奥比叡の里より「棚田日詩」 | DIARY

2017/02/19

谷戸

丘陵地帯が自然の力によって浸食され、谷間が作られていく。東日本では、そうした地形を谷戸(やと)・谷津(やつ)などと呼んでいる。谷戸の谷部には水利の条件も良かったのか、古くから水田が作られてきた。今日では、そこでの農業環境や生態系も総称して谷戸・谷津と呼ばれているようだ。

今日の写真の小高い土手は、そうした谷戸地形の稜線部分を写したものである。この土手の両側の谷部には小さな棚田が作られている。いつも手入れの行き届いた土手。竹林や檜の木立、雑木林を彩る淡雪が美しい。

2017/01/01

小さな声で「謹賀新年」

私事で恐縮ですが、昨年私の母「常子」が老衰により亡くなりました。94歳でした。「人様に迷惑をかけてはいけない」という母親の強い思いによって、お葬式は親戚も呼ばずに、身近な家族だけで執り行いました。宗教色もなくし、過ぎし日の親戚が集ったカラオケ大会のビデオを流しながら楽しく母親を偲びました。そのビデオには、すでに亡くなっている父「禎二」の得意げな歌声とそれを嬉し恥ずかしそうに見守る母親の姿が映し出されていました。私自身も初めての体験でしたが、お葬式がこんなにも心温まるものだとは思いもしませんでした。しかし、それもこれも母親が天寿を全うしたという納得と、姉たちの長年にわたる献身的な介護をしたという満足感、そんな気持ちが家族の中にあったからこそのお葬式だったと思っています。二人の姉には「感謝」以外の言葉がありません。本当にお疲れさまでした。

日本人の宗教観や伝統からすると、家族の死から一年間は喪に服すということになっているようです。喪に服すとは、結婚式やお目出たいお祝いの席への参列、神社への参拝、年賀の挨拶、新年の飾りなどを控えるという意味だそうです。やはり私個人については、お正月を祝わないほうが良いようです。しかし多くの人々にとってのお正月は、新たな希望や目標に向かう一年の始まりであり、昨年の様々な出来事を乗り越えたという感謝と喜びの日々でもあります。私の個人的な気持ちとしては、多くの人々とともにお正月を祝いたいと思っています。母親もまた、私の気持ちを理解してくれるだろうと思っています。

ということで、今年は小さな小さな声で「謹賀新年」とご挨拶を申し上げます。

今年一年もまた、皆様の希望や目標が叶いますように、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

 


 

二年で止めようと思っていた「棚田日詩 」も新しい年を迎えました。とりあえず、次の一年も続けてみようと思っています。というところが、私の小さな新年の抱負でもあります。たまに立ち寄っていただければ嬉しく思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。



 

私は、写真撮影もそうですが、その写真を修整・加工するレタッチ(Retouch)作業も、更には文章を書くということも全て我流です。いつも心のどこかで、基礎や基本が欠けているのではないか、どこかで思い違いをしているのではないか、何か間違っているのではないかといった不安を抱えています。今年は、少しでもそれらの基礎や基本を身に付けて、不安を解消していければと思っています。先ずは、AMS主催の「フォトレタッチ教室」に通うことにしました。AMSとは、綾羽工業やアヤハディオなどの関連企業が母体となっている写真館です。スマホも、電話とメールと写真しか使えない私です。正直言って、覚えられるかどうか不安もあります。でも今年の5月までは、このことでワクワクできそうです。

2016/12/18

池に降り積もる

奥比叡の山々の麓には、農業用のため池がいくつもある。一口にため池といっても、それを取り巻く環境は様々である。杉やヒノキの針葉樹の林に囲まれたため池もあれば、棚田の真ん中に作られたため池もある。今日のため池は、常緑と落葉の広葉樹が程よく入り混じった森の中にある。11月の中頃になると、この落葉樹が色づき始める。と同時に、ため池の水面にも赤や黄色や茶色の華やいだ彩りが映し出されていく。いつもは人目を引かないような地味なため池だが、この季節だけは村祭りのようなにぎわいを見せている。それも12月の中頃になると、その宴の終わりとともに、再びひっそりとした静かなため池に戻っていく。

