奥比叡の里より「棚田日詩」 | DIARY

2015/11/11

棚田の秋

奥比叡もようやく木々が色づく季節を迎えた。北国の全山紅葉という訳にはいかないが、雑木たちの渋い紅葉が広がっていく。この時期の陽射しは、午後の3時頃からが美しい。斜めに傾き始める陽射しは、木々の葉っぱを透かして燃えるような紅葉を演出してくれるからだ。そんな秋の光に包まれて1時間ほど棚田を散策していると、少し汗ばむ身体から「幸せ」という心があふれ出してくる。


 

お知らせ

「平尾  里山・棚田 守り人の会」のホームページのタイトルに、私の写真を使っていただくこととなりました。 「守り人の会」のホームページには、棚田オーナーによる田植えや稲刈りなどの情報が発信されています。ぜひ、訪問してみてください。

http://www.hiraomoribito.info/index.php/



 

もう一つは、私事で申し訳ないのですが、 私の友人の茂呂君が始めた「大津通信」というホームページのタイトルに私の写真が使われています。上がそれです。下は名刺としてデザインされたものです。

http://otsu-yoimachi.blogspot.jp/

 

 

茂呂君とは三十数年来の友人です。写真は全くの素人です。というわけで、私に写真の依頼が来ました。日々のブログの写真は、彼の奥さんと彼自身の写真です。(2枚だけ私の写真)  ちょっとピンぼけ、ブレブレ写真もあります。構図などは、まだ少し先の話しです。しかし「人よりウマク撮って、驚かせてやろう!」などという色気がないためか、私にとってはとても新鮮で味わい深くもあります。写真の話しはこれくらいにして、「大津通信」というホームページについて、少し説明させてもらいます。

 

彼は、大津市の副市長という要職に就いていました。昨年、その職を自らの意志で辞しました。このホームページは、そのあたりの経緯や理由から始まって、老人福祉と保育の待機児童の問題、予算編成や新庁舎建設問題、市民病院や図書館の民営化問題、小学生からの英語教育や中学生の給食問題、道路行政問題、そして市長としての越直美さんのリーダーシップについて、等々と、非常に多岐にわたる問題提議がなされています。私など一般市民がほとんど知らなかった問題について、行政という立場からかなり具体的に持論を展開しています。できれば、一番最初からお読みいただきたいと思っています。格調も高く、中々正々堂々としたものです。私の知る茂呂君は、弱い立場の人にやさしく、不正を嫌い、思慮深く公平に人の話を聞くまじめ人間です。そして冗談が大好きな家庭人でもあります。

特筆すべきは、8月16日に始められた「大津通信」へのアクセス数が、わずか3か月で14万を超えていることです。市民の関心がいかに高いかということだと思います。市民からも数多くのコメントが寄せられ、あたかも市民の意見交換の広場のようになっていることです。

ぜひ一度、覗いて見てください。そして、様々な問題についてご自身で考え、判断されることを願います。その判断材料の一つが、このホームページにあるように思います。

http://otsu-yoimachi.blogspot.jp/


 

本来なら「ちょっと気掛かり・・・私の自然体験」の続きを書く予定でしたが、「大津通信」が12月で終了するということで、こちらのお知らせを優先させました。



  但し、この終了情報は私の早トチリだったようで、正しくは、

http://otsu-yoimachi.blogspot.jp/2015/11/blog-post_17.html

をご覧ください。お詫び申し上げます

 

2015/10/21

響きあう光景

秋は、どこか寂しく、切なくなってくる季節。棚田の土手のススキ。夕日に染められた雲。畑に置き忘れられた支柱。一隅の光景が私の秋の心と響きあった。


 長い間、更新ができませんでした。今年の年末商戦は、新しい企画で臨むこととなり、その準備で「棚田日詩」に向かう時間的・精神的余力がありませんでした。恐らく11月の中頃には一段落すると思います。その時に、『ちょっと気掛かり・・・』を更新したいと思っています。その後すぐに、年末商戦の真っ只中に入ります。当面、月一回のペースになるかと予想しています。お付き合いいただければ嬉しく思います。

2015/09/02

もうすぐ新米!!

 

仰木棚田米、いかがですか?

