上の左の写真は9月5日、右は9月8日の撮影。8月の終わりから始まった稲刈りは、棚田の風景をドラマチックに変化させていく。これから二週間もすれば、ほとんどの田んぼで稲刈りが終わっているはずだ。8日の土曜日には、「平尾 里山・棚田守り人の会」主催の稲刈りと稲架掛け(ハサがけ)の作業が行われた。棚田オーナーになっておられるご家族やお友達、なぜか近畿大学文学部?の先生と学生さんなど、スタッフを含め総勢80名ほどの方々が参加されていた。既に棚田は、コオロギや秋の虫たちの大合唱の中にあった。

 

午前中は曇り空の中に、まだ青空が覗いていた。湿度は高く、雨の降りそうな気配の中で稲刈りが始まった。昼前になって、にわかに激しい雨が降り出してきた。刈り取られた稲束をそのまま放置しておくことはできない。早く稲架(ハサ)に掛けてしまわなければならなかった。私も写真など撮っている場合ではなかった。カメラを置いて手伝わさせてもらうことにした。畔に積み重ねられた稲束を両腕いっぱいに抱きかかえ、何十回と稲架の所に運んでいく。その稲束の一つ一つを真ん中あたりで二つに分けて稲架に掛けていく。作業は至って単純なのだが、普段力仕事をしていない身体には結構厳しいものがある。加えて蒸し暑い。幸いにも雨は1時間ほどで止んでくれた。2時半頃には全ての田んぼで作業が終え、立派な稲架掛け(ハサかけ)が出来上がっていた。最後に「守り人の会」の西村さんの所に行くと、田んぼのあちこちに落ちている稲穂を一本一本丁寧に拾い集め、それを束にして稲架に掛けておられた。「私は昔の人間やさかい、こんなもんでももったいなくて・・・」という言葉が、疲れた体の中で響いていた。


万葉の昔から千数百年も続けられてきたこの地の棚田農業も、その継続、存続という点では、今が最も厳しい状況にあるのかもしれない。水路や森の管理、田植えや土手の草刈り、雑草取りや稲刈りなどなど、働き手の絶対数が足りない。老齢化も進んでいる。本当に小さな田んぼは、既に耕作放棄されている。私が見てきた23年を振り返ってみても、少しずつ田んぼが荒れてきたように思われる。「守り人の会」の活動や棚田オーナー制度は、正に時代が求める方策の一つなのだろうと思う。また、それに携われる方々には頭の下がる思いがする。ただその中心に、村の若者たちがいてくれることを願ってやまない。

作業を終えた頃には、上半身はもとより、ズボンまで汗で濡れていた。家に帰ると一目散で風呂に入った。稲束を抱えた両腕が赤く腫れ、ヒリヒリと痛い。まさか作業をするとは思っていなかったので、半袖シャツのままだった。やはり農作業は、長袖でするものだ。夜、両腕を見ると、ミミズ腫れのようになっている。しかしこのミミズ腫れは、なぜか今日一日だけの勲章のように思われた。

 

今日、稲架に干された稲は、9月23日(日)棚田の中で脱穀されます

詳しくは、「平尾 里山・棚田守り人の会」のHPをご覧ください

http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html

 

上の写真は全て、作業をされた田んぼとその周辺で撮影したもので構成させてもらいました。快く撮影させていただき、本当にありがとうございました。

「守り人の会」のHPでも、当日の活動日誌と写真が掲載されています。

http://oginosato.jp/moribitonokai/ownernissi/2012/09/201298.html


里山めぐりツアー「湖西の川端を訪ねて」—————————————

9月3日~7日に掛けて、日興トラベルさんの「湖西の川端(かばた)を訪ねて」というツアーが、仰木の棚田に立ち寄られた。これは、写真家の今森光彦さんが紹介された仰木や高島の里山をめぐるツアーとなっている。仰木を案内されるのは堀井さん。戦国時代からの仰木の歴史を紐解いた解説は、なかなかの名調子だった。同時に、今年採れたての新米と仰木の地酒も販売された。新米の方は、すぐに完売となった。