上の写真。すっかり葉っぱを落としてしまった枝々が水面の中でかすかに揺らめいている。森は既に冬仕度を終えているようだ。秋の名残りと冬の始まりが写っていた。

紅葉も終わりに近づくと、このため池に夥しい数の落ち葉が風に舞い、水面に漂っている。やがて表面張力を失った落ち葉たちは、池の底へと降り積もっていく。それが下の写真である。そしてこのため池で、来年の稲を育てる命の水が作られていく。

 


 

この2016年も、一年間お付き合いいただきありがとうございました。

久しぶりにこのホームページのデータを見てみると、現在、一月に700回くらいの閲覧があるようです。閲覧数・訪問者数を見てみると、その50~60%以上が外国(20ヶ国以上)の方たちです。その人たちは、どうやって「棚田日詩」を見つけているのでしょうか?

試しに、「棚田/滋賀県」のキーワードをグーグルで検索をしてみると、「棚田日詩」が出てくるのはようやく10ページ目になってからです。「棚田/日本/写真」での検索では、20ページ目になっても出てきません。こんな奥深くに埋もれてしまっているホームページを、外国の方々がどのようにして知られるのか? 本当に不思議な話です。

本来なら、それぞれの母国語で「御礼」を申し上げたいのですが、英語をはじめ、すべての外国語ができません。仕方がないので、心を込めて日本語で「御礼」を申し上げます。

この一年間、「棚田日詩」を閲覧していただいたすべての方々に、心からの御礼を申し上げます。

来る年も、皆様の夢と希望が叶いますことをお祈り申し上げます。

本当に、本当に、ありがとうございました!!

2016/11/20

命の朱い実

晩秋の落日は早い。太陽はすでに奥比叡の山々の向こうに沈んでいる。かなり暗くなってからの一枚である。柿の木は葉っぱをすべて落とし、残された朱い実が終わりゆく秋の風情を漂わせていた。もうこの朱い実は干し柿として食べられることはない。後は朽ちていくだけである。しかしその過程で、鳥やサルやタヌキなどの多くの生き物たちの冬の命を支えていく。

2016/10/23

深まりゆく秋の予感

今日、久しぶりに山へ入った。所々に黄色や赤の小さな紅葉は見られるが、まだ山は深い緑の中にある。本格的な紅葉には一月ほど早いようだ。

中秋の林道は、輝くススキの穂が私を迎えてくれていた。確かに風は冷たくなっている。それでも、落ち葉を踏みしめる音を聞きながら山道を登っていくと、背中が心地よく汗ばんでくる。

奥比叡の山々は、大部分が檜や杉で覆われている人工林である。その薄暗くなった木陰の中に、ひっそりと花びらを散らしている野菊を見つけた。それが、これからの秋の深まりを暗示しているようでもあった。

2016/09/04

新米! いかがですか?

 今年の夏は気温も比較的高く、稲の成長にとっては一時期を除いて日照も充分だったようである。そのせいか、稲の生長が例年より早いと言われている。稲刈りの進捗も少し早いように思われる。稲の育つ気象環境は毎年違っている。さて、今年はどんなお米に育ってくれたのだろうか?


  

仰木棚田米、いかがですか?