 

仰木棚田米を一度食べてみようと思われる方は、

下記のURLを覗いて見てください。

http://tanada-diary.com/7393 (ミルキークイーン)

http://tanada-diary.com/tanada-products/fp_01

 


 

ここはお米の生産現場であり、農業という経済活動が営まれている空間です。「昔ながらの棚田」の景観や「里山環境」がどんなに素晴らしくても、先ずはお米が再生産できる価格で売れなければ、あるいは買っていただくことができなければ、この環境を守り、維持していくことはできません。

私は都会で生活する一人でも多くの人々に、この地の美味しい棚田米を知っていただきたいと思っています。ぜひ一度、食べていただきたいと思っています。但しここでの「仰木棚田米」の応援は、私の勝手な行為であり、お米の売買には一切タッチしていません。

「昔ながらの棚田」で育てられるお米の量は少なく、限られたものです。もし申し込まれたとしても、在庫がなくなり、農家からお断りされるかもしれません。何卒、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

2015/08/23

優しい心

今日は地蔵盆。7月下旬頃から8月の初旬辺りまでは異常な暑さが続いた。盆前から少し気温が下がり、夜中は過ごしやすくなった。とはいえ、昼間の太陽は村の風景をジリジリと焼いている。歩き回って写真を撮っていると、下着まで汗に濡れ、頭がクラクラするほどだ。そんな強い陽射しを少しでも和らげようと、地藏さまの上にすだれが掛けられている。汗まみれになった私の身体の中に、人の「優しい心」が浸み込んできた。

棚田はもう黄色味を帯びている。今週から来週に掛けて稲刈りがそこかしこで始まるのだろう。


 

「ちょっと気掛かり・・・私の自然体験」は、次回で最終回の予定です。

2015/07/29

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑨

何年ほど前になるのだろうか?  テレビの予告編か何かで「里海」という言葉が耳に入ってきた。  ?????「里海」?    生まれて初めて聞く言葉ではあったが、この言葉に大きな違和感を感じた。というよりも、間違っていると思った。その後、「里川」などという言葉も耳にするようになった。恐らくいずれの言葉も「人の暮らしとともにある海や川」といった意味で使われているのであろう。

今一度「里山」についての最も有名な命題(概念規定)に戻ろう。「里山は、人の営みとともにある(相互関係を持った)生きものたちの自然である。人の手の入らない無垢の自然を第一次的な自然だとすれば、里山は二次的な自然である」  正確な言葉は覚えていないが、主旨はこのようなものであったと記憶している。

先入観を交えずこの命題に従えば、「人の営みと相互関係を持つ生きものたちの自然(生態系)」が成立している所は、そこが海の中であろうと川であろうと「里山」なのである。どうして「里海」「里川」などといった追加的な概念が必要になるのだろうか?  これが「間違っている」と思った理由である。

「里海」「里川」という言葉が生み出される前提には、環境省のいう狭い地域概念としての「里山」がある。環境省のいう「里山」は、概ね日本の農村地域を指している概念であり、そこにおける「人の営みと相互関係を持つ生きものたちの自然」を「里山」と呼んでいる。それでは、農村地域以外の「人の営みと相互関係を持つ生きものたちの自然」を何と呼べばいいのだろうか?  環境省のいうようにわが国の農村地域の二次的自然だけを「里山」とする限り、それ以外の地域の「二次的自然」を追加的に「里海」「里川」「里〇〇」「里××」として表現せざるを得ないのである。

ついでに言えば「里山」の命題(概念規定)の中には、日本人が持つ故郷への郷愁や癒しなどの情緒的なものは含まれていない。例えば諫早湾の干拓事業。水門が閉じられていく映像は、まだ記憶に新しい。閉門後、諫早湾を中心にした生態系は大きく変わってしまった。その結果、漁業という産業に深刻な打撃を与えていると伝えられている。これも「人の営みと相互関係を持つ生きものたちの自然」の現実である。とすれば、これは極めて里山的現象ではないのだろうか?  私はそう思ってきた。

 


 

中元商戦が一段落ついて、久しぶりに田んぼに出てみると、稲穂が顔を出し、既に受粉も終えているようである。今年は台風11・12号が太平洋の湿気を運んできたのか、ここしばらくは蒸し暑い猛暑日が続いている。田んぼで熱中症になったおばあちゃんが亡くなられたという悲しいニュースもあった。まだ厳しい暑さが続きそうである。皆様、くれぐれもお身体ご自愛ください!