2012/09/02

ジパング(黄金の国)

4月ごろから始まった米作りも、いよいよ収穫の時を迎えた。今年は台風の影響もなく、倒伏した稲をあまり見かけることがなかった。毎年、無事に育った稲穂を見ると、部外者ながらなぜかホッとした気持ちにさせられる。反対に、ここ2~3年のようにイノシシの被害を目の当たりにしてしまうと、悔しさや腹立たしさが込み上げてくる。私が作ったお米でもないのに不思議なものである。

13世紀、マルコポーロはその「東方見聞録」において、日本をジパング=黄金の国としてヨーロッパに紹介した。私にとってのジパングはゴールドの国ではない。この列島に黄金の実りをもたらす大地とそこで額に汗する人々のいる国こそジパングだと思っている。

*  今回の写真はすべて9月2日(日)に撮影した、ホカホカの棚田風景です  *

9月8日(土)稲刈り・ハサ掛けの風景 ———————————————

「平尾 里山・棚田守り人の会」主催の稲刈りが行われます。ここ仰木の棚田でも、広く棚田オーナー制度が活用されています。そのオーナーたちによる稲刈りです。刈り取られた稲は、そのままハサに掛けられ天日干しされます。時間は、朝の10時から。場所は、馬蹄形の棚田の辺りです。詳しくは、「平尾 里山・棚田守り人の会」のHPをご覧ください。http://oginosato.jp/moribitonokai/index.html

2012/08/26

大切なもの

ここは上仰木から隣村の千野へと続く棚田である。田んぼも空に浮かぶ雲も既に真夏のそれではなく、秋の気配を漂わせ始めている。このトタン屋根の下には、ハサ掛けに使う細い丸太などが積み重ねられ仕舞われている。三色に色分けされたトタン屋根が、何ともモダンに感じて写した一枚である。(途中)


お詫び   26日の日曜日に一度文章をUPしたのですが、なぜかブログに反映されませんでした。しかも文章そのものも消えてしまいました。ブログやネットは初体験のため、操作を間違ってしまったのだと思います。続きを書こうと思っているのですが、仕事が詰まっていてなかなか手がつきません。今、この文章は出張先の信州で書いています。信州から帰ったら、できるだけ早いタイミングでUPしたいと思います。お待ちください。

追記) 今日は姥捨て山の棚田の中を通ってきました。山の斜面に積み重ねられた小さな田んぼが、仰木と同じように黄色く彩られていました。

2012/08/19

里芋

里芋と言えば筑前煮。庶民の秋の味覚の代表格である。里芋は根菜の部分だけでなく、その茎も「ズイキ」として食べられる。調べてみると、原産地はマレーの辺り。既に縄文時代には日本に入って来ていたらしい。とすれば、恐らく日本人の御先祖様となられた人々と伴に、米などと一緒に渡来してきたのではないだろうか。里芋の語源は拍子抜けするほどストレートだ。山に自生する芋を「山芋」、里で採れる芋だから「里芋」と呼ばれてきたようだ。縄文後期に渡来してきたとすれば、4000~5000年近くもの間、日本人の食生活を支えてきた素晴らしい野菜である。収穫は米と同じように晩夏から初秋にかけて行われる。この写真は、収穫の2~3週間ほど前のものと思われる。午後の斜光を受けて立派に育ったハート型の葉っぱと葉脈が美しかった。


大?そうめん流し大会/8月18日 (土) ———————————————

 午後3時から、仰木の小椋神社の森で「そうめん流し」が催された。氏子の発起により、今年で3回目となる。鎮守の森は昼なお暗く、猛暑の中でもひんやりと涼しい。おじいちゃん・おばあちゃん、お父さん・お母さん、赤ちゃんから小中学生まで、村の三世代が集い、勢いよく流れてくるそうめん取りに興じていた。いつもは蝉の鳴き声しか聞こえない鎮守の森に、子供たちの笑い声がいつまでも響いていた。世話役さん、宮司さん、本当にご苦労様でした。