仰木棚田米を一度食べてみようと思われる方は、

下記のURLを覗いて見てください。

http://tanada-diary.com/7393 (ミルキークイーン)

http://tanada-diary.com/tanada-products/fp_01

 

 


 ここはお米の生産現場であり、農業という経済活動が営まれている空間です。「昔ながらの棚田」の景観や「里山環境」がどんなに素晴らしくても、先ずはお米が再生産できる価格で売れなければ、あるいは買っていただくことができなければ、この環境を守り、維持していくことはできません。

私は都会で生活する一人でも多くの人々に、この地の美味しい棚田米を知っていただきたいと思っています。ぜひ一度、食べていただきたいと思っています。但しここでの「仰木棚田米」の応援は、私の勝手な行為であり、お米の売買には一切タッチしていません。

「昔ながらの棚田」で育てられるお米の量は少なく、限られたものです。もし申し込まれたとしても、在庫がなくなり、農家からお断りされるかもしれません。何卒、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。

2016/08/24

残暑お見舞い

暦の上では「残暑お見舞い」ということになる。しかし棚田は、未だ猛暑の中にある。

もう一月ほどまとまった雨が降っていないのではないだろうか。私が田んぼ写真を始めてからの27年間、酷暑の夏も冷夏の夏もあった。それでもこの時期になると、稲穂は頭をたれ、田んぼを黄色く染めてきた。21日の日曜日には、稲刈りも始まった。そして今日と明日は、子供たちの待ちに待った地蔵盆である。興奮した子供たちの声が、村の角々に響いている。これが終われば、いよいよ稲刈本番である。

2016/07/24

夕立雲

関西では、先週の月曜日あたりに梅雨が明けたようだ。この時期の棚田は、うるさいほどの蝉の声に包まれている。やがて日が落ちると、カエルの大合唱が星空に響き始める。7月の棚田は、茂った稲で一年で最も美しい「緑」の時を迎えている。よく見れば、多くの田んぼで稲穂が顔を出し、開花と受粉が進んでいる。この稲穂が、緑の田んぼを徐々に黄色に染めていく。早いもので、あと一月もすれば稲刈りとなる。

この時期、青空が突然黒雲に覆われることがある。田んぼを灼いていた強い陽射しは遮られ、辺りは暗くなり始める。やがてポツポツと大粒の雨が音を立てて落ちてくる。夕立である。乾いた風景が、一雨をいただいてホッとする時でもある。

 

暑さ、これからが本番です。皆さま、くれぐれも御身大切に!

 


 

今年は、頼まれて祇園祭の鉾の巡行を撮影。当日は曇り日であったにも関わらず、身体の芯に熱が溜まってしまったような、多少熱中症ぎみ。というわけで、先週はあえなくダウン。夏の撮影が、だんだん厳しくなってきたようです。

2016/06/26

紫陽花

この辺りは、雨と曇りの日が続く6月だった。稲にとっては、少し日照が少なかったように思われる。この日も朝から雨。午後から雨は止んでくれたのだが、少し蒸し暑い。カメラを片手に棚田のお散歩。時折出会う紫陽花が、梅雨という季節の美しさを教えてくれていた。


 

本業の方は、株主総会とお中元商戦。落ち着かない中での更新となってしまいました。

2016/05/22

5年目へ・・・・・

2012年に始めた棚田日詩も、この5月で5年目となる年を迎えることとなりました。当初2年で止めようと思っていたことを考えると、随分フライングしてしまったものだと思っています。

現在「棚田日詩」は、一月に400~500人ほどの方々に見ていただいているようです。しかも、定期的に訪問していただいている方が多いようです。超々ローカルな「棚田日詩」です。5年前には、こんなに多くの方々に見ていただけるとは想像もしていなかったことです。本当にありがたく思うと同時に、こんなレベルの写真や文章で申し訳ないような気もしています。もっと心に響く写真、もっと深い文章で棚田や里山のことをお伝えできれば良かったのですが、これが私の今の水準だと思っています。

 

この間「棚田日詩」にお付き合いいただいた全ての皆様に、心からの感謝と御礼を申し上げます。本当に、本当にありがとうございました。

今年一年も、ボチボチの更新となりますが、お付き合いいただければ嬉しく思います。よろしくお願い申し上げます。

 


 

パソコンの修理に10数万円掛かると言われ、新品に交換。インターネットとメールを開通し、ようやく「棚田日詩」に書き込める状態にまで辿り着きました。Windows7から10への移行。使い勝手も大きく変わり、日々四苦八苦! ということで、取り急ぎアップロードしました。