2015/07/15

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑧

世界のどんな大都市でも、緑のない都市はない。殊に20世紀の大気汚染等の公害を経験してきた都市は、意識して緑を残そうとして来ているようだ。少し高い所に登って都市を見下すと、オフィスビルや住宅の間にこんもりとした森や林の緑が点々と見えるはずだ。恐らく大きな森の中には池などもあるのだろう。都市の中には、街路樹や植樹された道路の分離帯などの緑も少なからずあるのかもしれない。歴史的に人々の生活と深いつながりを持った河川も何本か都市の中を流れているのだろう。都市の周辺部には住宅地が広がり、その庭には様々な木々や草花が育てられているはずだ。辺りには緑に覆われた丘や山があるかもしれない。あるいは、農地や牧草地なども広がっているのかもしれない。海に面して発展してきた都市であるのなら、大きな港湾から海へと続いているはずである。緑の量が多いか少ないかは別にして、世界の大都市を俯瞰してみると概ねこんな感じではないのだろうか。

都市では、緑の森や林、池や河川や海などをベースに微生物から腔腸類や貝類、甲殻類や魚類、昆虫類、両生類や爬虫類、鳥や哺乳動物まで、複雑な生態系が作られているはずである。しかもこの生態系は、歴史的ともいえる長い年月をかけて、人の営みとの相互作用の中で形づくられてきたはずである。更にこの二次的な自然は、IPSIのいう「社会生態学的生産ランドスケープ」や「人の手の入っていない無垢の自然」とも様々な相互関係をもって繋がっているはずである。

IPSIは活動の対象地域を「対象とする地域は、長年にわたって人間の影響を受けて形成・維持されてきた農山村およびそれに隣接する農地、森林、草地などで構成される地域(ランドスケープ)です」と規定している。ここには都市部や鉱工業地帯、あるいは漁村などにおける二次的自然「里山」は含まれていない。IPSIのいう「生物多様性」と「多様な生態系サービス」という観点から見て、これらの地域の「里山」を活動対象から外してしまっていいのだろうか?

更にこの「里山」の捉え方は、IPSIの組織の内容・構成をも制約していくこととなる。普遍化された「里山」の捉え方からすると、組織の構成要素として都市や鉱工業地帯、漁村などの里山を活動対象とする例えば「都市部会」「工業地帯部会」「漁村部会」等のエレメントがどうしても必要となってくる。しかし、IPSIの組織の構成の中にこうした要素は見当たらないようである。これは、IPSIの「里山」≒社会生態学的生産ランドスケープという捉え方からすれば当然の帰結ではあるが、都市で育った私からすれば、やはり残念なことだと言わなければならない。

2015/06/28

見渡す棚田が緑色に染められていく。今日の写真は、棚田に点在するヒノキや杉の林を散策した時のものである。6月、それぞれの「緑」が深まりゆく美しい季節である。

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑦

わが家のプランターに広がる「里山」。余りにも小さな事例だったのかも知れない。ただ普遍化された「里山」の概念の内容・構造といったものをシンプルに表現したくて書かせていただいた。「里山」は、生態学の中で発展してきた概念である。そこが「里山」かどうかは、人の営みの影響を受けた自然の側に生態系が成立しているかどうかが重要な要件となる。反対に考えれば、花瓶に挿された生け花などは、そこに生態系が成立していない限り「里山」ではないということになる。

日本を代表する「里山」が農村地帯、殊に「奥比叡の里」のような中山間地域の農村地帯にあるという点については異論はない。しかし、人の営みと相互関係を持つ生態系「里山」は、農村地域にとどまらず、林業や水産業、畜産業、鉱業などが営まれる地帯にも存在している。更には、工業や商業が営まれる都市部にも広く存在している。これが普遍化された「里山」の概念から導き出される必然的な答えではないのだろうか。

環境省のいう地域概念としての「里山」は、日本の農村地帯や恐らくアジアの米作地帯にしか適応できないような狭い概念である。その概念を外延的に世界に広げていったIPSIの「社会生態学的生産ランドスケープ」という概念もまた、ある種の地域概念という性質を持っている。共通するのは、第一次産業地帯、殊に食糧生産地帯に「里山」が限定されているということである。当然こうした「里山」の理解からは、都市部における「里山」や鉱工業地帯における「里山」がすっぽりと抜け落ちてしまっている。冒頭に書いた京都市の中心街における自然を思い起こしていただきたい。

京都市の町屋は「うなぎの寝床」と呼ばれるほど細長い家が多い。間口が狭く、他府県の人たちが想像する以上に奥行の深い家屋である。そもそも平安京は、唐の長安(現西安市)を真似て、街路を碁盤の目状に配した条坊制によって作られた。その碁盤のマス目のような方形の中に肥大化する都市の家屋や店舗を配置しようと思えば、この「うなぎの寝床」が最も合理的だったようだ。碁盤の目の四辺の街路を挟んで、玄関が向き合う形で家屋・店舗が連なっている。それでもマス目の中心部には多くの空地が生まれた。ここに住居や職人たちの作業場を建てるためには、多くの路地(ろーじ)を必要とした。私の子供の頃には、この路地が格好の遊び場となっていた。

京都市は、三方を山に囲まれた典型的な盆地の気候である。夏は蒸し暑く、冬は冷え込んだ。殊にエアコンのない時代の夏の不快さは耐え難いものがあった。そのため、大抵の町屋には中庭や裏庭が造られている。夏の朝夕、その庭に打ち水が撒かれる。その際、水の蒸発とともに発生する気化熱は土中の熱を奪い、実際に庭の温度を何度か下げてくれたはずだ。同時に小さな上昇気流が起こり、細長い家屋の中にかすかな風を運んできてくれた。そうした生活の必要から作られた中庭や裏庭には、小さな生き物たちの独特の小宇宙が作られていたはずだ。そればかりでなく、京都市の中心街で生きる昆虫や鳥たちにとっては、オアシスのような役割を果たしていたのではないだろうか。

長く「都」であった京都市は、政治的都市のように思われがちだが、中世以降はむしろ呉服などを中心とした商業都市として発展してきた。今観光資源となっている「町屋」の多くが店舗を兼ねた住居であった。街路に面した紅殻(べんがら)格子を取り外せば、そこはもう商品を陳列する部屋になっている。街路は、今でいうウィンドーショッピングをする人々で賑わっていたはずだ。朝夕には、店の前の街路はきれいに掃かれ、土埃がたたぬように水が撒かれていたのではないだろうか。京都市では、朝夕の清掃という商家の習慣が、長い時間を掛けて各町内に広がり、伝統となっていったのではないだろうか。それが、私の子供の頃に見たおばあちゃんやおばちゃんたちの家の前の道路を掃除する姿だったのではないのだろうか。そしてそうした習慣と伝統が軒下や路地の片隅の小さな自然を育てていたのではないだろうか。

私の子供の頃に遭遇した生きものたちの自然、この自然は、古代京都の町づくり、気候、歴史的経緯、そこで生み出される人々の習慣や伝統、そうした人の営みと密接に結びついてあったのではないだろうか。もしそうだとするなら、IPSIはこの「二次的自然」を何と呼ぶのだろうか。

 

(続く)









私の本業の方の株主総会が迫ってきました。更新は、少し遅れるかもしれません。
2015/06/14

変な気候

稲の背丈も随分伸びて、徐々に田んぼの水面を覆い隠すようになってきた。棚田の谷底を流れる小川には、先月の20日頃からホタルが舞い始めている。今年の春は早く終わってしまったのか、5月には真夏日が続いた。ところが6月に入って、夜など肌寒い日が多くなっている。エルニーニョらしいが、それにしても変な気候である。


 

「ちょっと気掛かり・・・私の自然体験」は、近い内に続けさせていただきます。

2015/05/31

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑥

環境省のいう「里山」が、集落を取り巻く二次林や農地、溜池や草原で構成される所、すなわち農村地域そのものを指しているとすれば、普遍化された「里山」の概念は、一体どんな所を指しているのだろうか?

私の家のベランダに、プランターが6個ある。ハーブや野菜を育てているのだが、その内の4個には、田んぼで見かけるのと同じ十数種類の雑草だけが生えている。というよりも育てている。今はカタバミやタビラコなどが黄色の花を咲かせている。その内の一つのプランターは、スミレの葉っぱで覆われている。毎年4月になると、そのスミレが一斉に花を咲かせはじめる。雑草たちのプランターには、クモの巣が張られ、アリやミミズや訳の分からない小さな生き物たちも住みついている。そして毎日、テントウムシや蝶々たち、蜂やヒラタアブ、カナブンなどのお客さんを迎えている。時折、ムカデなどの招かれざる客もやって来て、蝶の幼虫を食べている。夏から秋に掛けて、スミレの種採りに忙しい。やがて冬、何度かの雪が積もるとスミレの葉っぱは緑の色素を失って透明になり、完全に枯れていく。あれほど活発に動いていた小さな生き物たちの姿もなくなっている。それでも、緑の葉っぱのままで冬を越す雑草もある。そして再びの春。プランターでは同じような情景が繰り返されている。