2016/04/24

田植え前

既に棚田の土手は緑である。タンポポやスミレは風に揺られ、チョウやミツバチが花を求めて忙しく飛び交っている。谷間に響くウグイスの声、柿の木の若葉がひときわ輝いて見える。月明かりに照らされた田んぼでは、カエルの大合唱が始まった。棚田は、もう春の盛りである。

代掻きを終えた田んぼは、水を湛えて田植えを待つばかりとなっている。あと数日、いよいよその田植えが始まる。

* 今日の写真は、20年ほど前に安物のスキャナでパソコンに取り込んだものです。影の部分が黒くツブれてしまっているのが残念。

 


当初、二年で終えようと始めた「棚田日詩」も、5年目を迎えようとしています。不思議なことに、今も20か国以上の外国の方々の閲覧が過半数を超えていることに驚かされます。こんなローカルで日本語だけのホームページを、どうしてお知りになったのか? 聞いてみたい気もします。案外、写真というものは言葉の壁を乗り越えていくのかもしれません。もしそうだとするなら、こんなに嬉しいことはありません。この4年間、閲覧していただいた全ての方々に心からの御礼を申し上げます。

いつまで続けていくのか私にも分かりませんが、とりあえずは次の一年間、ボチボチと続けさせていただこうと思います。時折、覗いていただければ嬉しく思います。宜しくお願い申し上げます。


 昨年末より、パソコンの調子が思わしくありません。プログラムやデータを記憶するSSDが、4個の内3個までが壊れてしまいました。電源やUSBの接続も不安定です。ここまでゴマカシごまかし使ってきたのですが、いよいよ修理に出そうと思っています。修理にどれくらいの時間が掛かるのか未定ですが、暫く更新できなくなります。ご理解いただきたく、お願い申し上げます。

2016/04/03

再び一本桜

年を重ねるに従って、めぐる季節の早さに驚かされる。もう桜の季節である。棚田では多くの田んぼで春耕が行われ、田植えの準備に忙しくなってきた。

この木は「棚田の一本桜」である。空は鉛色の雲に覆われ、時折その雲間からスポットライトが降りてくる。風も強く、雲の流れは速い。スポットライトは、ここかと思えばたちまち別の場所を照らし始める。しばし待つ。幸運にも一条の光が、桜の生命を蘇らせるかのように輝かせてくれた。僅かな時間の中で何度もシャッターを切る。しかし、トラクターの向きや位置が思ったところに来てくれない。

風景写真は、自分の意志だけではなかなか思い通りにはいかないものである。どこか人の人生にも似ているように思った。

2016/03/06

時代は進む

 今日の写真は、タイムカプセル(2014年2月9日)で書いていた「紙袋」の中から出てきたものである。恐らくこれも、捨てられるはずのフィルムだったのだろう。

この田んぼは、伊香立の南庄という村からほど近い所にあった。ここも圃場整備が行われ、今は長方形の田んぼが連なっている。たぶん「タイムカプセル」の写真よりも撮影時期は遅く、ちょうど今頃の季節に撮られたものであろう。どことなく春の足音が聞こえてくるような写真である。春耕された畝(うね)や畦(あぜ)、土手に現れる「緑」がそう感じさせているのだろう。

久しぶりにこの写真を見て、こんなにも柿の木が多かったのかと驚かされる。圃場整備の済んだ田んぼでは、柿の木やクヌギなどの木々が残されることはほとんどない。

奥比叡の里と初めて出会い、この地域のロケハンをしていた頃のことである。枝振りの面白い、特徴のある柿の木の何本かに「名前」を付けていた。というのも、棚田の中にはその場所を特定する地名がないからである(どうしよう)。当時は柿の木に名前を付けて、それを地名代わりに使い、同時に辺りの景色を記憶していった。「渋柿爺さん」「二股婆さん」「薪割り柿」等々といった具合である。こうした命名?柿は、地名代わりになっていただけでなく、四季を通じて私の格好の被写体ともなっていた。何十回、何百回とそれらの柿の木の前に立ってシャッターを押してきた。そしてシャッターを押すことを通して、それらの柿の木から写真というものの技術、難しさのようなものを教えてもらってきた。