プランターで雑草を育てる一番の目的は、スミレを育てたいためである。というのも、毎年ウラギンヒョウモンという美しい蝶がやって来て、スミレの葉っぱに卵を産み付けていくからだ。小さな幼虫が現れ出すと、スミレの葉っぱは、至る所でカジられ始める。数匹の幼虫がサナギになるまで数十枚の葉っぱをカジり尽くしてしまう。恐ろしい食欲である。後から生まれた幼虫などは、既に食べる葉っぱもなく、餓死してしまうこととなる。それが可哀そうだから、スミレの種を採り、予備のプランターにスミレだけを育てるようにしている。もちろん田んぼに出たら、スミレの種を持って帰るようにしている。サナギになる直前の幼虫は、プランターを脱走し、雨に打たれることのない軒下などでサナギとなってぶら下がっている。そして時が来るとサナギの背を割って、美しいウラギンヒョウモンが飛び立っていく。もう78年、わが家のベランダではこうしたことが繰り返されている。

雑草たちは、プランター全体に隙間もないほど細い根を張りつめている。その土中で微生物やミミズ、虫眼鏡で見なければ気づかないような多くの生き物たちが生きて死んでいく。アリたちはミミズの赤ちゃんや雑草の種を咥えてはせっせと自分の巣に持ち帰って子供たちを育てている。私は専門家ではないのでそれぞれの生きものたちの関係は分からないが、ある生きものの生と死が、他の生きものたちの生存の条件となっており、更にそれが他の生きもの、例えばウラギンヒョウモンの生命を支えているのだろうということは見ていれば分かることである。ここには小さな生き物たちの「生命の小宇宙」、生態系がある。

ここでの私の役割と言えば、水やり・間引き・追い肥・植え替え・種まきなどといったところである。反対に小さな生き物たちは、彼らの生命を見つめる喜びと感動を私に与えてくれている。

ところで、普遍化された「里山」の概念は、人の営みと相互関係を持つ生物学的自然、その生態系、その空間ということである。私の育てている雑草のプランターもまた、人の営みと小さな生き物たちの生態系が相互関係を持って存在している。とすれば、そこはもう立派な「里山」ではないのだろうか?  普遍化された「里山」の概念に従えば、そういう結論になるのではないだろうか?  実際 私はそうした思いを持って、雑草や小さな生き物たちを大切に見守ってきた。

この観点から見れば、私たちの身の回りのどこにでも「里山」は広がっている。(続く)


 

 更新が一月以上延びてしまいました。本来なら、5月10日に更新する予定でしたが、パソコンの故障、OSのインストールや様々な設定などで2週間ほど時間を費やしてしまいました。今回の写真は、その時にアップするものをそのまま使っています。今の田んぼは、もう少し稲がたくましく育ち、棚田全体が緑を濃くしています。2週間おきの更新をお待ちいただいた皆様には、本当に申し訳なく、お詫び申し上げます。

「棚田日詩」も4年目を迎えることとなりました。当初、2年で止めようと思っていたことからすると信じられないほど延びてしまいました。これはひとえに、皆様の閲覧に励まされた結果です。これからの一年をひとまずの区切りと考えて、最後の12ヶ月を頑張っていきたいと思っています。これからの一年も宜しくお願い申し上げます。そして、これまで閲覧していただいた皆様には、心からの御礼と感謝を申し上げます。ありがとうございました!!

2015/04/26

眩しい季節

田んぼの畔に柿の木が一本。枝々には芽生えたばかりの小さな葉っぱが、朝陽を透かして柔らかく輝いている。谷間の棚田に流れる春風は、時折田んぼの水面に銀色のさざ波を残して吹き抜けて行く。畦を彩るスミレやタンポポ、アザミたち。蝶は舞い、小鳥たちは空高く唄っている。足元では、慌てたカエルたちが一目散に逃げていく。まるで、生まれたばかりの生き物たちの生命(いのち)の大合唱が聞こえるようだ。

今年も田植えの季節、そして小さな生命が目覚める季節を迎えることができた。60を過ぎた頃からだろうか。歳を重ねるにしたがって、このめばえの季節が一層愛おしく、眩しくなってくる。


 

この「棚田日誌」も4年目の春を迎えることとなりました。これまで訪問していただいた全ての人々に、心からの感謝と御礼を申し上げます。あと一年は何とか続けさせていただこうと思っています。宜しくお願い致します。

一月ほど休んでしまった「ちょっと気掛かり・・・私の自然体験」の方は、5月から再開させていただくつもりです。

2015/04/12

サクラナク

今年の棚田でのお花見は、荒れた天候の中にあった。ほとんどが雨の日を挟んだ曇り日というあり様だった。青空のもとでのお花見は、わずかな時間しか与えられなかった。

3月末の初夏のような暖かさの中でようやく蕾を膨らませ、花開いたかと思えば冬への逆戻り。いくつかの地方では、雪まで降ってきたと聞く。この日も冷たい雨に打たれ、桜の花びらから涙の雫が落ちていた。遠くから望む「一本桜」も雨に煙られ、少し淋しそうに見えるのは私の感傷だろうか。

田んぼの方は、水路や畦の補修、土手の草刈り、田起こしや水入れで、にわかに慌ただしくなってきている。


 今月は、私の本業の方の決算月。「ちょっと気掛かり・・・私の自然体験」の続きになかなか時間が取れません。できるだけ早い時期に再開したいと思っています。

2015/04/01

サクラサク

今日はやさしい春雨が一日中棚田を濡らしている。時折晴れ間を覗かせるが空はどんよりと重く、遠くから望む「一本桜」は開花を待つ蕾で赤っぽく見える。その大木の真下から見上げると、弾けんばかりの蕾が枝という枝に鈴なりだ。どの枝も少し重く垂れ下がっているように見えるのは気のせいだろうか。

目を凝らして蕾の中を探していると、「アッ」花が一輪!・・・・二輪・・ ・・三輪・・・・ポツポツポツと開花を始めているではないか。なぜが自然に喜びが湧いてくる。1990年からこの桜の木を見続けてきた。いろんなおじいちゃんに聞いてみると、既に「100才を越す老木」であるという人もいる。今年もご苦労様、そしてありがとう!!


「ちょっと気掛かり・・・私の自然体験」が思ったより時間が掛かってしまい、いつの間にか桜の季節になってしまいました。今日は少し息抜きということことで、「一本桜」の開花をお知らせします。奥比叡の山裾の「桜公園」は、まだ蕾のままです。それでも、ここ2~3日でほころび始めそうです。5日の日曜日は見頃になってくるのではないでしょうか。ただ予報通りだと、雨が心配です。

2015/03/22

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ⑤

私が初めて「里山」という言葉を知ったのは1993年か94年の頃である。当時の私は、「里山」をどのように理解したのだろうか?   2013年5月12日のDiary「里山について」を見てみよう。

【その時理解した「里山」とは、(できるだけ今森さんの言葉をなぞらえば)①  人間の手の入らない無垢の自然を第一次的な自然だとすれば   ②  里山は、人の暮らし、人の営みと互いに影響を及ぼし合って存在する生命ある自然。無垢の自然に対して里山は、二次的な自然だともいえる。要するに、人の暮らしと共にある生物学的自然、その空間だと理解した。厳密な意味で、今森さんの言う「里山」がこの理解で正しいのかどうかは自信がないが、当時も今もこのように思っている。】と書いている。

ここから、私の理解した「里山」と環境省が規定する「里地里山」の概念の違いをみていこうと思うのだが、その前に今一度環境省のいう「里地里山」の概念を確認しておきたいと思う。

「里地里山」は、【都市域と原生的自然との中間に位置し、様々な人間の働きかけを通じて環境が形成されてきた地域であり、集落を取り巻く二次林と、それらと混在する農地、ため池、草原等で構成される地域概念である。】と定義している。

この二つの「里山」についての概念の違いは明らかである。環境省の「里地里山」の定義では、《集落を取り巻く二次林・農地・ため池・草原等》とその地域にある地理的特徴によって規定されている。他方、私の理解した「里山」には、そうした具体的な地理的特徴は既になく、人間の営みと相互関係を持って存在する生きものたちの二次的自然が「里山」だと言うだけである。