「渋柿爺さん」は、今も残っている数少ない命名柿の一本である。彼の前を通る時は、挨拶を欠かさない。「おい、元気か!」「調子はどーや?」「暑い日がつづくなぁ! 」「ガンバレ・ガンバレ!」・・・・その挨拶が、もう27年も続いている。

ある日突然、それらの柿の木が姿を消していく。「エッ?!」という声以外に何も出てこない。

 農業労働力の高齢化や生産性の向上(機械化等)といった課題から見れば、畦に柿の木を残す理由はないのかも知れない。もし柿の木を残すとしても、それが更なる経済的利益をもたらすという論拠がなければならない。

しかし私にとっての柿の木は、そうした経済的利害とは少し離れた所にあった。柿の木は、四季の棚田を彩るなくてはならない名優であり、自給自足的経済が色濃く残る一昔前の農村の、その時代を象徴する記念碑でもあった(棚田の柿の木)。曲線で区切られた美しい田んぼ、雑木林、柿の木やクヌギ、小さな農具小屋、曲がりくねった農道、これらはともに一昔前の農村を象徴する記念碑である。その時代の記念碑が、一つ一つと消えていく27年間でもあった。私の心の中の喪失感は大きい。それでも、時代は進んでいく。


 

「棚田日詩」の更新ができませんでした。仕事で重要案件を抱えてしまったのと、身内の不幸が重なってしまったからです。何とか、月一回の更新はしていきたいと思っています。ボチボチとお付き合いいただければ嬉しく思います。

2016/01/01

稲刈りの後の切り株から、新芽が芽吹いてくる。それを「ヒツジ」という。ヒツジは、秋から冬に掛けて成長し、やがて稲穂を持つまでになる。しかし積算気温などが不足しているのか、稲穂の中にお米は育っていない。今日の写真は、冬とともに立ち枯れたヒツジが主役となっている。雪景色の中のヒツジ。これまでなら、毎年こんな写真を撮ることができた。しかし、温暖化という気候変動が進んでいく中、近い将来こうした写真が撮れなくなってしまうのかもしれない。

2016.あけましておめでとうございます

元旦、今日は朝から棚田を巡ってきた。例年の枯野の中に緑が多い。畦の雑草たちの多くが枯れずにそのまま生き残っているからである。昨年の12月の気温は零下になることはなく、昼間など働いていると汗をかくほど暖かな日が多かった。殊に、雪が降らなかったことが、雑草たちを緑のまま越冬させているのだろう。

わが家のプランター(http://tanada-diary.com/11959)も異常である。スミレをはじめ、20種類近くの雑草が繁茂している。いつもは12月に降る1~2度の雪でほぼ枯れてしまうのだが、この冬は、青々と文字通り「繁茂」している。スミレやタラビコは花を咲かせ、スミレの種を採ることもできた。おかしいのは草花だけではない。ウラギンヒョウモンという蝶々は卵から幼虫、サナギへと成長し、12月の中旬には寒空に飛び立っていった。他にもテントウムシやハチ数種が花を求めてやって来ている。中でも、クロスズメバチが12月の20日頃までやって来るのには驚いた。普段なら11月の中旬になると完全に見掛なくなるのだが・・・・  このハチには、これまで3回ほど刺されているので見間違うことはない。このハチの求める花が枯れてしまったので、その後来なくなってしまったようだが、まだこの冬空の中を飛び交っているのだろうか?