世界の里山の地理的特徴は多種多様である。仮に農林水産業や畜産業といった第一次産業の営まれる地域に限ってみても、熱帯雨林における農業もあれば、大草原における牧畜もある。一年の大部分が雪と氷に覆われた地域にも、水に恵まれない乾燥地域にも、大都市に隣接した地域にも、多種多様な食物等を生産する第一次産業は存在し、同時に里山も存在している。その産業(里山)を支える地理的特徴は、《集落を取り巻く二次林・農地・ため池・草原等》の規定では捉えきれない多様性を持っているはずである。そして、その多様な地理的特徴こそが、生物多様性を生み出しているのではないのだろうか。

残念ながら、環境省の狭い地域概念を里山とするのなら、日本の農業環境から生み出される里山は説明できても、世界に広がる里山を捉えることはできない。というよりも、【集落を取り巻く二次林と、それらと混在する農地、ため池、草原等で構成され】ない所は、里山ではないということになってしまう。ついでに言えば、環境省の「里地里山」の概念を外延的に広げていったIPSIの「社会生態学的生産ランドスケープ」という概念もまた、例えば都市部における貴重な里山環境を捉えることができなくなってしまう。

他方、私の理解した「里山」は、個別具体的な里山の地理的特徴を一般化し、普遍的な概念にまで昇華されたものである。日本の農業地域にせよ、アメリカの畜産地域にせよ、熱帯雨林における農業地域にせよ、いかなる地域にせよ、そこにある里山の普遍的に存在する共通項は、人の営みと相互関係を持つ自然(生態系)だということである。

普遍的な概念にまで昇華された「里山」の意義は大きい。

2015/03/08

3月に入った。この日は雨模様。冬に逆戻りしたような肌寒い日だった。ふと足元に目をやると、小さな春が咲いていた。

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ④

「里山とは何か?」といった問いに対する答えが、少し違った形で環境省のリポートの中に書かれている。そのリポート「日本の里地里山の調査・分析について(中間報告)」において「里地里山」を【都市域と原生的自然との中間に位置し、様々な人間の働きかけを通じて環境が形成されてきた地域であり、集落を取り巻く二次林と、それらと混在する農地、ため池、草原等で構成される地域概念である。】と定義している。厳密に言えばこの答えは、「里山とは何か?」という問いに対応したものではなく、「里山とはどこか?」ということに対する一つの答えではあるが・・・・・(その後の環境省による里山に関するパンフレットには、この定義が引き継がれている)

別の文書も見てみよう。IPSI事務局の『自然とともに』というパンフレットでは、更に突っ込んだ表現になっている。【農耕などを通じ、人間が自然環境に長年関わることによって形成・維持されている二次的自然環境(SATOYAMAイニシアティブでは「社会生態学的生産ランドスケープ※」と呼んでいます)は、世界中に存在します。】【※日本里山里海評価における議論をふまえ、として使用しています。】この文書で重要なのは、IPSIが「二次的自然環境」を「社会生態学的生産ランドスケープ」と呼んでいることである。とすれば、「里山(二次的自然環境)とは、社会生態学的生産ランドスケープである」ということになるのではないだろうか?  但しIPSIでは、「社会生態学的生産ランドスケープ」とは【SATOYAMA イニシアティブが対象とする地域の呼称】と言っている。決して(=里山)とは言っていないところが微妙ではあるが・・・・・

それでは、IPSIの活動を支える最も重要な概念「社会生態学的生産ランドスケープ」とは何か?  『「SATOYAMAイニシアティブ」に関するパリ宣言』の付属文書を見てみよう。

【「社会生態学的生産ランドスケープ」は、生物多様性を維持しながら、人間の福利に必要な物品・サービスを継続的に供給するための人間と自然の相互作用によって時間の経過とともに形成されてきた生息・生育地と土地利用の動的モザイクである。】

私の理解に間違いがなければ、「社会生態学的生産ランドスケープ」とは、農林畜産業等の第一次産業が営まれる地域における二次的自然のことである。但し、環境省のいう極めて日本的な「里地里山」と違ってその範囲は一挙に世界に広がっている。しかしわが国に限って言えば、先の里地里山とほぼイコール、近似値の概念である。

ここで注目しておかなければならないのは、「里山」という概念が、「里地里山」と言われる呼称にせよ、ある一定の特徴を持った地域を指す「地域概念」だということである。そして「社会生態学的生産ランドスケープ」もまた、視野が一挙に世界に広がったとはいえ、農林畜産業等の第一次産業地域に限定した「地域概念」の性質を持った概念だということである。しかし、現代の『里山』が本当にその理解でいいのだろうか?  (続く)