カエルもおかしい。春から夏にかけての雨の夜、彼らは別の田んぼや草むらに移動しようとして2車線の大きな道路に飛び出してくる。ところが大量のカエルが交通事故に合い、そのまま昇天してしまう。しかしこうした現象も、11月になるとほとんど見掛なくなる。ところが12月の中旬の雨の夜、田んぼの中を帰路についていると何匹かのカエルが車の前に飛び出してきた。あえなく交通事故である。

近年、毎年異常気象だと言われている。中でもこの冬は、「いつもとは違う」ということに気づかされることが多かったように思う。これも温暖化と言われる現象の一つなのだろうか。
正月早々、景気の悪い話で申し訳ないが、私の心の中にある気象や気候に関する漠然とした不安が年々大きくなっているように思う。こうした気候の変化によって、私の撮れる写真が変わってくるということは大した問題ではない。それよりも、奥比叡の里の米づくりが打撃を受けなければいいのだが・・・・と祈る気持ちで迎えた元旦となった。




「棚田日詩」は、最低でも月1回の更新ペースは守っていきたいと思っています。今年も宜しくお願い申し上げます。そして皆様の目標や希望が叶う年でありますことを心からお祈り申し上げます。




追記)  今日は1月3日、プランターのスミレの状態を見ていると、何処からかブーンブーンと羽音が聞こえてくる。その羽音の主を探してみると、何とクロスズメバチだった。すっかり季節を惑わされているようだ。

 

これが、わが家の珍客「クロスズメバチ」。多い時は5~6匹ほどでウドの花を目掛けてやって来る。スマホで撮影。

2015/12/31

暮らしの中の風景

今日の写真は、今から25年ほど前、田んぼの写真を撮り始めた頃の懐かしい一枚である。紅殻(べんがら)の玄関、青い牛乳箱、風雪の中で読みづらくなっている表札、小さな熊手、針金のハンガーと黄色の洗濯バサミが一つ、ひび割れた玄関ガラスに貼り付けられたテープなどなど・・・・そして小雪の舞う一日だった。

農家の軒下のこの点景になぜ心惹かれたのか?  デザイン的にも面白く思ったのかも知れない。しかし何よりも、人の暮らしと伴にあるこれらのモノたちが何とも可愛いく、愛おしく感じたからである。このモノたちは、この家の人たちの経てきた時間、暮らしの一片を語ってくれているようでもあった。

 


 

久しぶりの更新となってしまいました。年末商戦の中、落ち着いてパソコンに向かう時間が取れずに今日まで来てしまいました。今ようやく、今年最後の仕事を終え、この「棚田日詩」に向かっているところです。途中になっている「ちょっと気掛かり・・・」が、本当にちょっと気掛かりになっています。普段考えていることを文章にするだけですから、そんなに時間は掛からないのですが、いざ更新し、皆様に見ていただくとなると、やはりじっくりと落ち着いた時間が必要となります。来年の早い時期に最終章に至りたいと思っています。


 

前回お知らせした「大津通信」に、私の琵琶湖の写真が載っています。「大津通信」を主催する茂呂君から「琵琶湖の写真はないか?」との問い合わせに応えたものです。ところが琵琶湖は、全くと言ってもいいほど撮っていないのです。ただ運よく今年は、写友と一緒に琵琶湖の撮影に出掛けたものがありました。その中の2枚が下記のURLに使ってもらっています。一枚目の写真は、抽象的で何やら分かりづらい写真だと思います。これは、比叡山に沈みゆくこの日最後の夕陽が湖面に漂い燃えているところです。2枚目の写真は、夕暮れ時、流木に立つカラスが哲学的な思索をしているように見えたものです。

http://otsu-yoimachi.blogspot.jp/2015/12/blog-post.html

http://otsu-yoimachi.blogspot.jp/2015/12/blog-post_55.html

 

* 1月24日をもって、「大津通信」は閉鎖されました。上記のアドレスでは見れなくなりましたので、下記にアップしておきます。

 




 

 今年も一年間「棚田日詩」にお付き合いいただき、心からの感謝と御礼を申し上げます。

来る年も、皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

本当にありがとうございました!!!