【      】内の文章は、引用文です。興味のない方も多くおられると思われますので、引用は最小限にとどめました。関心のある方はぜひ、ここに出てきた団体や組織が出しているパンフレット、また引用した元の文章をお読みください。インターネットで検索していただければ、簡単に見つかると思います。ぜひ、お読みください。

2015/02/22

ちょっと気掛かり・・・私の自然体験 ③

(前段が少し長くなりました。今回は、「ちょっと気掛かり・・・」の3回目、本題の「里山」に入りたいと思います)

もう少しだけ、私の家の中の生きものたちについても書いておこうと思う。

辺りが暗くなり始めると、部屋の電燈に羽虫やツマグロヨコバイ、小さな蛾などが集まって来た。電球の周りを飛び交っているだけなら何の問題もないのだか、小さな羽虫などは、食べているうどんの汁の中に落ちてくることがある。もちろん羽虫は取り出すのだが、多少の気持ち悪さは残る。それでも、今のように大騒ぎはせずに最後までうどんをすすっていた。これが当時の衛生観念だと言ってしまえばそれまでだが、食べ物を捨てるなどという贅沢は許されない時代でもあった。

部屋の灯りに吸い寄せられる小さな虫を待っているのか、窓ガラスの向こうにはいつもヤモリのシルエットがあった。深夜になると突然、天井裏で大運動会が行われることがある。バタバタバタッ、ドドドドッと何者かが走り出す。その緊迫した足音に目を覚ましてしまうこともあった。恐らく青大将かイタチがネズミを追い掛けていたのではないかと思う。階段下に青大将の抜け殻が落ちていたり、壁際をゆっくりと這っているのを何度か目撃している。町内の各家庭では、ネズミ採りの金網とハエ取り紙やハエたたきは必需品であった。ネズミ採りに捕まったネズミは、いつも水の中で水死させられていた。蚊にも結構よく刺されていた。縞蚊が多かった。幼稚園に上がる前の頃は、蚊帳の中で寝ていた記憶がおぼろげながらある。この辺りはさすがに繁華街で飲食店が多かった。そのせいか、どの家にもゴキブリが出没した。町内では食べ物商売をしている家も多く、ネズミやゴキブリ・ハエたちとはいつも真剣勝負だった。

50年ほど前の京都市の繁華街には、こうした小さな生き物たちの世界が人々の暮らしと伴にあった。恐らく東京や大阪の大都市においても、更に言えば、日本中のすべての都市の中においても、こうした小さな生き物たちの世界があったのではないかと思う。

そこで質問です。皆さんは、私の子供の頃に出会った草木やその周りに生きる小さな生き物たちの世界を何と呼ばれるのでしょうか?

50年前の私は、それを「自然」と呼んでいた。しかし今は、その自然を「里山」と呼んでいる。

それでは『里山イニシアティブ』(以下 IPSIとする)は、京都市の繁華街にあった自然を何と呼ぶのだろうか?

IPSIの公式ホームページがある。その中に『コンセプト』という表題のセクションがある。ここには活動の目的や意義、活動の対象と指針、そしてIPSIの簡単な歴史など、最も基本的なことが述べられている。それ故、IPSIにとって最も重要な綱領ともいうべき文章となっている。(参照: http://satoyama-initiative.org/ja/about/

先の「京都市の繁華街にあった自然を何と呼ぶのだろうか?」といった疑問に戻ろう。実は、この『コンセプト』を何度読み返してみても、先の疑問に対する答えが見つからないのである。というよりも、はぐらかされるといった感が強い。その原因を考えていくと、「里山とは何か?」といった概念規定が明確になされていないからである。

そこで、このホームページの主催?となっているUNU-IAS(国連大学高等研究所/本部:神奈川県横浜市)と環境省の他の文書の中に「里山の概念規定」を探してみることにした。(続く)


(今回は、ここまでしか書けませんでした。何とか次回までに書き上げたいと思っています。関心のある方は、時々覗いて見てください。少しづつでも文章を進めたいと思っています。)


*   この二週間、文章を書き進めようと思っていたのですが、そのための「まとまった時間」が取れませんでした。何とか時間を取って書き進めていこうと「重たい心」にムチ打っています。文章が進まなかったこと、お許しください。